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ありがとうございます
ブラックジョークにもほどがある
これは我が家だけなのか
世代なのかわかりません
小さい時
○○(わたし)は
橋の下から拾ってきたんだよ
って父にからかわれる
ことがありました
曖昧な記憶ですが
わたしが何か失敗をしたり
親をがっかりさせた時に
私たちはこんなことは
しなかったよ
なのに○○は・・・
みたいなニュアンスで
アルバムを見れば
誕生日と母の名前
病院名が書いてある
出生日の写真があるので
それは嘘だと
すぐにわかるのです
でも悲しかったな・・・
悲しい思いをさせても
子どもが成長するわけでは
ないのに
ジョークとしても
センスの欠片もないわ
子育て苦労話もほどほどに
父のジョークは
センスないわ・・・
で済ませるとして
母から言われた
育児話もかなりモヤモヤしました
○○はおとなしくて楽だから
ずっと寝かせておいた
そうしたら後頭部が
はげちゃったのよ
夜中の授乳で眠いとき
早くゲップを
出してくれないかな・・・
って思って
ちょっと強めにバンバン
背中たたいちゃった
離乳食って大変よね
わたしなんか
いつも味噌汁の具を潰して
あとは玉子
顔にブツブツが出たら
ちょっと変えたけどね
わたしって
手がかからないときは
褒められて
あとはめんどくさいな~
って育てられたのだろうか・・・
兄との年齢差を考えると
活発な幼稚園児と乳児
大変だったとは思う
でも母方の祖父母と
同居だったから
少しのあいだ
見てくれる人はいたはずだ
おばあちゃんの膝に乗っている
赤ちゃんのわたしの写真が
たくさんあるのだから
母も
わたしもこんなだったから
頑張りすぎなくていい
というメッセージも
あったのだろうが
やはりセンスがない
そして実話だけに
モヤモヤチクチク
する
記憶がない頃こそ美しく
自分で記憶がない
乳幼児の頃の話で
なぜ傷ついてしまうのでしょうか?
心理学を少し学んだ方なら
エリクソンの
ライフサイクルと
発達課題
について聞いたことが
あるかもしれません
簡単にまとめると
人間の一生を
8つの段階に分け
それぞれの段階の
課題の達成
失敗による問題を
まとめているのですが
その最初が
乳児期
快不快を泣き声でしか
表現できない時期に
周りの人が
どれだけ愛情を持って
お世話してくれるのか
それによって
周囲の世界に対する
基本的信頼を獲得できる
というのです
基本的信頼とは
この世の中に生まれてきて
良かったな
わたしは産まれてきて
良かったな
と感じる心の根っこ
のようなものだと
わたしは捉えています
お腹がすいているとき
おむつが濡れているとき
100パーセント
即座に快適にお世話して
もらうのは無理ですから
トータルで快が多ければ
この世界は
まあまあいいところだな
と思えるのでは
ないでしょうか
わたしはエリクソンについては
学生時代の教職課程で
初めて学びました
その時は自分の記憶の中で
別の段階で
課題を残しているな・・・
と感じたのですが
それはまた別の記事に書きます
母の話にモヤモヤしたのは
記憶がない時期
のことで
別の段階で課題を
残していたとしても
せめて
最初の段階は
無条件で
クリアしていたかった
という願いが覆されたように
感じたからでしょうね
未来の自分への覚え書き
エリクソンのことを
知らなくても
子ども時代の
恥ずかしい失敗を
笑いのネタにするのは
いやだな・・・
とわたしは思います
頭が固いのかもしれないし
父がよく言っていたように
○○は冗談が通じない
って馬鹿にされるかも
しれないけれど
人を弄ってネタにする
家族や親戚がいて
十分傷ついたから
たぶん
うちの子どもたちも
そういうネタは嫌い
だから将来
結婚相手を連れてきたり
孫が産まれても
(そんな気配は全くないが)
楽しかった
可愛かった
の話を9割以上にしよう
と思っています