黒船に象徴される欧米諸国のアジア侵略から、国を守るために、我が国は幕藩体制を一新し、明治新政府は近代国家建設を目指した。欧米諸国に対抗するためには、軍事的には西洋文明の科学技術を急速に導入する必要があり、政治的には西洋的な立憲民主政治の確立により国民の活力を引き出す必要があった。
そして、その対極にあったのが、旧態依然たる中国、朝鮮であった。
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総じていえば、明治期の日本は中国に対してそれほど興味をもたなかったし、中国問題への余計な関与や中国大陸への深入りを極力避けていた。いってみれば当時の日本は、目を西洋の世界に向けたまま、文明としての「中華」にも、国家としての清国にも「敬して遠ざける」姿勢を貫いた。まさに「敬遠中国」である。
明治期の日本が成功した理由の一つは確実にこうした対外姿勢にあったのではないかと思う。「敬遠中国」の外交路線を貫いたおかげで、日本は中国との紛争や中国の内乱に巻き込まれることなく国内の富国強兵に専念できたし、力を集中させて最大の脅威であった帝政ロシアとの決戦に備えられた。
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しかし、文明開化の成功によって、わずか半世紀で世界の五大国の一つにのし上がった日本が世界を見回してみると、改めてアジア・アフリカのほとんどが欧米諸国の植民地に搾取されている現状が再認識される。
「陸軍のドン」元老・山県有朋は、第一次大戦勃発に際して、次のような意見書を政府に送っている。
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今日の世界政治の重要な動因は人種闘争であるから、西洋諸国が戦後再び極東に関心を注ぐようになる。そうすると白人種が提携してアジア人に立ち向かうようになる恐れがある。したがって、わが国としては白人種の将来の攻勢にそなえて、日中の提携をこの際、固めなければならない。
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人種差別と戦おうという道義心から、有色人種、そしてその中でも最大の中国と連携しようというアジア主義が芽生えてくる。しかし、日本人の道義心からの呼びかけに、中国は応えなかった。
中国共産党はソ連の手先となり、蒋介石は米英ソの支援を受けて日本と戦った。香港やシンガポール、マレーシアの華人社会は、英国の植民地支配の手先として現地住民を搾取する側に回っており、日本軍と戦う方を選んだ。
そして大東亜戦争の敗戦。満洲や中国・朝鮮に移住していた日本人は命からがら、逃げ帰ってきた。日本企業も現地に設備・資産を残したまま撤退。こうして日本近代史の最大の悲劇は、中国への関与から引き起こされた。
(文責:伊勢雅臣)