私はこの世の物事、すべてについて
メリット・デメリット、良くも悪くも、一長一短など
があり、絶対的な価値観などないと思っています。
今、何不自由なく幸せな時代を生きている
ように感じますが、それは今をたまたま生きている
自分の主観であって、古い時代の人間たちも多分、
例えば 『最近の若い奴は~』 などと考えていた
中高年の方々がいらっしゃったと思います。
事実、そういった古文書があると物の本で
読んだ記憶があります…。
(なんだったっけ?)
この、なんだったけ?というのが今回のテーマ。
最近口癖のように言い始めていて、
『あぁ、年を取ってしまったなぁ…』
という感覚とは別に、
便利になりすぎて、
時代の流れが早くなり過ぎて、
新しいモノが溢れて入れ替わりが激しすぎて、
『脳』 という記憶装置に留めて置く
キャパシティーを超えている今を
生きているんだなぁと、
便利になっているようで、引き換えに
失っているもの、それは自分に取って
本当に必要なもの、大切なことを
記憶やココロに留めて置けなくなってきている
ような気がしている毎日を送っています。
約20年前、大学受験生だった頃、
予備校では授業をカセットテープに録音して
受けていた時期がありましたが、
録音していると安心して復習が出来るという
“油断” が発生して返って予習にも
実際の授業にも身が入らず、
録音したテープも聞かないで溜まっていく一方で
浪人生になってしまったことを思い出しています。
今、非常に便利です。
パソコンの普及で、漢字は変換すれば出てきますし、
記憶に及ばないことも検索すれば何かしらヒントで
簡単に素早く出てくる世の中です。
私の小中学生時代は、漢字は100問テストなど
定期的にやって、実際に書いて頭に叩き込んだ
“経験” としての 『記憶』 があるおかげで、
今こうして字をパソコンで書いていても
サクサク書けている感覚があります。
しかし、人の名前や世の中のいろんな事物について
今後体力同様衰えていくであろう記憶力を考えると、
便利になりすぎた今を中高年に差し掛かって生きる
一抹の恐ろしさがあります…。
『脳』 という “器” が飽和して、
現実を把握する材料となるべくものが
分からなくてなってしまったとしたら…、
自分自身にとっての “現実” すら
記憶喪失で分からなくなったりしないか、
自信がない今日この頃。
※ 最近、身近な同世代と
『ほら、ほら、ほら、あの人! あの人!』
で話が通じてしまう現象が多発しています。
なんて恐ろしい!!!
認知症を遅らせるように母を介護していると、
将来の自分もまた、老いていくわけで、
そういった覚悟や準備は必要だな…と
感じます。