今回⑥回目は 毛利元就 厳島合戦跡の風景 です。

町家通りから見た五重塔。2020年5月の撮影。コロナ自粛の影響で人気がありません。

 

 

 

毛利元就がこの要害山に築いた囮の城 「宮尾城」 の跡がこの上にあります。

 

宮島桟橋のすぐそばにある丘陵です。

宮尾城跡。ここに今伊勢神社と呼ばれる小さなお宮があったことから、宮尾城とよばれました。

宮尾城跡から見た、五重塔・豊国神社のある場所 陶 晴賢の本陣があった塔の岡。その間 約300メートル。陶軍は塔の岡付近の民家をすべて撤去させ、毛利軍の宮尾城への総攻撃に備えたそうです。五重塔の左に見えるのは、以前記事で紹介しました「大聖院」です。

塔の岡と宮尾城の間は、現在はこのように住宅がひしめいていますが、合戦当時は入り江だったそうです。

宮尾城跡から眺めた 霊峰 弥山。


要害山の宮島桟橋側の反対にある 今伊勢神社の鳥居と石段。

宮島名物 鹿。ここでは神の使いとして大切にされています。私が小学生の時、宮島へ遠足で訪れた時の事、海に近い広場でお弁当を食べていて、途中友達といっしょに浜辺に行きました。帰ってみると私のお弁当を鹿が・・・・。泣いた事を覚えています。神の使いに対する悲しい思い出です。

宮島には代表する2つの通りがあり、こちらは宮島で一番賑わう通り『表参道商店街』。お土産屋さんや、焼きカキ、アナゴ飯などのグルメが並ぶメイン通りです。平常時であれば、人でごった返している通りも、コロナ警戒宣言中は御覧の通り。


表参道商店街には、長さ7.7メートル、重量2.5トン、樹齢270年のけやきで作られた「世界一の大杓子」が展示されていますが、今別の所に移動されていて展示停止中です。(2006年撮影)

こちらは表参道商店街から山側に一本入った所にある「町家通り」。情緒豊かな町並みで、商店街とは対照的に、人通りが少なく落ち着いて歩ける道なのですが、この時はこの道の方が、地元の人の往来がありました。

 

所変わって、宮島桟橋から厳島神社の反対方向に歩いて約40分の所にある、「包ヶ浦」。1555年 9月30日 毛利元就、長男 毛利隆元、二男 吉川元春の毛利軍は暴風雨の中、対岸の廿日市から船でここに上陸、五重塔のある塔の岡に布陣する、陶軍に奇襲をかけました。

(以下、2006年9月24日 撮影)

 

 

 

毛利元就上陸の地付近の砂浜。この9月に発生し、九州や中国地方に甚大な被害をもたらした、台風13号の影響で、ゴミや流木が散乱していました。

カキいかだも被害に遇いました。

 

今回はここまでです。

 

次回は宮島の風景 最終回 「弥山」です。

 

今回も訪問頂きありがとうございました。