【謎の外人・エディソン(34)】:独り善がりな人々…。母親を救い出せて(1) | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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__________前号から、抜粋______

◆もし、愛読して下さっている方が
 いらっしゃいましたら、次の
◆まで、すっ飛ばして下さい…。




2009年9月1日。

近所の外国人妻の知り合いで勤続していた会社が
倒産し、ファミレスを渡り歩いていたエディソン
というチリ人が、当家下宿に流れ着いて来ます。


長年、そううつ病に苦しんでいた母親はこの時
『そう状態』にあり、この素性の分らない外人に
私の忠告を押し切って、大金まで都合してしまった…。



金額は、実に分かっているだけで限りなく
桁を超えそうな数百万円…。


彼の企ては、その借金を元本に飲食店を経営して
日系ハーフの奥さんと子供2人をチリから呼び寄せ
いずれは日本人として暮らしていきたいというもの。


2010年2月に数十万の返済はあったものの、予定して
いた開店計画は一向に進まず、借金だけは必ず第一に
我が家に返したいと言います。

その返済計画は、故郷であるチリの自分の土地を
売って金に換えて母親の口座に返済するという…



2010年8月…

約束の期日に振込みがなく
エディソン氏への真を失っていた頃、


事件が起こります。…


2010年8月28日。



エ:『ワタシ、な~んにも悪いことシテナイ』
  『なのに、警察署に送られるんです!!!』


は? は? は? は? は?



$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-2011_06_19 (11)

プライベートの出先で急行出来なかったため、
後日エディソン氏に確認して発覚した事件。


『エディソン氏、〇〇弁当つり銭詐欺疑惑事件』

である。



2010年8月18日に事件は起こっており、
10日後の8月28日、エディソン氏は
〇〇弁当最寄り駅の店長に交番へと
連行された上、





         覚

〇〇弁当と貴方との間に存在する民事上の争い
の一切を和解するものとする・…


という和解文書にサインしてしまった
のである!!!



※アルファベットで署名:A・Edison


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-〇〇弁当

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エディソン氏は事実無根だとあとで私に主張するが、
日本語の読み書きも出来ずに自分の無実の罪を認め
そしてなし崩しに和解してしまった…。

彼への心象は失墜した。



私は警察にも〇〇弁当側の店長及びお客様相談室にも
事実関係を問合わせたが、警察は民事不介入を理由に、
また弁当チェーン側はマニュアル通りの対応であり
【法的措置】にでない限り証拠は示せないと言う。


証拠も示さず、人を疑い、交番に通報する?


全く意味不明です…


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お客様相談室のタカセ氏は


『私、及び、当社を脅すのですか?』
『あなたの発言は録音されていますよ』
『彼はつり銭詐欺を繰り返すと報告されています』


とまで言ってのけたが、後で私の携帯に


『先ほど申し上げました商店街で噂が出ている
 という件に関しましては状況証拠でして
 取り上げた件、謝罪申し上げます』

と、噂については謝罪の弁を遺してきた。



噂などを取上げるのなら証拠の開示を再三求めても

『申し上げられません』の一点張りで

『現場の証拠(店長の責任?)は追求せず、
 相談室に一括して対応させて欲しい』

と約束させようとします。



私は何かを隠蔽し当事者ではないことをもって
私を遠ざけようとしてはいないだろうか?

と直感します。

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まずは、エディソン氏が詐欺を繰り返すという
状況証拠に根拠があるかの聞き込み調査を
地元商店街で開始。



当該の〇〇弁当の向かいにあるコンビニの店長から
開店前から内装工事を優先し、自転車との人身事故
を起こしていながら無視しようとした件は、
商店街では知られていることで、



『あの弁当チェーンの経営陣はChina系だから
 相手にしない方がいいですよ。』

とまで聞き及ぶに至る。


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相手は全国展開するチェーン店なので当然、
【顧問弁護士】 もいることだろうから、
論破するには、法的な専門家に客観的な目で
判断してもらうことは必要不可欠である。


私は無料で相談できる法テラスや区民法律相談室
へ電話して予約を取り、弁護士さんに一部始終を
お話したり、元マスコミ業界出身の伯父
(母親の兄)に相談したりするが…



答えは同じ。

本人が冤罪を晴らす気がなければ意味がない。


私もそれは同じ思いであり、当事者でない自分の
限界に気付き始めた。


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そして…


2010年暮れ。

エディソン氏の下宿を最初にお願いに着た元コロンビア人妻が
玄関先へ現れ、エディソン氏は実は彼女からも200万円の
借金をしていると伝え聞くことになる。

『私はエディソンさんの妻と友人だから大ジョブ♪』と言う。



何の根拠で言ってんの???



