東大寺の中門までやって参りました。
中門を回廊伝いに左へ行ったところの角に
大仏殿に入る参拝券を売っている門
があります。
屋根ぶせが立体的で、見ていてワクワク
いたします。建築に細々携わっていると
こういった造形美に魅せられます。
見えて参りました。大仏殿です。
中門の真下から。
下屋根に唐破風(からはふ)と言う飾り屋根
があって、その下に観相窓があります。
大晦日から元旦にはここが開けられて
大仏尊像のお顔を拝しながら新年を
迎えられるそうです。
大仏殿のすぐ下まで来ました。
左下の赤い四角の中にステディとPやん
が居ますね。
いかに大仏殿がデカイか、分かります。
2度兵火に焼け落ちて、現存のものは
江戸時代に再建されたものということ。
東大寺盧舎那仏像
(とうだいじるしゃなぶつぞう)
高さ約14.7m、基壇の周囲70mで、
頭部は江戸時代、体部は大部分が
鎌倉時代の補修されたものだが、
台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる
袖、大腿部などに一部天平時代の部分
も残っているそうである。
大仏は昭和33年(1958年)2月8日
「銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)1躯」
として国宝に指定されている。
『虚空蔵菩薩』(こくうぞうぼさつ)
広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を
持った菩薩、という意味で、
そのため智恵や知識、記憶といった面での
利益をもたらす菩薩として信仰される。
ちなみに…
『菩薩』(ぼさつ)と言うと
【まだ修行中の身】であって、俗世を
思わせる冠やアクセサリーのような
ものが見受けられます。
『如来』(にょらい)になると
出立が簡素で一重のみをまとって凛とした
たたずまいになりますね。
そんなに詳しいわけではないですが。
『廣目天』(こうもくてん)
西方を護る守護神で「種々の眼をした者」
あるいは「不格好な眼をした者」という
意味で、
「尋常でない眼、特殊な力を持った眼」
さらに千里眼と拡大解釈され、
広目と訳されたと言います。
『東大寺要録』や『正倉院文書』などを
基にして大正年間に1/50で復元された
伽藍配置の模型です。
こちらは奈良少年刑務所に服役する
受刑者たちが作成した1/50スケールの
鎌倉再建大仏殿(左)と東大寺大仏殿
(右)です。
吉野杉を使って一切の仕上げをせず
白木で作られた模型です。
素晴らしい出来栄えでしたね。
大仏様の背中です。
きんとん雲が飛んでいるようです。
右が『持国天像』(じこくてんぞう)
左が『増長天像』(ぞうちょうてんぞう)
のそれぞれ頭部です。
江戸時代の寛永年間に諸仏再興が行われ
ましたが、四天王像の中でこの2つが
頭部完成のみで終わったということです。
前出の『廣目天』とともに再興された
こちらは『多聞天』です。
『持国天』が東の守護神。
『増長天』が南の守護神。
『廣目天』が西の守護神。
『多聞天』が北の守護神。
東大寺大仏殿の建地割図。江戸時代
元禄年間に再興を期して描かれた
もので、縦板17枚からなる
日本最大の板に墨で描かれた
立面図と断面図です。
天平時代には11桁あった柱間が材木と
資金不足で7桁にされたそうです。
ようやく大仏の周りを一周しました。
大仏の右側、『如意輪観音像』です。
左側の『虚空蔵菩薩』と共に木造彫刻
であり、京都の仏師山本順慶一門と
大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、
30数年をかけて制作されたもの…
さて、お昼になりました。
これからの参詣候補地が、
興福寺、薬師寺、そして法隆寺...
もうお昼ですからね。
法隆寺は離れていますので難しい
かもしれません…
続く