37回にも渡る昨年のシリーズ
http://ameblo.jp/nabechalin/day-20111219.html
【謎の外人・エディソン(37)】
:独り善がりな人々…。最終回
昨日までの連載
【謎だった外人エディソン氏(驚きの再出現編・最終回)】
:3者面談(5) 記念写真
連載の続編を書くにあたり
前置きがあまりにも長くなっていくので
今回は、前日の記事でキリが良くなったことをうけ
今までの経緯を整理して記すに止めます…。
_____2011年までのあらすじ_____
エディソン氏は、2009年9月に近所の外国人の
奥さんからの連絡を受けて、
我が屋の下宿に入ってきました。
会社が倒産し、バッグ1つでファミレスをウロウロ
しているところを、母親が好意で救いました。
しかし、母親はその時、そう状態にあり
私の忠告を無視し、彼を受け入れてしまった…
母親は、そう状態からか?
彼に必要以上にお金を都合してしまいました。
それも外車が3台は買える金額です。
困っている彼を助けたい気持ちは尊いですが
結果的に彼が全て焦げ付かせてしまったために
うつが再発し、そして段々と意識障害になり
なんと、2011.3.11の大震災を知りません。
その後、計画停電で通院先を失い、
病院に連れていくこともかなわず、
在宅医療で繋いだのち、ネットでどうにか
探し当てた病院での外来で
『死にたい』
と言ってしまったがために、その場で
【医療保護入院】
になりました。
・・・・・・・・・・・・
私はその顛末の全ては、彼と母親の
『連帯責任』
だと思っています。
つまり、そんな返すアテも無く借りる方も
何の書面も遺さず貸す方も悪い。
彼はチリ人で、20年住み慣れた日本語は達者
ですが、“同音異義語” などのある難しく
でも深く美しい日本語は読みも書きも出来ません。
なので、借用書なども書いていません。
ですから、これは家族として財産を護れなかった
私の責任でもあると考えて 『連帯責任』 として
彼との縁を切ることが、一番良いと思っていました。
・・・・・・・・・・・・
昨年の母親の 【医療保護入院】 より
大分以前から、私は彼に対して
『母親には連絡はしないで欲しい』
と言っていましたので、
エディソン氏はそれを守っていました。
健康上精神衛生上、母親の保護者になった私の
当然の措置だったと思っています。
ひたすら、エディソン氏自身、自分の自立を
考えて出来ることをやって、こちらの心配などは
しないで欲しいと、暗に遠ざけていました…。
しかし、今年になって彼は私を通じて
また当家に近付こうとする動きを出し始めます…。
_____2011年までのあらすじ終了_____
次号は、2012年年頭からの出来事の前編です。
今後のエディソン氏や母親を通じて感じたことを
書き綴っていくであろうお話の基本となります…。
これら経験を旨に、今後も私なべちゃりんは
人生勉強の一助にしていけたらと思っています…。