私は呆れた。


これはもう諦めることも考えなければいけない
と思った。


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病状に障るといけないので、本当に貸し出した金額を
聞いていなかったが、母親の方から本当のことを言った…。



2009年9月1日にエディソン氏が転がり込んですぐ
数百万を現金化し、必要に応じて数十万円ずつ貸出し
最終的にこの金額の倍額がエディソン氏に渡していた。


さらに、10月某日に証券会社から数百万(外車1台分)
解約した分は…。





全額、エディソン氏に貸出し、それについては
2人で秘密にしていることを白状した…。





しかし、エディソン氏に事実関係に確認すると
母親とシークレットにしている手前か白状しません。

彼は明らかに動揺をしていました。



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そして、年が開けて2011年。。。


母親は週一度の通院のための身支度までも出来なくなり
段々と日常生活に支障が出て、介護が必要になった時、



2011年3月11日を東日本大震災が発生した。。。




【計画停電】 によって通院先を失った母親のためには、
在宅医療が必至となり、どうにか橋渡しをして下さる
NPO法人を知ることが出来き、医療の目処はたてられた。



しかし、4月になって母親は異常な頻尿に見舞われ、
大きな病院で入院させなければならない事態になる…。


紹介状を頂いたが、先方の病院からはまず外来で診察し
その上で待機リストに入って2~3ヶ月待ちだという。


再び袋小路に入ってしまったが、私は高齢者のうつから
入院治療を積極的にやっている病院を検索しまくり、
当たって砕けること数回、


ついに五反田にある●●(旧電信系公社由来)病院に
繋がって、外来で看てみてその場で必要に応じて
善後策を講じましょうという回答を得るに至る。。。



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『私は死にたいんです』

と朦朧と言ってしまった母親は
【医療保護検査入院】 が決まってしまう。



本人の意思に関わらず 【医療保護検査入院】 となったため
私が医療上の保護者になり、同居家族以外に保証人として
兄が認定されることを必要とした。


兄は差額ベッド代1日2万円という高い入院費に怯えたのか、

『どうにかしてエディソンからお金を返してもらおう』


と言い出し、知らないうちに友人の知り合いの弁護士さんに
連絡を付けて、横浜まで訪ねることになった。


しかし、どこにも証拠が残っていないことだし、
第一エディソン氏の身分証明も分らないので、
これは徒労に終わってしまう。



エディソン氏は震災のだいぶ前に、我が家に断りもなく
八王子の自分の友人宅へ居候となり、 『プー太郎』
となってしまったようだが、とりあえず母親の回復を待ち、
もう一度しっかり私も含めて話し合いを持つことと、
状況が変わることがあったらすぐに私に連絡するように
と約束させた上、2階に残された彼の荷物は
そのまま置いておくことを許可した。



一方、母親は精神科での入院とあって自他共に害を及ぼす
危険性があるという観点から、【拘束ベッド】 によって
身体をベルトで固定されることになったが、

入院前からの瀕尿は 【膀胱炎】 によるものであったため、
2・3分で尿意のため意識朦朧のままナースコールしている。

『なんでこんなところに閉じ込めるのよ!』
『あんたの顔なんか2度と見たくない!!!』

という母親の 【被害妄想】 に私は苦しめられた。




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5月の連休後、各科連携した様々な総合鑑別診断の後
初めて担当医のS田先生から報告を受けることになります。


先生は私と同い年であり、母親と同じ関西出身で、そのご実家に
うつを発症した時の我が母と同い年のお母様がいらっして、

『私の母親を看るつもりで、お母様を必ず治しますよ』


という一言を頂けた。救われたような感がしました。



しかし、また一方で回復したとして何年後かに認知症に
なっていく可能性や、予防的に発症を遅らせる治療の継続が
欠かせず、家族の負担を考えたらいずれは施設に入れた方が
良いかもしれないともお話いただきます。




いつ、どういう状態まで回復して、
母親が退院後どのような生活が送れるのか、
全くイメージが出来ず、

その上、その時まで入院治療費がどのくらい掛かっているか

種々考えると、私の気持ちは荒んできて
極力出費を抑えようと外出を控えるようになり
加えてストレスから過間食が始まり、
6月の上旬には顔つき体重に現れてしまった…。



そんな頃…




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エディソン氏から電話が掛かってきた。


『私のトモダチが解体のシゴトを紹介してくれました。

 おシゴト先がつくばなのですが、八王子からの
 コウツウヒを貸してモライタイのですが?』





は? は? は? は? は?








◆ここまでワープ◆








私はまたもや耳を疑いました。



当家の下宿に無一文で転がり込んで、
数百万円もの借金を繰り返し店を開いて
妻子を呼んで自立すると言っていたが、ついに出来ず
家賃と電気代を滞納したまま勝手に当家からいなくなって
目先のバイトをしに外国人の友人宅へと転居して、


今度は、現在地の八王子からの交通費を要求する…。



いったい、エディソン氏はどういう料簡なのでしょう?



