生命を削って闘うスポーツ。
F1グランプリ。
そのスターと言えば、やはり
アイルトン・セナ
であっただろう。
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2度目のチャンピオンを決めた
1990年の最終戦。
オーストラリアGPでF1は500戦目
を迎え、往年のチャンピオンである
ジャッキー・スチュワートと論争
していたことを思い出している。
『ドライバーは常に危険と
隣り合わせで競争しなければ
ならない。
隙間を突いて行かない奴なんて
ドライバーとして失格だ。
(中略:ここ数年のF1について)
マシンパワー・タイヤグリップ・
空力特性が非常に似ているので
マシンは非常に接近して走る。
でもサーキットは追い越しが
難しいように設計されているから、
プロドライバーとして勝つ信念が
ないと下位に甘んじてしまう。
いつも完璧な走りはできないから、
たまにはミスもする。
僕は3位や4位になるためじゃなく
勝つために走っている。
賛否両論だろうけど走るのは
僕だから、自分の思った通り
にしかできないよ』
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そして、この4年後。
1994年5月1日。
サンマリノGP イモラ・サーキットの
高速コーナー、タンブレロにて
セナは生命を落とすことになった。
その真後ろを、のちの皇帝
ミハエル・シューマッハが走っていた。
憧れだったセナと同じ土俵に上がり
そして、闘えるようになったと同時に
目の前で消えていってしまった。
シューマッハは、セナの葬儀に
参列しなかった。
同じように生命を削って闘う者として、
その遺志を継ぐためには
生身の心情が耐えられないだろうと
想像がついたからだと思う。
その翌年、ひっそりと妻だけを同伴し
ブラジルへ墓参したと聞いている。
動画の中で、2000年イタリアGPで
通算41勝と 『セナに並びましたね』
と問われた時の言葉にならない涙…。
憧れだったセナと記録で並んでも
超えられないという想いは
シューマッハが一番知っていた
のかもしれないし、
また、若くして遺志を継ぎ
牽引してきた肩の荷が降りた
やはり言い様のない哀しさ
があったんだと思います。
同じ世界に生き、そして
同じように 『孤高』 を目指して
『孤独』 と闘い 『成果』 を得た
2人だから共有し得た心情
だと思うのですが、
シューマッハには、それを
分かち合いたいセナがもう
この世にはいないんですよね。
最近、こうした
言葉にならない 『想い』
という実態のないものに
敏感に反応してしまう自分に
残しておきたい記事が増えたな
と、シミジミ感じています...。
昨日でセナが天に召されて
18年が経ったわけですが
グランプリのたびに中継を
楽しみにしていた自分も
歳をとったなと
感慨深いものです。