大変ご無沙汰しております。年度末の忙しさもあり、更新の方が4週間近くも滞ってしまいました。
前回の更新以来、『週刊女性自身』様の取材や台湾からの取材、また、先週末は京丹後市は竹野神社のまぐろの奉納等、様々な出来事がありました。そんな中でお話したいのが、やはり桜です。
去年、ヘタレがこの観光協会で働き始める前、那智山の桜を撮ってきたのが4月6日でした。それが今年は写真の通りです。
今回の写真は、先週の金曜(26日)の那智山のものです。木によっての前後はありますが、少なくとも三重塔付近の桜はもう満開、あるいは、散り始めるような感じでした。
そうです。“三度目の満開”が過ぎ去ろうとしてます。そんな桜を見て気持ちの中に揺ら揺らと見え隠れするものが、散りゆくもの、あるいは去りゆくものの『儚[はかな]さ』です。
異動、卒業、定年と言った人為的な区切りから来るものもあれば、リストラや病気等、意に反して行われるもの、そして、自ら身を引くもの等、様々な『儚さ』があります。
一定の期間、同じ時間、空間を共有しながら、その瞬間から別の時間、空間に様変わりします。ただ“去る者は日々に疎し”の言葉通り、さほど時間を掛けず、その新しい環境が当たり前になってしまいます。
これまでの場所にとどまる方、そして、離れる方。ヘタレも毎年のようにいずれかの立場で、その『儚さ』と接し、近くて遠い過去のものとしてきました。
散り始めた桜を見ながら、ヘタレ自身が『儚さ』の主体となった記憶が代わる代わる脳裏をよぎる中、実際に周りを見渡して、今当たり前の光景が遅かれ早かれ『過去』のものとなる瞬間が、気のせいか、漠然とながら見えたような気がしました。
...これは、このところ雨風の強い日が多かったからでしょうか。いずれにしても、気持ちが望む時間と、実際の満開の時間のズレが大きくかかわってることは間違いないようですが、やはり不思議です。
今回、特にこれまでの場所を離れる方々全てに、熊野の先達こと「ヤタガラス」が素敵な場所に導いてくれることをお祈りしながら、今日はこの辺で終わりにしたいと思います(ヘタレM)。