【権力者が私利私欲を追求すれば政権崩壊する】:「敬遠中国」こそ繁栄への道・④ | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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 中国との交易を進めた平家および足利氏が短命ないしは弱体政権に終わり、中国を敬遠した鎌倉幕府や江戸幕府が長期安定政権を築けたのは何故だろうか。以下は弊誌なりの考察である。



 そもそも、政権を握った者が自ら対中貿易を目指すということは、権力を使って「私」の利益を追求する、ということだ。そこには自らの権力を「公」のために使うという使命感がない。義満が勘合貿易のために、皇室を無視して「明の臣下としての日本国王」の立場に甘んじたのも、その私心の現れの最たるものである。



 それに対して、鎌倉幕府は天下を治める責任感を持っていた。たとえば、元のフビライが「通商して好(よしみ)を結ぼう」との国書を寄せた時、一部の公家が南宋との貿易で莫大な利益を上げていたこともあって、「形だけでも属国となって、交易で利益を上げれば」との意見も出ていた。



 しかし、将軍時宗は国書の表書きを見て、「これは無礼な」と眉を逆立てた。「大蒙古国皇帝奉書」と上段に書かれた後に、小さく「日本国王」と書いてあったからだ。


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 礼なければ仁(おもいやり)なく、仁なき交わりは、禽獣(動物)の交わりにもおよびません。

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 ここから鎌倉幕府の元に対する戦いが始まるのだが、将軍が「公」のためには「私」の利益を無視しても戦う、という姿勢を示せば、全国の武士が将軍の下に一致団結して立ち上がったのも当然である。鎌倉幕府にはそのような「公義」の使命感があった。



 江戸幕府についても、3代将軍・家光の異母弟かつ4代将軍・家綱の後見役として「徳川の平和」を築いた保科正之、また天明の大飢饉でも一人の餓死者も出さなかった米沢藩主・上杉鷹山の足跡を辿れば、江戸時代の繁栄の土台として、為政者の「背私向公」があった事が窺える。



 逆に足利氏のように、「公」を無視して、将軍が私益を追求すれば、家臣も同様に主君の権力を奪おうとしたり、隣国の領地を犯そうとする。そうなれば、幕府が内部分裂して、弱体化するのも当然である。そしてその結果が長き戦国時代であった。



 もともと中国大陸は地方の権力者や異民族が入り乱れて、私利私欲の戦いの絶えなかった土地柄である。為政者としての理想を説いた儒家や、公のために統治を行った名君もいたが、大勢としては「悪貨が良貨を駆逐」してきた社会と言って良い。



 そういう中国と、私心を持った日本の権力者が金儲けを目当てに付き合おうとすれば、日本国内も下克上と内紛で収まりがつかなくなり、その結果が政権崩壊となる。「朱に交われば赤くなる」とは、この事である。


(文責:伊勢雅臣)