私は、この辺りで関わりを持つことに気持ちが悪くなりました。



見込みのない債権を増してもバカバカしいので
当然お断りすることにしました。



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6月の初旬になって母親は、リハビリの説得を受け入れ
身体機能の回復と意識障害も無くなって
顔に表情が戻ってきた。


6月の中旬には夕方までの一時帰宅を敢行。。。


6月の下旬には、外泊訓練として2泊3日
自宅に帰ってみて、生活の上での問題点を洗い出し
受け入れ態勢を整えるまでに回復していったのである。。。



しかし、2010年の暮れ以来、震災を挟んで約半年間の
記憶が母親には断片的でしかなく、

衰えてしまった身体能力と、そんな自分と今後どのように
付き合って行くか、悩んでいるようでもあった…。



病院でこそリハビリは出来たが、今後は自分の意志で
健康管理や機能回復、そして体力維持に努めねばならない。








_____以上、前号から編集・抜粋______





一番の問題は、母親自身が自分の心身の健康について
自己管理が難しいようであったら、介護認定度なりの
公共サービスを受け入れてもらわなければならないこと。



病院では、リハビリを開始するに当たってやはり拒否の
反応があった。それは、病院のリハビリ施設を利用する
患者さんの様子を見て自分と照らし合せたのだろう…。



『私はこの人たちと同じように身体機能が衰えたのか…』


と、ガッカリしてしまったに違い無い。



しかし、病院では規則正しい生活でコントロールされていて
逆に病室に残っていても、やることなどないのである。

退屈紛れに応じたリハビリで、持ち前の運動神経の良さが
やや甦り幸いしたようだった。


介護師の方に誘われて歩行訓練と称した 『病院探検』 も
今にして聞いてみると楽しかったと言っている。




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退院を間近に控えて7月中に最も苦労したのが、




介護保険を利用したサービス受け入れを説得すること。





本来、うつになってしまう人である。

衰えてしまった機能を回復させる焦りもあっただろう。



その性格から、リハビリが軌道にのった段階で、今度は
個人的なリハビリとして病棟を歩き回っていた。


見舞いに行くたび病室にいないこともあった。





『まさか、徘徊じゃないだろうな???』





何かに焦ったり、ハッとした衝動のために
気がついたら歩いている…。

しかし、何しに歩いているか分らない…。



我々でも、例えば紙を切りたいと思って
別室にハサミを取りに行ったのに、

別室へ到達した途端に…


『何しに来たんだっけ?』


となる、あの現象がご老人には連続している…




私は介護という現実に関わるようになって、
認知症や徘徊についてそういう理解に及んでいました。




だから、認知症の予防治療をしている母親は、きっと


ベッドにいる時には本来の生真面目な性格から

『このまま寝ていてはいけない』


という焦りと、記憶や身体機能がおぼつかなくなった
自分自身と闘うために病棟を歩いているのだと、

そういう風に捉えていました。




また、うつで苦しむ母親に対して、
神様は悩み苦しむことから解放するために



『忘れる』 機能を与えて下さった



と感じるようになりました。





このような母親の焦りや衰えに対する闘いと、
悩みから来る苦しみに対処すべく全てを忘れてしまう機能を






私はコントロールしていかなければいけない。。。








そのためには、自宅に帰った時まさか四六時中は看ている
ことは出来ないので、介護保険を利用しながらリハビリを
継続してもらわなければいけない。



しかし、やはり根本的に 『ココロの病』 があったのだから
母親本人にどう受け入れてもらうか。。。



この点が最大の苦心になっていった…。




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7月になって、担当医の先生から呼びだしがあり
正式に病名について特定が出来たと説明を受けた。








【パーキンソン症候群】






原因は特定することは出来ないが、

まず高脂血症による動脈硬化、そして今回は
脳に血栓が出来て記憶や意識障害が発生したこと、

これは脳血管性パーキンソニズムとして考えられ、
2010年の年末から小刻み歩きを始め身体の筋肉を
動かしにくくなっていたことから考えられる。


また、これまで長年に渡るうつ治療による投薬の
副作用からくる薬剤性パーキンソニズムも
十分に考えられるということであった。




いつ、どの時点で、どうしていれば防げたか?


それを言い当てることは困難だったが、



しかし、先生は今回の症例で言えることとして





入院させるのが早すぎても遅すぎても
同様の治療を施してここまで回復させることは
非常に困難であったということでした。






絶好のタイミングで入院させることが出来て、そして



必ず治します




と言い切る私と同い年の先生に巡り合えたことは、
本当に良かったと思いました。





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7月の中旬になって、ようやく介護保険の利用について
母親自身が受け入れる決心をしてくれました。


本人がかつて、祖母を介護した時にヘルパー2級まで
取得して現実を知っていただけに、気持ちの上でなかなか
受け入れ難いものがあったようでしたが、


帰宅訓練を繰り返し、ケアマネージャーさんとも会って
お話する中で、段々と周りの人たちの支えに対して
応えたいという気持ちに変わっていったのでしょう。




ようやく介護認定を受け直して、【要介護認定1】 を
取得し直し、お盆休みの8月中旬退院で話がまとまった
のである…。



$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-先生と…

先生と母親。


退院を1週間後に決定して、ここでの入院生活を
忘れないものにするために撮った1枚です。






続く…