今回は毛利元就に近い女性 2人目、元就の正室「妙玖」です。

 

出生年は不詳、吉川国経 の娘。名前もよくわかっていないらしく、法名が「妙玖」とされている。1518年に猿掛城にいた元就のに嫁ぎ、長男 隆元、長女 五龍、二男 元春、三男 隆景を生みました。亡くなったのは1545年(天文14年)死去。

 

前回紹介しました、元就 育ての母 杉の方 のお墓は現存していますが。元就の奥さんのお墓は、郡山城付近にあったのかもしれませんが、現存していないようです。

 

1997年(平成9年)放送の大河ドラマ「毛利元就」 では 美伊の方 名で登場、演じられたのは 女優 富田靖子 さんでした。

以下は 美伊の方 で話を進めます。

 

ここでは、美伊の方の里である、吉川氏の本拠城 「小倉山城跡」 がある広島県北広島町の風景をご紹介します。

 

(2020年5月撮影)

小倉山城の入り口。田園に囲まれたのどかな場所です。

近くには、高校野球で甲子園大会にも出場経験のある 広島新庄高校があります。

 

ここで吉川氏の戦国時代歴代当主を紹介。

※大河ドラマを御覧になった方は、イメージしやすいように俳優さんの名を( )で示します。

 

経基【鬼吉川と呼ばれていた頃】⇒ 国経(草薙幸二郎さん)⇒ 元経(ダンカンさん)⇒ 興経【毛利元就により誅殺】(京本政樹さん)⇒ 元春【毛利元就二男 吉川家へ養子】(松重豊さん)⇒ 元長(清水伸さん)⇒ 広家・(葵徳川三代 なべおさみさん)・・・・

 

吉川氏の武将といえば、毛利両川の一人として、弟の小早川隆景と共に毛利の発展の基礎を築いた吉川元春 や 関ケ原の戦いで、毛利家を守るために、徳川と内通して毛利不戦に持ち込んだとされる 吉川広家 は、よく知られている武将だと思います。

 

今回は戦国武将(男)についての話は置いといて、国経の娘 毛利元就(中村橋之助さん 現中村芝翫さん)正室(美伊の方=富田靖子さん)です。美伊の方はこの吉川氏の城 小倉山城で生まれ、毛利家に嫁いだ人です。

この上に美伊の里 吉川氏城館跡 小倉山城跡があります。


もう一人この城で生まれ、戦国武将に嫁いだ女性がいます。

経基の娘 で出雲の武将 尼子経久(緒方拳さん)正室 (萩の方=高畑淳子さん) です。

高畑さんという女優さんを初めて知ったドラマで、私の大好きな女優さんです。

毛利元就の奥さん と、尼子経久の奥さんは、姪・おば の関係ということになります。

 

 

美伊の方の祖父(萩の方の父) である 吉川経基(つねもと)の頃、吉川家の力は強大で、「鬼吉川」と恐れられていたそうです。

その鬼吉川出身の女性として、ドラマでは美伊の方、萩の方は、夫にハッキリと物申す女性に描かれていました。大河ドラマ 毛利元就 もう20年くらい前の放送ですが、いいドラマです。

 

過去の記事でも、このドラマについて触れています⇒⇒広島の観光地 第3回目 毛利元就の里 安芸高田市 吉田郡山城(その1 毛利元就墓所)

 

 

山道を登っていきます。そんなに険しい道ではありません。

二の丸跡

 

本丸跡付近。黄色い花(名前が分からない)がたくさん咲いていました。

 

(小倉山城跡散策案内パンフより) 戦国武将ファンの方はぜひ訪ねてみてください。

 

所かわって、小倉山城のすぐ近くにある「龍山八幡神社」(本殿=国の重要文化財)

1313年、吉川氏が駿河の国(静岡県)から大朝本庄地頭として入封した際、駿河国・吉香村から八幡宮の分霊を勧請したのが始まりだそうです。

神社拝殿

 

 

 

本殿。1558年(永禄元年) 元就の次男 吉川元春 が再建したもので、広島県内では宮島の厳島神社に次ぐ古い神社建物と言われています。

 

以上、毛利元就の正室 美伊の方 の里の風景でした。

 

美伊の方は47歳で、元就に先立ち亡くなりました。元就が厳島合戦に陶晴賢を討ち、その後大内氏の領国を平定、そして尼子氏を降伏させ、安芸・備後・周防など中国地方10数か国と、豊前・伊予の一部を領有する戦国大名になりますが、夫のその姿を見る事なくこの世を去ったという事になります。

 

近日中に、同じ北広島町にある「吉川元春の館跡」の風景を予定しております。

 

我が家にもようやく、特別定額給付金 の申請書がとどきました。待たされた感はたっぷりですが、市職員の方の事務負担を考えると、感謝ですね。お疲れ様です。しかしアベノマスクがまだ来ないんじゃけど。

 

今回もご訪問頂きありがとうございました。