_____前号からの編集・抜粋_____
『司馬文学は、文学であって、真実ではない。
真実の歴史は当ブログをご参照頂ければ幸いです』
うつもご経験された歴史さんの愛情溢れるお言葉、
人の気持ちを汲み取り、切々と真実を語ろうと
する歴史さんによって、私は捉え方が変わった。
そして、人生観も変わった。
落ち込んでいる時も励まさず、
言葉を選んで下さり、
『どうか、ご無理なさらないで下さい』
『おっしゃる通りです』
『お気持ち、分かります』
『さすが、親友のなべちゃりんさんです』
たった、一行の言葉でどれだけ救われたか、
私は本当に幸せです。
私も、歴史さん同様に、皆さんを元気にしたり
好影響を与えるブログを目指したいと思いました。
_____以上、前号からの抜粋______
7月31日の焼津でのイベントは、試合もせねば
ならず、そしてセコンドとして後輩の指導も
行わなければならないので、顔合わせに
終わってしまいました。。。
ところが、今回の連載の前半から半ばまでで
掲載していますように、母親が痴呆に陥る
寸前で助かった4ヶ月の入院から生還した…
にもかかわらず、退院後うつで中々出口が
見出せず、ステディと母親と実の兄貴と
4人で会談した時、兄貴は
『財産分与して施設に入るか』または
『ステディさんと3人で住みたいか』
以上!
『2点で後者を選ぶならもう少し頑張れ!』
と、うつを理解していないのか、
老体で悩み疲れ果て実態を知らないでいる
兄の母親に対する乱暴な言葉に幻滅していた
ことによって、
私は、ブログが滞りました…。
この時点では、私は正気ではなかった
と思います。
ステディのお姉様が成婚される時期と
重なってやや近親者にはご心配をお掛け
して、申しわけないと思っています。
兄にも、話し合う態勢が整っていないのに
実家までご足労いただき申しわけないと
いう思いもあります…。
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それが、今回の連載のきっかけでした。
まず、一番にアメンバーさんで焼津で記念写真を
撮った女性が気にして下さったり、
当ブログのアメンバーで、お若くしてしっかりと
した考え方をもった女性が心配して下さった…。
そして、歴史さんが一番私を気にして下さった。
ココロの兄貴です。
10月18日、東京でミーティングをします。
お時間があったらお話しませんか?
という歴史さんのお誘いがあり、
どういうわけか、その2日前に母親が覚醒して
ココロが元気になり自宅介護ではなく2回目の
外出訓練に良いのでは?
近隣の方ではないので気を遣わないし、
入院中ココロを支えて下さった方のお誘いなので
私は母親に提案しました。
な:『家で一人でいるより、その方とドライブ
してお話に参加してみないかい?』
母:『そしたら行ってみよか。』
母親は歴史さんとの会談へ付き添いたいと
言い出しまして、上野で待ち合わせ、
横浜までドライブしました。
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車検中の我がアルファ147に載っていただけ
なかったことは残念ですが、レンタカーする
価値のある素晴らしい時間でした。
な:『お時間はいつでまとめましょうか?』
歴:『4時で考えてます』
な:『4時にどちらへ行かれますか?』
歴:『横浜の西口付近へ行きます』
な:『では、高速を使って時間を買いましょう(笑)』
歴:『それよりお母さま大丈夫ですか?』
母:『いつも気にして下さってありがとうございます』
な:『憎っくきウリテレビ見ながら湾岸行きますか(笑)』
歴:『いやいや(笑)、私はデモとかそういうのは
実は性に合わないんです。中華街の出身という
だけで、私を華僑だと、中国人の味方のように
おっしゃられる方がいて誤解されていますね』
な:『だから、私はお会いしたかったんですよ(笑)』
歴史さんは母親と私がお昼はそんなに食べていない
ということを気になさり、お知り合いの飯店へと
電話して下さりましたが、
な:『時間からしてお茶の時間なので、私がステディ
に教えてもらった洋館のようなケーキ屋さんが
外国人墓地にありますが、そこはいかが???』
歴:『全てお任せいたします』
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全く政治批判や論調は抜きで、互いに日本人として
お話させていただきました。
な:『我が祖父様は陸軍で旧ビルマで戦死でした』
歴:『私の祖父たちは海軍でして、一人は神風特攻隊で
身を捧げたようでして…。あれには米国は驚き
だったのでしょう。この国を食い荒らせないと。』
な:『母親をこれは介助に専念出来ているのは、
戦没者の恩給を運転資金にしてきた母親の
功績で、実は祖父は正七位を賜っています』
歴史さんに贈位証書をお見せしました。
な:『実はこの贈位が私の生誕の丁度1年前…』
な:『祖父様にお願いされて私は頑張れている気が
してならないんですよね。』
歴:『そうでしたか。お気持ち、分かりますよ』
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気軽に記念写真に応じて下さりました。
私も陽気なイタリア好きでしたが、
どういうわけか歴史さんも、イタリアの
D&G(ドルチェ&ガッバーナ)がお好きだ
という共通項があって不思議なご縁でした。
ベイスターズの三浦大輔投手に似ています。
歴:『あの、私などより親子でお写真を…』
お気遣いいただきまして、母親の初回の
快気祝いとして遺したいと思いました。
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母親がトイレに行っている間、人生の先輩として
いろんなお話をいただきました。
※次回連載予定の、最大の我が家の事件です
4時には横浜西口へとお送り致しました。
そして、母親に
『どうかお身体を大切になさってください』
と暖かいお言葉を賜りました。
私は、車寄せに母を残してお見送りに出ました。
歴:『お母様素晴らしい。いい人。貴方が
しっかり支えていれば大丈夫です。
必ず報われる日が来ます。』
この一言に、不覚にも私はポロポロ涙が
出ました…。
翌日、掛かり付けの心療内科へお話しました。
多摩川で泣けてきたこと、そして歴史さんの
労いで不意に涙が出る症状は何なのかと?
