昨日のBS日テレのノッテステラータ公演を

とても楽しみにしていました。

 

カルミナ・ブラーナが見られる!!

 

競技時代に、ゆづくんにカルミナ・ブラーナを舞ってほしいという声が

たくさんあって。

音源を聴きました。

恥ずかしながら、当時から曲の背景などはよくはわかりません。

ただただ、おどろおどろしいイメージで起承転結が

わかりませんでした。

 

今回、この曲を舞うにあたっての、ゆづくんからの

とても分かりやすいストーリーが伝えられました。

 

 

今回の、このカルミナ・ブラーナというものに関しては、まず自分が出てきたところは、

まだ世界をちゃんと知らない凄く無垢な少年でいて。

その中で幸せを感じながら生きている。

なんか冒険をしていたり、草花に触れてみたり。そんな凄く無垢な少年。

その少年が成長していくことによって、運命の女神が現れて運命にとらわれていく。

自分が自由に無垢に動くだけじゃなくて、運命の歯車に左右されていく。

自由には動けなくなっていく。

で、最終的にはその運命も全て受け入れて、自分がこの運命そのものと対峙しながら。

でも、自分の意志で進んでいくんだっていうストーリーがあります。

僕はこのストーリーの中に、何かその津波だったり、震災であったり、

今、能登半島のこともありますが、天災だったり。

そういう人間の力ではどうしようもない災害だったり、苦しみ…。

なんかそういう苦しみを感じたとしても、

そこに抗いながらもそれを受け入れて進んでいくんだっていう。

そういうメッセージみたいなものを込めたいなと思いながら全て滑ってはいます。

(スポニチさんより引用させていただきました)

 

難解な曲を、きちんと咀嚼して、自分の中でテーマを絞り切る。

これもまた才能なのでしょうが、

それをまた表現しきってしまうことに賞賛と、

ある種の畏怖さえも覚えます。

 

 

大地さんの圧巻の登場。

 

脇から、無垢な少年が現れる。

 

春を謳歌し、花を愛で、躍動する。

 

金色の薔薇。

 

トリプルアクセル!

 

それからゆづくんの口元がまるで歌うかのようだった。

 

(まさか、この曲をさえ、口ずさめるのかと思ってしまって。

それは歌うのではなくて、曲に呼応して呼吸する口元かもしれませんが、

そもそもこれはラテン語なのですか…。)

 

そうして、金色の薔薇の背景の音が、とても壮大で

なぜかふと2001年宇宙の旅を想起させて。

ツァラトゥストラはかく語りきでしたか…。

 

そうして運命の女神が現れる。

翻弄され、操られ、括られる。

 

このような動きはゆづくんのプロになってからの鍛錬が

とてもよく反映されていると感じる。

パントマイム的な動きの進化といおうか。

 

プロになってからの引き出しがこの難しい振り付けを

可能にしているといおうか。

 

 

やがて、その運命と対峙し、受け止め、自分の意志で進んでゆく。

 

猛ダッシュで、迷いなく、火花を散らすかのように。

 

 

ひとつだけ、残念なことはこの猛ダッシュで

進むところのカメラアングルでしょうか。

 

エブリイの放送のほんの一瞬で鳥肌が立ったのは、

その大いなる距離の長さにあったのかもかもしれません。

 

音と相まって、ゆづくんが舞台めがけて駆けあがってゆく。

 

そこは引きのカメラでお願いしたかった。

 

その部分に美しい大地さんのアップが写しだされて。

 

その全体像のアングルの何秒かが、鳥肌の出処でしたのに。

 

でも、すばらしいものを見せていただきました。

 

日テレさん、本当にありがとうございます。

 

 

 

ゆづくんの進化に、感想が、言葉が追い付きません。

 

いつか、舞台劇のような公演があったならどうなにかすばらしいでしょう。

 

そんな希望を抱いてしまいます。