【謎の外人・エディソン(33)】:独り善がりな人々…。震災を越えて(12) | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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なべちゃりんブログは、ここにあります♪


__________前号から、抜粋______

◆もし、愛読して下さっている方が
 いらっしゃいましたら、次の
◆まで、すっ飛ばして下さい…。




2009年9月1日。

近所の外国人妻の知り合いで勤続していた会社が
倒産し、ファミレスを渡り歩いていたエディソン
というチリ人が、当家下宿に流れ着いて来ます。


長年、そううつ病に苦しんでいた母親はこの時
『そう状態』にあり、この素性の分らない外人に
私の忠告を押し切って、大金まで都合してしまった…。



金額は、実に分かっているだけで限りなく
桁を超えそうな数百万円…。


彼の企ては、その借金を元本に飲食店を経営して
日系ハーフの奥さんと子供2人をチリから呼び寄せ
いずれは日本人として暮らしていきたいというもの。


2010年2月に数十万の返済はあったものの、予定して
いた開店計画は一向に進まず、借金だけは必ず第一に
我が家に返したいと言います。

その返済計画は、故郷であるチリの自分の土地を
売って金に換えて母親の口座に返済するという…



2010年8月…

約束の期日に振込みがなく
エディソン氏への真を失っていた頃、


事件が起こります。…


2010年8月28日。



エ:『ワタシ、な~んにも悪いことシテナイ』
  『なのに、警察署に送られるんです!!!』


は? は? は? は? は?



$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-2011_06_19 (11)

プライベートの出先で急行出来なかったため、
後日エディソン氏に確認して発覚した事件。


『エディソン氏、〇〇弁当つり銭詐欺疑惑事件』

である。



2010年8月18日に事件は起こっており、
10日後の8月28日、エディソン氏は
〇〇弁当最寄り駅の店長に交番へと
連行された上、





         覚

〇〇弁当と貴方との間に存在する民事上の争い
の一切を和解するものとする・…


という和解文書にサインしてしまった
のである!!!



※アルファベットで署名:A・Edison


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-〇〇弁当

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エディソン氏は事実無根だとあとで私に主張するが、
日本語の読み書きも出来ずに自分の無実の罪を認め
そしてなし崩しに和解してしまった…。

彼への心象は失墜した。



私は警察にも〇〇弁当側の店長及びお客様相談室にも
事実関係を問合わせたが、警察は民事不介入を理由に、
また弁当チェーン側はマニュアル通りの対応であり
【法的措置】にでない限り証拠は示せないと言う。


証拠も示さず、人を疑い、交番に通報する?


全く意味不明です…


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お客様相談室のタカセ氏は


『私、及び、当社を脅すのですか?』
『あなたの発言は録音されていますよ』
『彼はつり銭詐欺を繰り返すと報告されています』


とまで言ってのけたが、後で私の携帯に


『先ほど申し上げました商店街で噂が出ている
 という件に関しましては状況証拠でして
 取り上げた件、謝罪申し上げます』

と、噂については謝罪の弁を遺してきた。



噂などを取上げるのなら証拠の開示を再三求めても

『申し上げられません』の一点張りで

『現場の証拠(店長の責任?)は追求せず、
 相談室に一括して対応させて欲しい』

と約束させようとします。



私は何かを隠蔽し当事者ではないことをもって
私を遠ざけようとしてはいないだろうか?

と直感します。

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まずは、エディソン氏が詐欺を繰り返すという
状況証拠に根拠があるかの聞き込み調査を
地元商店街で開始。



当該の〇〇弁当の向かいにあるコンビニの店長から
開店前から内装工事を優先し、自転車との人身事故
を起こしていながら無視しようとした件は、
商店街では知られていることで、



『あの弁当チェーンの経営陣はChina系だから
 相手にしない方がいいですよ。』

とまで聞き及ぶに至る。


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相手は全国展開するチェーン店なので当然、
【顧問弁護士】 もいることだろうから、
論破するには、法的な専門家に客観的な目で
判断してもらうことは必要不可欠である。


私は無料で相談できる法テラスや区民法律相談室
へ電話して予約を取り、弁護士さんに一部始終を
お話したり、元マスコミ業界出身の伯父
(母親の兄)に相談したりするが…



答えは同じ。

本人が冤罪を晴らす気がなければ意味がない。


私もそれは同じ思いであり、当事者でない自分の
限界に気付き始めた。


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そして…


2010年暮れ。

エディソン氏の下宿を最初にお願いに着た元コロンビア人妻が
玄関先へ現れ、エディソン氏は実は彼女からも200万円の
借金をしていると伝え聞くことになる。

『私はエディソンさんの妻と友人だから大ジョブ♪』と言う。



何の根拠で言ってんの???



