引き際の覚悟 | ナックリンの部屋

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日々のちょっとした出来事や思ったことなどを、気ままに綴るブログです。

私の大学の卒業論文は「武士道に見る死生観」というテーマでした。

なぜ武士道に惹かれたかというと、

そこには常に「覚悟」というものがあったからです。

常日頃覚悟しているからこそ、あるいは想定しているからこそ、

いざという時に決断できるのではないかなと感じていました。

逆に言えば、私自身が覚悟がなかなか出来ない人間だったので、

余計「覚悟」という事に惹かれたのだと思います。


最近の某雑誌に玉三郎のこんな記事を見つけました。


そこには彼がすでに20代の若い頃から、

「いつか舞台にたてなくなる」という覚悟をしていたとありました。

そして今、彼は52歳。

できるものとできないものを峻別していく時期を迎えていると言います。


誰にでも体力の衰えはやってきます。

ましてプロとして最高のパフォーマンスを求められる場合、

いつか必ず向き合わなければならない現実でもあります。

これはスポーツ選手にも当てはまることだと思いますが。


彼は今年1月の公演を最後に、もう『鷺娘』は踊らないと区切りをつけました。

「無理をして踊ったとしても、それなりの踊りしかもう踊れない」と。

そんなものを『鷺娘』だと思って欲しくないという強い自負と愛情を感じました。


さらに彼はこう続けます。


「パフォーマンスが落ちてまで長く続ける事が、果たしてよいのかどうか・・・。

 一流のダンサーなどがいつまでも踊り続けて、観客を失望させることがある。

 いつまでも舞台に上がり続けたいという自分の欲望よりも、

 観客が自分に見てくれた夢や思い出の方が大事」


若い頃から覚悟していたからこそ出来た決断だったとも言っています。

また、最高のパフォーマンスをしたという実績があるからこそ

出来た決断でもあるでしょう。




私はこの記事を読んで、

柔道の元全日本チャンピオンの篠原信一が

引退した時のコメントを思い出しました。


「若い時は頑張れば頑張っただけ結果を出せました。

 でも、何年か前からは頑張っても頑張っても、 

 悔いが残る結果しか出せなくなって・・・。

 最近はもうやればやるほど悔いの方がどんどん大きくなってきたんです」


といったニュアンスのコメントでした。

もちろん、トップクラスではまだいられるが、

もうトップにはなれないと感じたのだと思います。

本当にハイレベルで競ってきた人だから出来た引き際。

こんな柔道をトップレベルの柔道だと思われたくないという強い自負と、

柔道という競技への愛情を感じました。



一般の人間でもそう。

出来なくなる事は増えてきます。

でも、出来る事を楽しんで挑戦していけばいいのではないでしょうか。

力を出し切るとは、持っているもの、残されたもので勝負すること。

そもそも人生自体が最初から人それぞれのハンディを背負った、

ハンディマッチのようなものですからね。

あれがないこれがない、平等じゃないと嘆き騒ぐより、

持っている自分という道具を使いきる事ではないでしょうか。

最近の人たちは、

自分たちがみんな王子様、王女様になれる資格があると主張するような、

変な勘違いが多いような気がするんですよね。


夢を持つ事は素晴らしいし、

より高い意識で挑戦を続けることも素晴らしいと思います。

でも、中にはあくなき自己愛と

老いることへの恐怖に追い立てられているだけの人もいます。

人はそんなにスーパーマンであり続ける必要があるのでしょうか?

夢は必ず叶うと言いますが、夢は叶わないことだってあるし、

叶わなかったからといって変な挫折感をもつ必要なんかないと思いますよ。

もちろん、真剣に努力しないような人間は論外ですけどね。


人間には体力的な限界やピークというものがあります。

それは忌み嫌うべきものではなくて自然な事です。

そのことを受け入れられて初めて、

素晴らしいパフォーマンスに心からの称賛も送れるのではないでしょうか。

現役選手に変な嫉妬をしたり、

現役選手より自分が目立ちたいだけというみっともないOBも多いですからね。

現役、OBにかかわらず、

自分を愛してるだけなのか、競技を本当に愛してるのかが大事です。


また若い選手たちもいつか出来なくなるという覚悟の中で、

真剣に自分の人生に向き合って欲しいと思います。

若い人たちによく見受けられるのが、

今自分たちのやっていることが一番で、

自分が初めて何かに挑戦しているんだという勘違い。

けれどもその道は、今いる先輩たちだけでなく、

大昔の人たちもそれぞれの時代で同じような思いで通った道なんですよね。


年齢を重ねるとその事に気づくので、

より歴史に興味や親近感を持つのかもしれません。