前日のBunkamuraオーチャードホールでの團伊玖磨「夕鶴」に続き、3/30(日)午後、今度は横浜みなとみらいホールでのオペラシリーズ~みなとみらい流Ⅲ:池辺晋一郎/歌劇「てかがみ」を観に行きました。




みなとみらいホールと云っても、今回は小ホールでの公演。
実は私、大ホールの方はこれ迄数え切れない位行っていますが、小ホールは今回が全くの初めて。





通い慣れた大ホールのホワイエを、ガラス越しに見下ろすのは…何だか妙な気分。


さて今回の「てかがみ」は、2001(平成13)年の「新潟ニューセンチュリーオペラ・プロジェクト」に際し、全国公募により選ばれた原案3種をふまえ平石耕一が手掛けた脚本を基に池辺晋一郎が作曲したものだそうで、1945(昭和20)年8月1日、そう、終戦の僅か半月前の長岡(新潟県)空襲と現代とが交錯し、空襲そして戦争の悲劇を時空や国境を超えて語り継ぐ象徴としての手鏡の存在を通じて、平和の尊さを訴えかける作品。
長岡が空襲に遭ったことは、幕末の長岡藩家老河井継之助を主人公とした司馬遼太郎の小説「峠」や、東京大空襲の後長岡郊外に疎開していた作家・半藤一利の証言等でかねてより知っていましたし、全国的に有名な長岡花火大会も、そもそもの起源はともかく、現在の形で行われるようになったのは空襲犠牲者への鎮魂が主旨であると承知しており、それをふまえた大林宣彦監督の映画「この世の花~長岡花火物語」も観ましたが…。
池辺サンと云うと、檀ふみとの迷コンビによるNHK「N響アワー」司会に代表されるように、駄洒落連発のユーモリストとのイメージが強いですが、こと反戦の姿勢は一貫しており、長岡空襲の悲劇を通じてどのようなメッセージを発信しているのか関心がありました。



オペラと云っても、小ホールでの上演であることからも分かるように小編成の室内アンサンブルによるものでしたが。
前日「夕鶴」を観たばかり故に尚更そう思えてしまうのでしょうが、肝心なところで日本語の歌詞が明瞭に聴き取れず、隔靴掻痒の感が否めませんでした。
…とは云え、長岡そして広島・長崎の惨禍や、新潟も原爆投下の候補地になっていたこと、更には生き残った者が抱える苦しみ等々、戦争がもたらす悲劇、そしてそれを世代を超えて語り継ぐことの重要性は、池辺サンの音楽から雄弁に伝わってきていました。
それにしても、戊辰戦争中最大の激戦の一つと評される北越戦争に大戦末期の空襲、そして中越地震と、度重なる甚大な被害を受けた或る種の悲劇性と、「米百俵」の故事に代表されるようにその都度そこから不屈の精神で立ち上がった「長岡」と云う街に思いを致すと、様々な感慨が頭をよぎります…。




みなとみらいホールと云っても、今回は小ホールでの公演。
実は私、大ホールの方はこれ迄数え切れない位行っていますが、小ホールは今回が全くの初めて。





通い慣れた大ホールのホワイエを、ガラス越しに見下ろすのは…何だか妙な気分。


さて今回の「てかがみ」は、2001(平成13)年の「新潟ニューセンチュリーオペラ・プロジェクト」に際し、全国公募により選ばれた原案3種をふまえ平石耕一が手掛けた脚本を基に池辺晋一郎が作曲したものだそうで、1945(昭和20)年8月1日、そう、終戦の僅か半月前の長岡(新潟県)空襲と現代とが交錯し、空襲そして戦争の悲劇を時空や国境を超えて語り継ぐ象徴としての手鏡の存在を通じて、平和の尊さを訴えかける作品。
長岡が空襲に遭ったことは、幕末の長岡藩家老河井継之助を主人公とした司馬遼太郎の小説「峠」や、東京大空襲の後長岡郊外に疎開していた作家・半藤一利の証言等でかねてより知っていましたし、全国的に有名な長岡花火大会も、そもそもの起源はともかく、現在の形で行われるようになったのは空襲犠牲者への鎮魂が主旨であると承知しており、それをふまえた大林宣彦監督の映画「この世の花~長岡花火物語」も観ましたが…。
池辺サンと云うと、檀ふみとの迷コンビによるNHK「N響アワー」司会に代表されるように、駄洒落連発のユーモリストとのイメージが強いですが、こと反戦の姿勢は一貫しており、長岡空襲の悲劇を通じてどのようなメッセージを発信しているのか関心がありました。



オペラと云っても、小ホールでの上演であることからも分かるように小編成の室内アンサンブルによるものでしたが。
前日「夕鶴」を観たばかり故に尚更そう思えてしまうのでしょうが、肝心なところで日本語の歌詞が明瞭に聴き取れず、隔靴掻痒の感が否めませんでした。
…とは云え、長岡そして広島・長崎の惨禍や、新潟も原爆投下の候補地になっていたこと、更には生き残った者が抱える苦しみ等々、戦争がもたらす悲劇、そしてそれを世代を超えて語り継ぐことの重要性は、池辺サンの音楽から雄弁に伝わってきていました。
それにしても、戊辰戦争中最大の激戦の一つと評される北越戦争に大戦末期の空襲、そして中越地震と、度重なる甚大な被害を受けた或る種の悲劇性と、「米百俵」の故事に代表されるようにその都度そこから不屈の精神で立ち上がった「長岡」と云う街に思いを致すと、様々な感慨が頭をよぎります…。