私は呆れた。


これはもう諦めることも考えなければいけない
と思った。


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病状に障るといけないので、本当に貸し出した金額を
聞いていなかったが、母親の方から本当のことを言った…。



2009年9月1日にエディソン氏が転がり込んですぐ
数百万を現金化し、必要に応じて数十万円ずつ貸出し
最終的にこの金額の倍額がエディソン氏に渡していた。


さらに、10月某日に証券会社から数百万(外車1台分)
解約した分は…。





全額、エディソン氏に貸出し、それについては
2人で秘密にしていることを白状した…。





しかし、エディソン氏に事実関係に確認すると
母親とシークレットにしている手前か白状しません。

彼は明らかに動揺をしていました。



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そして、年が開けて2011年。。。


母親は週一度の通院のための身支度までも出来なくなり
段々と日常生活に支障が出て、介護が必要になった時、



2011年3月11日を東日本大震災が発生した。。。




【計画停電】 によって通院先を失った母親のためには、
在宅医療が必至となり、どうにか橋渡しをして下さる
NPO法人を知ることが出来き、医療の目処はたてられた。



しかし、4月になって母親は異常な頻尿に見舞われ、
大きな病院で入院させなければならない事態になる…。


紹介状を頂いたが、先方の病院からはまず外来で診察し
その上で待機リストに入って2~3ヶ月待ちだという。


再び袋小路に入ってしまった。



私は高齢者のうつからくる入院治療を積極的に看る
病院を検索しまくり、当たって砕けること数回、


ついに五反田にある●●(旧電信系公社由来)病院に
繋がって、外来で看てみてその場で必要に応じて
善後策を講じましょうという回答を得るに至る。。。



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『私は死にたいんです』 と朦朧と言ってしまった母親は

即刻 【医療保護検査入院】 が決まってしまう。



差額ベッド代は1日2万円と異常に高く、3ヶ月目処に
換算すると、エディソン氏に貸し出したであろう金額の
約30%に相当する250万円以上は覚悟せねばならない…。

しかし、今は入院させることが最善の策だと信じて
先生に託す決意をしたのである。


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本人の意思に関わらず 【医療保護検査入院】 となったため
私が医療上の保護者になり、同居家族以外に保証人として
兄が認定されることを必要とした。


兄は高い入院費に怯えたのか、

『どうにかしてエディソンからお金を返してもらおう』


と言い出し、知らないうちに友人の知り合いの弁護士さんに
連絡を付けて、横浜まで訪ねることになった。


しかし、どこにも証拠が残っていないことだし、
第一エディソン氏の身分証明も分らないので、
これは徒労に終わってしまう。



エディソン氏は震災のだいぶ前に、我が家に断りもなく
八王子の自分の友人宅へ居候となり、 『プー太郎』
となってしまったようだが、とりあえず母親の回復を待ち、
もう一度しっかり私も含めて話し合いを持つことと、
状況が変わることがあったらすぐに私に連絡するように
と約束させた上、2階に残された彼の荷物は
そのまま置いておくことを許可した。



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一方、母親は精神科での入院とあって自他共に害を及ぼす
危険性があるという観点から、【拘束ベッド】 によって
身体をベルトで固定されることになった。


しかも、実は 【膀胱炎】 であったために、2・3分で
尿意のため意識朦朧のままナースコールしている。

『なんでこんなところに閉じ込めるのよ!』
『あんたの顔なんか2度と見たくない!!!』

という母親の 【被害妄想】 に私は苦しめられた。




5月の連休後、CT・MRI他、各科連携した様々な総合鑑別診断の
ための検査を繰り返した後、初めて担当医のS田先生から
呼ばれて、第1回目の報告を受けることになります。


先生は私と同い年であり、母親と同じ関西出身で、そのご実家に
うつを発症した時の我が母と同い年のお母様がいらっして、

『私の母親を看るつもりで、お母様を必ず治しますよ』


という一言を頂けた。救われたような感がしました。



しかし、また一方で回復したとして何年後かに認知症に
なっていく可能性や、予防的に発症を遅らせる治療の継続が
欠かせず、家族の負担を考えたらいずれは施設に入れた方が
良いかもしれないともお話いただきます。



悲喜交々で私の闘いは、まだ続いていた。。。









◆ここまでワープ◆








いつ、どういう状態まで回復して、母親が退院後
どのような生活が送れるのか、全くイメージが出来ず、

その上、その時まで入院治療費がどのくらいまで掛かって
いるのだろうと種々考えると、気持ちも荒んできて
極力出費を抑えようと外出を控えるようになって
つい出不精になってしまった私…。


また、加えてストレスから過間食が始まり、6月の上旬には
顔つき体重に現れてしまった…。



そんな頃…




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エディソン氏から電話が掛かってきた。






エ:『私のトモダチが解体のシゴトを紹介してくれました』

  『それで、オネガイなんですが』



な:『なんでしょうか?』



エ:『おシゴト先がつくばなのですが、八王子からの
   
   コウツウヒを貸してモライタイのですが?』






は? は? は? は? は?









