今日は本当に最後の最後。
RE_PRAY宮城公演のディレイビューイングがあったのですよね。
これで本当に公演の見事な完遂だと思います。
今しがた、私もCS録画をディレイして。
なんだかじわじわと涙腺が緩んでしまいました。
9日のライブビューを拝見した映画館ではいろんな気持ちが
渦巻きました。
思わぬ奇声に、苦笑いもしましたし、
ゆづくんは最も高尚な存在で、このような奇声は自我を満足させるだけだとか
一瞬、思ったりもしました。
けれども時間を重ねるうちに、これもまたありなのかと思ったり。
異文化がそこに集結したのだ。
私の目線だけでは計り知れない大きな渦があったのだと。
アナザーカントリー
手を上げたのは前方の席の方が多かったようには思ったけれど、
その人々は遥か国境を越えて来たのだと。
チケットの難しいことはよくはわかりません。
ライブビューしかとったことがないのですから…。
でも手を上げる異国の観客の方々を見て、
嬉しそうにするゆづくんがいました。
私はそれが、とても嬉しかったのです。
この問題がもしや大きくなって、大切なゆづくんのRE_PRAYが
何か違う思わぬ方向へ誘導されるのが怖かった…。
さて、私なりに最終公演をみて、
何かを気付いたような気がしていたのです。
それがなんだったのか。
今、あの日見た、大きな文字が浮かんできたのです。
ゆづくんが春よ来いを舞う前に。
守りたい
希望の夢の
命の続きを
と画面に映し出されます。
命の続きをという言葉が大きく浮かび上がったのは
最終公演のみではなかったか。
そんなふうに思ったのです。
ああ、これがきっとゆづくんの長い旅路の
最終的な大切なテーマ、メッセージなのだと。
命の続きを、生きてください。
命を大切にしてください、と。
劇的な日も、平凡な日々も、辛い日々も。
そうして、ゆづくんは僕は僕として生きていきますと。
本当は書いてはいいかはわからないけれども…。
ゆづくんはRE_PRAYの旅路の中で、
本当に辛い経験をされたと思う。
けれども、ツアーを完遂したのだ。
ゆづくんが語らない限りは、
私たちはもうゆづくんの私生活のあれやこれらを語ることは
いけないと思う。
ゆづくんが、ゆづくんとして生きることを決めてくれたのだから。
うまくは言えませんが、
ゆづくんは懸命に乗り越えたのだから。
5月の末にFAOIがある。
ゆづくんは、プロとして、また毎日を懸命に生きる。
それまでの日々を私はノッテステラータ公演の
カルミナ・ブラーナを見て鳥肌を立たせ、
ダニーボーイを見て、癒され、
RE_PRAYの日々を懐かしみ、
毎日を、命の続きを生きようと思います。
そうして、この北の大地にも桜前線がくるだろう。
桜を見て、
ゆづくんを思おう。
そんな日々を愛おしく生きよう。
ゆづくんへの感謝と愛をこめて。
タンタララ、タンタララとやさしい音が鳴ります。