先生:『貴方は双極性障害Ⅱ型ですね』
『報われたり労われるとホロッとね❦』
震災直後の混乱を救って下さった神の字が付く
その先生は、私に 『ココロのガーゼ』 として
デパゲンというお薬でそううつをコントロール
して下さっています。
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歴史さん、有難う御座いました。
そして、何より母親に感謝します。
よくぞ決意した。
そして、よくぞリハビリを始めようと
努力をした。それは年齢から考えたら
とても大変なはず。
私は、母親を見習わなければいけない。
だから、今日もきっと頑張っています。
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皆さん、
偏見や差別を無くしましょう。
韓流はメディアの功罪です。
しかし、韓流好きを一概に責めず、
『政治的大人』 の目線で彼らには、
娯楽と政治問題は別である。
と、気付いて頂けるような論調でお願いしたい。
老年化うつの母親に 『頑張れ』 と言える時と
場合をわきまえないといけないことに気付けない
兄やその他知人などのように、それぞれ事情が
あっての韓流好きだったりします。
そういう意味では、兄との関係にも行き違いが
あるかもしれない…。
その点をもう一度ちゃんと母親及びステディを
交えて、兄と話し合わねばいけないと思いました。
だから、私は言いたい。
http://ameblo.jp/create21/entry-11064105883.html
歴史さんのような 『健全な愛国心』を持ちたい。
この方は本当に多忙を極めながら頑張ってます。
私も記事を選んでコメントしています。
そして、妙な関わりを持とうとしては
いけないと思います。
メッセージ機能の止めようかと悩まれた時期が
あったようですが、しかし、『健全な愛国心』
を持つ日本人を求めて、皆さんを待ってます。
私も健全なココロで接する方であれば、
どなたでも会いたいですし、お話を伺って
さらに人間を研ければ、こんな幸せはないです。
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自室から裏手の墓地の朝焼けを見ながら
今朝もきっと何か前向きな展望を持って
『健全な愛国心』 で頑張っている自分が
いることでしょう…
そういう日本人を増やそうではないですか!!!
※国道20号と首都高4号線が上下に交差する
『~寺』に面した土地で細々暮らしてます♪
※ちなみにこの『~寺』に交番が隣接していて
我が兄は15の少年の私を護るべく申立てを
しに行った交番です(笑)
_____以下は余談…_____
最後に、韓流流行の世相でご存知無い方が多い
と思われますが、80年代に
『ボーダレスな日本の音楽』
としてワールドツアーを行っていた大好きだった
CASIOPEAというバンドがありました。(現在休止)
CASIOPEAの18番『ASAYAKE(朝焼け)』
をお贈りいたします。
お耳に合いましたら幸いです。
朝の元気をもらえる曲でフィーバーしましょう。
_____補足、_____
個人的趣向ですが、当時はヨーロッパ・東南アジア
ブラジル・オーストラリアなどもツアーに回っていて
日本では、『世界のCASIOPEA』 と賞賛され
欧州では、『唯一理解できる日本の音楽文化』
と紹介されていて、この映像のどこかに高校生の
私がいたはずなのです…。
歌がないのに歌うメロディー。
綿密に計算されたバンドのコンビネーション。
そして、その場その場の臨場感を発揮する
アドリブ性を持ったソロ…。
※ソロは、CD版は決してやらない。
前日の公演とも同一ではないその場限り
の臨場感を、演奏と身体で表現する…
ライブに = 直に体験する
これをしないと分かるはずがない。
ここにも私の原点があります。
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歌がないというだけで、私の趣味をなじった
同級生がいました。
しかし、それはもう少年期の済んだことです。
そいつに恨みなんかない。
ただ、最高の幸せはその時、そいつに
『お前にCASIOPEAの何がわかるって言うんだ!』
と怒鳴り、私のココロを護った美術のT先生…
叶うのなら、もう一度お会いしたいです。
こういう経験が今の私を構築しています。
絶対、私は上辺や見た目を全てと判断しません。
(個人的趣向やファッションは除く)
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『病は気から』
ココロを若く保つために、私は音楽はリハビリ
として細々やっていくつもりです。
※ちなみに私はギターの野呂氏に似ていると言われ
しかし演奏はベースの櫻井氏に似ているそうです
従って、オリジナルな実力はないので、プロには
当然なれないですね(泣)
おわり