前半は、服部百音がソリストを務めてのショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番。
かねてよりショスタコーヴィチ作品への共感を語る服部のソロは、作品の精髄に肉薄しようとするが如き気魄に充ちた真摯な演奏で、第2楽章・第4楽章の運動性及び第3楽章後半の長大なカデンツァの峻厳さの表出は見事なものだったと思いますが、反面、第1楽章や第3楽章前半はやや神経質に過ぎるような想いもしました。
井上&N響は、第1楽章の陰鬱さ、第2楽章のアイロニー、第3楽章のパッサカリア主題の提示の重々しさとその後の木管のコラール風楽句の哀しみそして全体の構築性、第4楽章の無窮動の推進力等々、流石と思わせる演奏でした。
後半はまず、ロッシーニ/歌劇「ブルスキーノ氏」序曲。
初めて聴いた曲(だと思う)でしたが、デュナーミクの対照の妙そしてロッシーニらしい機知が、井上らしいユーモアのもとに体現されていました。
最後は、再び服部がソリストを務めてのショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第2番。
第1番の方は、1995年10月のN響第1271回定期公演に於ける諏訪内晶子&アンドレ・プレヴィンの名演を皮切りにこれ迄折に触れ聴いてきていますが、第2番を聴いたのは、2013年11月のN響第1768回定期公演に於ける諏訪内&トゥガン・ソヒエフの演奏以来今回が2回目。 服部のアプローチは基本的に第1番と同様でしたが、神経質過ぎる面は薄れ、真摯な好演を構築してみせていました。
井上&N響の低弦や木管・打楽器が活きた響きの立体感、第1楽章・第2楽章の謎めいた雰囲気と第3楽章の警句を挟みつつの疾走感の表出は、やはり素晴らしいものでした。
ソロ・カーテンコールでは、服部が感極まってか涙ぐむ場面も。
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