ズバリ、共倒れですね。
6年前母親が発症して、その通院付き添いや介助
のために、自分がつぶされました。
ようやく転職した業界に慣れて仕事に没頭していて
母親がうつ病とは、しかも、うつ病のメカニズム
すら知りませんでした。
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バブル崩壊後の厳しい就職難が始まった時期
でしたので、大学時代のバイト先のボウリング業界
で好きなことだから続けていこうと、決めていました。
始めはフロントのバイトから入りましたが
次第にレーンを保護するためのオイルを塗る
メンテナンスに興味が行き、段々ボウリング自体
への関心が感心に変化し、そして自分でも極めたいと
感じ始めていました。
山一証券崩壊の頃、違うセンターに社員として
移った方からお誘いがあり、私は某時計会社の
グループ企業のセンターへ移りました。
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そして、メンテやピンデッキの面ではなく
スポーツとしてのマイボールのボウリングに
ついに覚醒して、輸入したマイボールをお客さん
各々の投げ方や、ボールの回転とスピードのバランス
によって、性能別にお選びしてから指の長さ、
関節の可動域などを考慮してドリルする…。
先輩のお誘いで、ボウリングのプロショップの
ドリラーになったわけです。
※ご関心ある方は
Theme覧の『Sports〇 Bowling●』
http://ameblo.jp/nabechalin/theme-10028583082.html
をご覧下さい。
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そこで当時、正式所属プロボウラーが、
左投げでは最多勝のシニア・プロであり、
幼くして父を亡くした私の 『ココロの父』的な
プロボウラーだったご縁がありました。
昨年、再会したことを記事にしています。
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-10718201221.html
元プロ野球選手です。
しかも、私がショップのドリラーとなった
その半年後にシニアで優勝し、
アメリカのPBAシニアツアーに1戦参戦出来る
権利を獲得し、それが同時に私の初めての
海外旅行になるべく、ツアーに同行させて
いただけたという経緯がありました。
そのツアーに向け、新しいボールを開けさせて
下さったのが、Rプロであり 『ココロの父』 的
存在で、初めてプロへのドリルでした。
『なぁ~に、穴があいてりゃ、同じ』
そう言って、なべちゃりんの半年の活躍の成果と
私にある程度の自信を付けさせる配慮で
託して下さいました。
そのまま、その業界で大成したかった想いは
今でもありますが、ボールの性能が上がるにつれ
表面の素材も進化し、それが私の皮膚にも影響して
皮膚科通いでショップドリラーを続けるという
ことになってしまいました。
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私は、幼児の頃、亡き父が目を離した隙に
右手の親指に大やけどを負い、ボウリングの
醍醐味と言うべき親指の抜けにも影響しました。
血を流しながらボウリングをし、
皮膚化に通いながら仕事をする…。
これでは続きません。
同時に兄が結婚して家を出て、段々祖母の老いも
進行していました。家督を継がねばならんと…。
家族を護る仕事に転職し、ボウリングは趣味に
すべきだと…。
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そして、祖母が痴呆で要介護制度初年になり
私の得意とする、『立体論』 『造形美』 『機能美』
を満たしつつ生業と出来そうな仕事はないか?
と考えていた時期に、PC個人所有当たり前の時期に
なり、どうやら設計ソフトのCADというのが
今後手書きより必要性が出そうだ。。。と着想し、
CAD利用技術者1級検定を取得する勉強をしながら
夕方からてっぺんまでの仕事と、夜中の祖母の介護で
母親を助け、祖母が亡くなりその相続として受けた
金銭でまず右手親指のケロイドを皮膚移植する手術を
してから夜学の専門学校に入り、昼間は派遣で
土木や建築の図面を描いて、卒業と同時に受験勉強
をして、2級建築士には一発で合格しました。
それからが、忙殺の日々でした…。
続く…