【謎の外人・エディソン(23)】:独り善がりな人々…。震災を越えて(2) | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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__________前号から、抜粋______

◆もし、愛読して下さっている方が
 いらっしゃいましたら、次の
◆まで、すっ飛ばして下さい…。




2009年9月1日。

近所の外国人妻の知り合いで勤続していた会社が
倒産し、ファミレスを渡り歩いていたエディソン
というチリ人が、当家下宿に流れ着いて来ます。


長年、そううつ病に苦しんでいた母親はこの時
『そう状態』にあり、この素性の分らない外人に
私の忠告を押し切って、大金まで都合してしまった…。



金額は、実に分かっているだけで限りなく
桁を超えそうな数百万円…。


彼の企ては、その借金を元本に飲食店を経営して
日系ハーフの奥さんと子供2人をチリから呼び寄せ
いずれは日本人として暮らしていきたいというもの。


2010年2月に数十万の返済はあったものの、予定して
いた開店計画は一向に進まず、借金だけは必ず第一に
我が家に返したいと言います。

その返済計画は、故郷であるチリの自分の土地を
売って金に換えて母親の口座に返済するという…



2010年8月…

約束の期日に振込みがなく
エディソン氏への真を失っていた頃、


事件が起こります。…


2010年8月28日。



エ:『ワタシ、な~んにも悪いことシテナイ』
  『なのに、警察署に送られるんです!!!』


は? は? は? は? は?



$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-2011_06_19 (11)

プライベートの出先で急行出来なかったため、
後日エディソン氏に確認して発覚した事件。


『エディソン氏、〇〇弁当つり銭詐欺疑惑事件』

である。



2010年8月18日に事件は起こっており、
10日後の8月28日、エディソン氏は
〇〇弁当最寄り駅の店長に交番へと
連行された上、





         覚

〇〇弁当と貴方との間に存在する民事上の争い
の一切を和解するものとする・…


という和解文書にサインしてしまった
のである!!!



※アルファベットで署名:A・Edison


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-〇〇弁当

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エディソン氏は事実無根だとあとで私に主張するが、
日本語の読み書きも出来ずに自分の無実の罪を認め
そしてなし崩しに和解してしまった…。

彼への心象は失墜した。



私は警察にも〇〇弁当側の店長及びお客様相談室にも
事実関係を問合わせたが、警察は民事不介入を理由に、
また弁当チェーン側はマニュアル通りの対応であり
【法的措置】にでない限り証拠は示せないと言う。


証拠も示さず、人を疑い、交番に通報する?


全く意味不明です…


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お客様相談室のタカセ氏は


『私、及び、当社を脅すのですか?』
『あなたの発言は録音されていますよ』
『彼はつり銭詐欺を繰り返すと報告されています』


とまで言ってのけたが、後で私の携帯に


『先ほど申し上げました商店街で噂が出ている
 という件に関しましては状況証拠でして
 取り上げた件、謝罪申し上げます』

と、噂については謝罪の弁を遺してきた。



噂などを取上げるのなら証拠の開示を再三求めても

『申し上げられません』の一点張りで

『現場の証拠(店長の責任?)は追求せず、
 相談室に一括して対応させて欲しい』

と約束させようとします。



私は何かを隠蔽し当事者ではないことをもって
私を遠ざけようとしてはいないだろうか?

と直感します。

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まずは、エディソン氏が詐欺を繰り返すという
状況証拠に根拠があるかの聞き込み調査を
地元商店街で開始。



当該の〇〇弁当の向かいにあるコンビニの店長から
開店前から内装工事を優先し、自転車との人身事故
を起こしていながら無視しようとした件は、
商店街では知られていることで、



『あの弁当チェーンの経営陣はChina系だから
 相手にしない方がいいですよ。』

とまで聞き及ぶに至る。


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相手は全国展開するチェーン店なので当然、
【顧問弁護士】 もいることだろうから、
論破するには、法的な専門家に客観的な目で
判断してもらうことは必要不可欠である。


私は無料で相談できる法テラスや区民法律相談室
へ電話して予約を取り、弁護士さんに一部始終を
お話したり、元マスコミ業界出身の伯父
(母親の兄)に相談したりするが…



答えは同じ。

本人が冤罪を晴らす気がなければ意味がない。


私もそれは同じ思いであり、当事者でない自分の
限界に気付き始めた。

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そして…


2010年暮れ。

エディソン氏の下宿を最初にお願いに着た
グロリアという元コロンビア人の奥さんと玄関先で会い


『彼は私にも200万借りてるけど、必ず返すから大ジョブ』
『私はエディソンさんの妻と友人だから』と言う。



何の根拠で言ってんの???



