では広島城(その2)の続きを。
広島城 二の丸の櫓と表御門。ここも原爆で焼失しましたが、平成元年の広島城築城400年を記念して復元着手。平成3年に完成しました。当時この近くの会社で勤務していましたので、建設風景をよく見ていました。
大本営の左隣に「昭憲皇太后御座所跡」がありますが、・・・撮影し忘れました。昭憲皇太后は明治天皇の皇后です。ここも基礎の石がありました。
天守閣。今回は外観のみ。館内などは後日ご紹介します。
次は広島護国神社。初詣の時は参拝者でいっぱいになります。
少し読みにくいですが、神社の由緒が刻まれています。
廣島護国神社の御朱印。平成27年のものです。
次は護国神社のそば、マップでは赤丸で囲まれている「中国軍管区司令部の防空作戦室跡」 被爆当時、比治山高等女学校の女生徒が学徒動員されて、軍人と一緒に通信室で働いていたそうです。原爆が落とされた後も地下通信室の電話は無事で、生き延びた女生徒が「広島が全滅です」と伝えたそうです。これが広島が原爆被災した第一報だったそうです。
左の建物が地下通信室の入り口。
次は中御門跡。マップでは被爆時の火災で変色した石とあります。どの石か不明。
次は中御門跡そばの被爆樹木「マルバヤナギ」
次も二の丸にある被爆樹木「ユーカリ」
爆心地側の幹は原爆の熱線で黒く焼けただれたそうですが、今はこの通り元気です。「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんが子供のころに登って遊んだ木として知られています。
二の丸 表御門。
以上、広島城跡の紹介でした。
ご覧いただきありがとうございました。
また・・・・