クワドラプルもアイスジュエルズも購入しましたが、

まだじっくりと読みこめてはいません。

 

安易に短時間で感想を語っては、

この本たちを大切に思っている方々に

申し訳がない気がしまして。

 

 

ゆづくんがRE_PRAY佐賀公演の演技が悔しくて、

何かを根本的に変えねばと思ったときに思い出したのが、

2020年の全日本選手権とのことでした。

 

その時分に筋トレをして、

少しのことでは体幹が揺らぐことはなかったと。

 

ですので、昨日、全日本の天と地とを見て見たのです。

 

ああ、こんなにも細かったのだと思いました。

 

私はあの頃、あのフリーを見て、

なぜか小鳥さんを連想した記憶があります。

 

本当に凄かった。

演技に揺らぎなどは、ひとっつもなくて、完璧すぎて、

初見で、ただただあっけにとられて。

 

 

けれども、何処か儚くて、消えてしまいそうで、

美しすぎて…。

 

そうして、今、見返すと、やはり胸に迫ってくる

ゆづくんの置かれた場所の孤独感。

 

コーチはいなく、すべてをひとりでやり遂げた。

 

もちろん、演技後の観客の熱狂は凄かった。

 

けれども、そこはかとなく漂う周りの大人たちの空気のひんやり感も

否応なしに感じて。

 

 

そうして、小鳥さんと言えば、

カルミナ・ブラーナを思い起こしたのです。

 

小鳥のさえずりの冒頭。

 

本当に小鳥のさえずりを感じて、微笑む無垢な青年の君がいたのです。

 

演技前の舞台裏でトレーニングをしてきて、

 

そうして、小鳥のさえずりの花咲く場所を表現したのです。

 

 

これは寒々とした競技会の点数を得るために行った演技ではない…。

 

観客のため、君をみつめる全ての人たちの為に行った演技だった。

 

 

ひとつだけ語らせていただけるなら、購入した本(アイスジュエルズ)

の中で、トビー・フォックスさんの言葉が染みました。

 

僕が思うに、神様というのは、羽生さんの観客ではないでしょうか。

 

自分はゲームのキャラクターに過ぎないのではないかと疑問を抱くように

なった羽生さんは、台の上に立ち、観客の前で、文字どおり祈ります。

そしてついに、見たことのなかった場所をみつける。

どこだかわからない、不思議な美しい場所です。

神様、つまり観客は、これまで羽生さんをキャラクターとして見てきました。

けれども、その神様の恵みのおかげで、羽生さんは新たな自由を見つけました。

 

それは新しいことに挑戦して、試してみる自由です。

 

そして羽生さんは観客にも、自身の自由と日々の暮らしを慈しむよう、

呼びかけるのです。

 

 

ゆづくんのファンではあるけども、自分自身の自由と日々の暮らしを慈しむ

これも琴線に触れました。

 

 

先週末に仕事で大きな失敗をしてしまって、弱っていた時に。

 

周りの方は私を責めることはなかった。

 

そんなことぐらいで、落ち込んではいけないよと言ってくれた。

だから、投げやりにならないで、感謝をしようと思った。

 

人に、仕事に、日常に、主人に。

そうしたなら、なんだかとても清々しくなって。

歯車がかみ合ってきたのです。

 

人を自分を窮屈に責めるのではなく、感謝をしよう。

 

それって、まるで、ゆづくんのようだとも

僭越ながら少しは学んだのです。

 

 

 

さあ、来週末はFAOIですね。

仕事もあり、バレーの大会のお手伝いもあり、

ゆづくんの今を追えないかもしれません。

 

けれども、少しでも追えるところは追って。

追えないところは、自分の日常をがんばって。

 

それでいいと感じています。

 

四六時中ゆづくんを追えなくとも、ゆづくんのファンのひとりとして。

 

 

自分が出来ることの応援。

ほんのちっぽけな応援だけれども、愛はあるのです。

 

そうして、この愛を大切にしたい。

 

ゆづくんをとても大切に思う。

 

それも私の日常です。