先日、クラリネットをリペアに出してきた。
中1の時に親に買ってもらったヤマハのYCL651。
30年前の楽器だ。
一度、現役学生時代に修理に出したことはあるものの、使わなくなってから20年は放置していた。
今後、友達とまたセッションしたり、個人的に趣味としても楽しもうと思うので、メンテを依頼することに。
楽器カバーからケース部分だけを楽器店に預ける際、カバーのポケットから出てきたものが面白かった。
それは中学時代の手紙だった。
同学年の友達がルーズリーフに書いてくれた、雑談チックなもの。
1つ上の先輩が修学旅行に行く前「留守にするけど、パートのみんなを頼む」と書き残したもの。
引退していく2つ上の先輩からの、上手くなるにはこうしたらいいよというアドバイス。
他パートの友からの暑中見舞い。引っ越した友からの近況報告。
当時の空気感そのままに、読んでいて恥ずかしくなるような、きゅんとするような、手紙だった。
中学生すごい。
こないだ、当時からの友達と話をしていて思ったけど、中学生だった当時の我々は、自分たちを「子ども」だなんて思っていなかった。
その時に自分たちが置かれた社会で、いっぱしに組織の一員として自分の役割を自覚し、同僚(同学年)と密に結びつき、先輩後輩の縦社会を生きていた。
誰が次の部長になるか? などという局面などでも、いろんな子の思惑が働いて、実は水面下で政治がおこなわれていた。
私はくそまじめな職人タイプだったので、練習と演奏に集中したい生徒だった。
役職のようなものについたのはパートリーダーぐらいで、部長だの副部長だの会計だのになるのは嫌だなあと思っていた(表に立つ器でもなかったし)。
でも、中には役職につきたい、みんなを仕切りたい、一番上に立ちたいというタイプの子もいた。
そうかと思えば、そういう権力欲?のようなものを持っている子のことを、じっと見ている子たちもいた。組織内のパワーバランスに敏い子たちというか。人間観察主義者というか。私が面白いなあと思っていたのはこのタイプの子たちだ。
皆でワイワイお気楽に騒いでいるのが好きという子もいれば、自分が一番になれないと周囲を篭絡して邪魔な子を迫害しようとする性悪もいた。自分の足場を固めつつもヒエラルキー強者にもご機嫌伺いをするタイプの子もいた。
なんか、人間社会の縮図のような環境だったんだなあと笑ってしまう。
そもそも吹奏楽部というのは合奏時以外はパート間の交流がほとんどなくて、他パートの事情がよくわからなかったりする。
練習場所も違うし、私のような職人タイプは、「よそはよそ、うちはうち」という感じで他パートに干渉することもなく、ひたすら自分のパートが円満で健全に運営できればいいという感じだった。さらに、メンバーは、性格は違えど、音楽が好きで野心はかけらもないというタイプの子ばかりだったので、おかげさまでとても平和だった。
しかし、他パートはもっと修羅の世界だったところもあったらしい。
先輩のキャラの濃さや本人たちの性格にも影響されるので、個の力だけではどうにもしようがない。それが脈々と引き継がれていく組織。
たった3年の部活がどれだけ濃密な時間だったか、今更ながら振り返ると面白くてならない。
家族で管楽器の体験イベントに参加したら、夫と息子(小2)がトランペットに嵌まった。
息子は何故か夫よりも綺麗な音を奏でており、講師の先生を驚かせていたので、ちゃんと楽器を買ってあげようか迷っている。
今家にあるトランペットは譲ってもらったもので、マイナーメーカーかつ安価なものなので、ちゃんとやるには買い替え必須だ。
夫も毎日YouTubeを見て研究して、息子より上達したいと思っているみたいだ。
私もクラリネットが戻ってきたら、純粋にまた楽器を楽しみたい。
1カ月ぐらいかかるみたいで、待ち遠しい。