私は呆れた。


グロリア夫人から借りた金額を合わせれば想像の範囲で
エディソン氏の負債は軽く1,000万円は超えるのである。


日本語が読み書き出来ず、冤罪を晴らすことにも
積極的ではない外国人である。


これはもう諦めることも考えなければいけない
と思った。


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病状に障るといけないので、本当の金額を聞いては
いなかったが、母親の方から私に本当のことを言った…。



2009年9月1日。

エディソン氏が転がり込んですぐに数百万を現金化し
必要に応じて数十万円ずつ貸出しをして、これが
同年10月末まで継続し、それについては母親が
通帳に〇を付けて引き出し金額で認識していた。


さらに、証券会社から多額の解約をして、
通帳によれば現金化したその日のうちに引き出されている。



当初はその1/3だと伝えられていたが、
実は全額であったこと…。


そして、それはエディソン氏との秘密にしてあることを
母親は白状したのである。



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種々、計算して大体の金額を理解した私は、
エディソン氏に事実関係について、たずねてみたが、


彼は母親との間でシークレットにしているために
解約した証券全額を自分が借用している件に関しては
絶対に口を割りません。

しかし、明らかな動揺をしていました。


【秘密を守る】 という点で母親の顔を立てている
ようでもありますが、借用している金額について
話を向けると、やはりこの件に関しても私は


【第三者】 であるという認識なのか、
本当のことは言おうとしません。


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2009年9月1日。

あの日、ただ反対したまま出掛ける予定を変えず
帰ってきたらもう下宿人になっていた事実に唖然とし、
以後母親のことを半ば見放してしまった時期がある。


事態はこの期間に進んでいたのである。



2010年は結局、母親は再びうつになり昏倒し、

エディソン氏は店を開けず仕舞いで転落し、

私はそんな二人に何が出来るわけでもなく
前後不覚に成って行く母親の看病をしながら
何時までたってもステディを待たせたまま
暮れていくしかなかった。。。



何時になっても体調が優れない母親に主治医も
困惑気味になっていった。



◆ここまでワープ◆



そして、年が開けて2011年。。。


唯一、木曜日だけ通院のための身支度が出来なくなり、
着替えさせるのも億劫で大変な状態に…。


歩いていても、前かがみで小刻みにしか歩けない…。



2月4日。


いよいよ起こすのも大変な状態になったことから
私は 【要介護申請】 を行います。



以前からステディにも申請した方が良いと言われて
いましたが、根本的に 『そううつ病』 があって
ココロの病への逆効果と、10年前に母親自身が
祖母の介護のためにヘルパー2級を取っていることを
考え合わせると、自分がそのサービスを受ける立場に
なったと感じたらどうであろう?



私は躊躇し、非常に悩んだ。


自分自身も看病や生活費の捻出などで、なかなか
身動きが取れないのは確かだった。


エディソンのことなど、思いからすっ飛んでいった。



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そして、2月24日。


【要介護2】 の認定がおりたが、ケアマネージャーを
就けなければ介護サービスは受けられないし、
母親本人はうなされるように拒絶している。


ケア24に問い合わせて、事情を説明し調整して
3週間が過ぎていった。。。




そして、2011年3月11日を迎えるのである。。。






_____以上、前号から編集・抜粋______





午後、東日本大震災である…。



その瞬間、…




正直言って、





終わった



と思った。





当家は築50年以上。


当然、基礎に鉄筋が埋め込まれ回っているのか
アンカーで基礎と土台が接合されているのか
木の軸組を金物で緊結されているものか


全く分らない。




増改築を繰り返した上、最後に30年前総2階に
なるように大改装してある。


2階より、1階の造りの方が古いのである。





揺れた。




自分は裏手の墓地へと経路を確保するように
窓を開けて、外を眺めて何も出来ずに居た。




3時半過ぎ。



一連の揺れがおさまった時、





ハッとした。





『母親のことを一切忘れていた・…』



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



部屋に行ってみると、



何もなかったかのように寝ている。。。




私は自分を恥じた。



『結局、我が家は倒壊はしない程度の一大事』

『なのに、護るべき母親をすっかり忘れていた…』




そう、気が付いてしまった。




今までやって来たことが全て、自分のことを
気にしてやってきたのではないか?


と、自分を疑いはじめてしまった。





続く…