【「敬遠中国」で高度成長、「日中友好」で「失われた20年」】:「敬遠中国」こそ繁栄への道・⑥ | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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 戦後の日本は米ソ冷戦の狭間で自由主義陣営に立ち、ソ連陣営に入った中国とはまったく関係を持たなかった。日中平和友好条約が締結された昭和53(1978)年までの約30年間、日本は江戸時代や明治時代に戻ったような「敬遠中国」の時代を迎えた。


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 しかし、まさにこの「敬遠中国」の時代において、日本は廃墟から立ち上がり、奇跡の高度成長を成し遂げ、自らを世界屈指の経済大国・民主主義先進国へと変貌させた。1950年からの30年間は、日本にとって安定と繁栄の時代であった。

 しかも、この30年間における日本の経済成長と繁栄は、ほとんど「中国要素」とは無関係に達成された。


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 しかし「日中友好」が持て囃された1980年代以降、日本の政治・経済とも、おかしくなり始める。それまで日本の首相は普通に靖国参拝をしていたのが、1985(昭和60)年の中曽根首相の参拝を機に、中国が批判の声を上げ、日本にとって最大の外交問題の一つに発展していく。



 尖閣諸島も、中共政府は当初「棚上げ」にしていたのにも関わらず、1992(平成4)年に「領海法」という国内法で「中国の領土」と規定。その後、声高に主張を始め、調査船などの侵入を繰り返す。



 経済面でも、日銀の円高政策もあいまって、多くの日本企業が中国進出し、安価な中国製品を日本に逆輸入することで、国内がデフレとなり、失業率も高まった。さらに中国政府は当初は日本企業を積極的に誘致していたのに、経済が発展すると、手のひらを返したように反日暴動の標的とする。



「敬遠中国」から「日中友好」に転換した途端に、日本の政治も経済もおかしくなり始めたのである。


(文責:伊勢雅臣)