___前号から抜粋___
2011年7月31日。 忘れられない日です。
この方は、元ボクサーであるということで
平素はIT関連や建設関連、並びに東北での
震災で被害を受けた船舶などの修復をも
半ば自前でやっておられる誠実な方です。
ブログは、元々確か楽天などで歴史理論を
展開したものを毎年毎日自動更新して、
グループの中で、日本を健全な国にしたい
ということでブログは多忙な傍ら続けて
いらっしゃるということでした。
________________
事業を行いながら、太平洋を沿うように
飛び回り、どうやってあのようにブログの
更新が出来るのかが、ようやく理解に
及びました。
記事の最後にリンクのソースが張ってあり
以下、締め括り部分からとコメント返しは
ほとんど歴史さんご本人のもの。
この点で行き違いが生じて、感情的に
歴史さんを偽善者だと語られる向きがあった
と直感しました。
ご出身はご本人のブログにあるように
横浜の山下町で、少年時代は3代目の
華僑の方や外人のクラスメートと過ごされ
いわゆる日教組による捏造教育から離れて
いろんな人種の方々とお育ちになったので
平素から 『偏見と差別は良くない』 と
おっしゃられ、一方的に中韓を侮蔑する
ことはしない、でも正さねばいけないこと
には闘うという、実に誠実な方です。
http://ameblo.jp/create21/entry-11064105883.html
↑健全な愛国心
この記事でもお分かりのように、単なる
ネットウヨクで、韓国中国全否定ではない
実に公明正大なお人柄でした。
この方との出会いは、昨年当ブログが始まった
時期だったことと思います。
たまたま日本史の造詣を深めたいと巡り合った
機会が歴史さんでした。
しかし、その時の記事は全くプライベートな
記事でしたので、現在は削除されています。
____以上、前号から抜粋____
そのプライベートな記事が素晴らしいものでした。
歴史さんは、ある場所で自転車に載る子供さんと
自動車が事故になるような現場に居合わせました。
自動車から出てきた輩が子供さんに、
『このクルマの傷、どうしてくれる!』
という剣幕で迫っている場面で、子供さんの間に
割って入り、
『お前のクルマの傷は修復出来る』
『でも、この子の心の傷は消えないんだぞ!』
と、立派に見て見ぬふりをせずに闘いました。
そして、最終的にはその輩を反省させました。
記憶が正しければ、ご自宅に反省の弁を述べさせる
までに運転者を公正させたのです。
実に素晴らしいと思いました。
_________________
しかし、当時私は日本史はいわゆる文学でいう
歴史小説からアプローチして興味を持っていた
ので、日教組の歴史歪曲教育のため騙されて
いたことに気づいていませんでした。
私は、9歳で父を亡くしています。
父性は兄貴が全てでした。
歴史さんのように、私を護ってくれる少年期を
兄貴は送っていました。
ある15の夜、私は悪友と自転車で二人乗り
していました。
それは、悪友が盗んだ自転車でした。
憎めない良いヤツで、当時のヤンチャな親友です。
当然、無灯火や二人乗りで警官の取り締まりを
受けました。それで警察署送りになったのです。
塾の合宿帰りでしたので、ようやく深夜に
釈放され、私には罪はないとパトカーで
送られましたが、母親はカンカンで家には
入れてくれませんでした。
当時、浪人生であった兄は2階から私に手を
差し伸べ理由を話すと…
『それは、補導した時点で保護者への報告
義務違反に当たるんじゃないか?』
と、近所の交番に届け出て、
後日、警察署長が菓子折りを持ってお詫びに
平身低頭に来ました。
その尊敬の念があった…。
その兄が、実体験から日本史を無味乾燥と
勉強するより、司馬遼太郎さんの歴史小説を
読んだほうが頭に入りやすいと勧め、
常に歴史の評価は高かった。
受験でも、そしてYゼミの全国ランキングにも
100位くらいに登場した時期もありました。
_____________________
『司馬文学は、文学であって、真実ではない。
真実の歴史は当ブログをご参照頂ければ幸いです』
人の気持ちを汲み取り、切々と真実を語ろうと
する歴史さんによって捉え方が変わった。
そして、人生観も変わった。
落ち込んでいる時も励まさず、
言葉を選んで下さり、
『どうか、ご無理なさらないで下さい』
『おっしゃる通りです』
『お気持ち、分かります』
『さすが、親友のなべちゃりんさんです』
たった、一行の言葉でどれだけ救われたか、
私は本当に幸せです。
私も、皆さんを元気にしたり、好影響を与える
そういうブログを目指したいと思いました。
続く…