ブログを訪問して頂き
ありがとうございます
連投してきた帰省シリーズ
これで終わりにします
心がチクチクすることを
書き続けるのは
私が苦しいので
この記事でまとめて
終わりにします
「可哀想」は人を引きつけるのか?
父からのメッセージで
気になったのは
連絡を入れなさい
でも
お礼の言葉を添えなさい
でもなく
お母さんが可哀想
でした
ああ、まだ母は
私って可哀想・・・
を続けているんだな
祖父が叔母ばかり
ひいきするから
わたし可哀想・・・
をずっと続けてきて
私はお母さんを
守らなくちゃ!
と言う気持ちでいて
母の代わりに
祖父に口答えしたり
母に言われるままに
祖父に頭を下げたり
そんな日々を
祖父が亡くなるまで
続けていました
でも祖母はというと
たまに祖父に言い返しはしても
祖父の悪口を
私たちには
言っていた記憶がありません
祖父に何も言えない
だらしない祖母!
って母は言っていましたが
祖母は祖父といる時間を
最低限にして
私たち孫と過ごす時間を増やし
悪口を言うのではなく
私たちに寄り添う
という過ごし方をしていました
ある意味
祖父と境界線をしっかりひいて
自分の生き方を選んでいた
のかもしれません
私は祖母が大好きでした
「可哀想」に振り回される人たち
結局母は今
娘に冷たくされて
可哀想な母
を続行中というわけです
正月と誕生日にしか
連絡の来ない兄が
先月末に
帰省の折には
実家に寄るように
みんなで待っています
と連絡をしてきて
すごく違和感を感じていました
でも直前に連絡したら
先約があるから
行けません
ですって
父に
今回兄は来ないの?
と聞いたら
連絡いかなかったか?
と言う答え
違和感は的中しました
お母さんが可哀想だから
兄からも連絡入れて
立ち寄らせるように
って段取りだったみたい
意外な連絡に
ちょっとでも喜んでしまった
わたし、なに?
「可哀想」ではなく「楽しそう」を選びたい
母はもう年齢も年齢ですし
「可哀想」のまま
生きていくんだろうな
可哀想でない生活を
選んでほしいけれど
私が母を変えることもできないし
変えるために力を尽くすのも
イヤだ
私自身も
夫が子育て放棄で
遊びに行ってて可哀想
誰一人知り合いのない土地で
子育て大変で可哀想
と可哀想を前面に出していた
時期もあったし
子どもたちを
振り回した時期もあり
申し訳なく思います
今は
不登校→中退→無所属
の娘がいて、わたし可哀想
なんて全く思わないし
娘のことも
可哀想とは思わない
これからは
可哀想アピールの母
がいても
わたし、可哀想じゃない
を目指します
せっかく
ケアストレスカウンセラー
という資格を取ったのだから
セルフケアしながら
お母さん楽しそうだね
なんで?
って興味を持ってもらって
お母さん、元気そうだね
だったら
ちょっと頼ってみようかな
と楽しそう
で家族と繋がっていきたいな
と思いました
帰省総括
想定外のこともありました
できないこともありました
帰宅後に大嵐もきました
もしかしたら
また
足は遠のくかもしれない
だから尚更
1回帰省しておいて
良かったと思います
自分と実家の現在地と
距離感をしっかり確認し
これからの道を
固めてくれました
結構 辛辣な本音を
書いてしましましたが
最後まで
お付き合いいただき
ありがとうございました