_____以上、前号から編集・抜粋______





私はまたもや耳を疑いました。



当家の下宿に無一文で転がり込んで、数百万円もの借金を繰り返し
店を開いて妻子を呼んで自立すると言っていたが、ついに出来ず
家賃と電気代を滞納したまま勝手に当家からいなくなって
目先のバイトをしに外国人の友人宅へと転居して、


今度は、現在地の八王子からの交通費を要求する…。



いったい、エディソン氏はどういう料簡なのでしょう?





エ:『おシゴトは1ヶ月で、45万円もらえます。』



な:『その45万円欲しさに、交通費を都合せよと?』



エ:『いいえ!!! 私はハヤくママに返したいんです!!!』



な:『エディソンさんは間違っています』



エ:『ドウイウコトデスカ?』



な:『あなたは目先のことばかりに因われるから失敗するんです』



エ:『???』



な:『いいですか。お金ではなく、まず生活と安定収入を確保
   しなければ貴方はこの国では生きていけません。

   この国で生きていく目処が立たないお仕事をして
   早く返済したいと焦っても、それは続かないでしょう。

   第一、八王子から茨城のつくばまで1ヶ月の仕事のために
   交通費まで自弁して行くバカはいないと思います。

   そういうことを迫る会社で、外国人の労働力を遣うなんて
   信用が出来ません。まず、何と言う会社か、教えて下さい。』




エ:『ワカリマシタ…』




彼は一旦電話を切って、紹介してくれた友人に聞こうとしたようです。



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1ヶ月45万のために、彼は11万5千円の交通費を要求しました。



八王子からつくばまで行きたいというのは、
母親に一刻も早く返済したいという気持ちよりも、






それほど彼の経済事情が逼迫している





と考えた方が自然だと思います。




あれだけ借金して、たった2年でまたスッテンテンに…。


しかも、再々起にまた頼って電話をしてきました。


数百万円もの借金の返済に、高々45万の仕事に目がくらみ
自弁で交通費を用意できず焦りまくったのでしょう…。



私は、この辺りで関わりを持つことに気持ちが悪くなりました。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



数分後、エディソン氏から折り返しの連絡がありました。




エ:『もうイイです。アキラメマス…。』



な:『貴方が本気でママにお金を返したいのなら、
   1ヶ月限りの45万の雇われ仕事をやっていては
   また同じことを繰り返すだけで、何時になっても
   返済を始めることなんて出来ないでしょう。。。

   そういうことを判断できるようにならなければ、
   この国で自立することは出来ないと思いますよ。』



エ:『ワカリマシタ…』




相当ガッカリしたようだが、見込みのない債権を増しても
バカバカしいので撥ね付けて良かったと思っています。



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私が入院費に怯えて引き篭って太ってしまい、
真剣にダイエットを考え始めた6月の初旬になって


母親は、リハビリの説得を受け入れて身体機能の回復と
そして意識障害も無くなって顔に表情が戻ってきた。



『朝、6時に起きて7時から病棟で体操してな。』

『ほんで、午前中に看護師さんが迎えに来はって
 リハビリすんねん。マリホリ(ボール投げ)とか』



$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-御見舞い_6_04 (3)


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-御見舞い_6_04 (2)

ステディとルカの御見舞いにも応えられるようになった。





そして、6月の中旬には夕方までの一時帰宅。。。


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-2011_06_13 (4)



6月の下旬には、外泊訓練として2泊3日
自宅に帰って生活の上での問題点と受け入れ態勢を
整えるまでに回復していったのである。。。


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-2011_06_18 (10)


ステディがカレーライスを作ってくれて…



$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-2011_06_18 (13) 


大きな具をほうばって、自宅の暖かさを思い出して
くれたようであった。





しかし、2010年の暮れ以来、震災を挟んで約半年間の
記憶が母親には断片的でしかなく、


衰えてしまった身体能力と、そんな自分と今後どのように
付き合って行くか、悩んでいるようでもあった…。



病院でこそリハビリは出来たが、今後は自分の意志で
健康管理や機能回復、そして体力維持に努めねばならない。






続く…