子どもが幼稚園のとき、園から文集のイラストを描いてほしいと依頼されたとき、
「そういえば、子供のころから絵を描くのが好きだったなぁ」
としみじみ思い出したことがあった。
それを「昔のこと」「仕事にできるレベルじゃない」「単なる趣味」「才能はないし、捨てても惜しくない」と思い込んで、忘れ去っていたことに気がついた。
そして、なんだか本来の自分に出会えたような気になったものだ。
そして、昨年から友人のお声掛けのおかげで、楽器を吹くことの楽しさが再燃している。
「そういえば、私、楽器とか音楽大好きだったなぁ!」
である。
私は音大に行く選択をしなかった。親も高校の先生も「目指すなら力になるよ?」と聞いてくれた。でも、私はそれを選ばず文系私大に進んだ。
だから、私は自分から「音楽を捨てた」とどこかで思ってしまっていた。
専門で学ぶほどの意欲もなく、仕事にするだけの情熱も才能も、チャレンジしようという勇気すら持てなかったのだから。
ただ趣味で好きなだけで、忙しい日常を優先していつしか楽器に触ることもなくなっていた。
子供のころから音楽の才能あふれる人たちであった友人たちもそうだ。
ピアノが上手に弾けて、音楽の授業のリコーダーなんて一瞬で吹きこなせて、自分でハモリをつけることができて、メロディを聴いただけで脳内で音符に直せてそれを再現できて、何よりも皆で音を合わせることの楽しみや喜びを知っていて、音楽サイコーって思って青春時代を送っていた仲間たちだ。
私が見て「絶対音楽の道に進むべき」と思うような子だって、その道を選んでなかったりする。いわんや私をや。
でも、だからって音楽を捨てたと思う必要なんかない。
音楽は老若男女楽しんでいいし、プロにならなくたって生涯持ち続けてよい趣味なのだ。
趣味というのは、「自分に還る時間」だ。
世の中、コスパ重視の風潮だけれども、人生で一番大切なのは「自分がご機嫌であること」である。
「それが何になるのか」「得はあるのか」とリターンばかり気にしている人は、ご機嫌で生きていけないだろう。
豊かな人生を送るには「無駄だけど本気で楽しめること」を持つことだと思う。
豊かさとはいかに無駄を愛せるかということだ。
誰かのためでもお金に換えるためでもなく、
ただ自分がご機嫌でいるため
わたしがわたしであることを感じるために続けていくことこそが趣味なんだと思う。
これから先の人生、「趣味は何ですか」って聞かれたら、私は楽器演奏って答える。
「すごいね」とか言われる時があるけど別にすごくはない。うまいか下手かでいうとフツーだ。うまい人は世の中にたくさんいる。
でも、私は「うまくなりたい」というわけではないのだ。「音楽を楽しみたい」だけだ。
私は絶対音感があって、聴いたメロディはすぐに再現できて、音楽を楽しむことができる。クラリネットが吹けて、サックスもだんだん吹けるようになってきたよ。ピアノも全然うまくはないけど弾けるし、歌だって大好きだ。
なんで今まで音楽を捨てちゃったと思ってたんだろうなぁ。
なんで一流じゃないと人に言っちゃいけないと思い込んでいたんだろう。
好きな気持ちは、ただそれだけでいいのに。
残りの人生は、「音楽を好きなわたし」を大切にして生きていきたいと思う。