忘れるのはココロに良いこと
ココロから笑い、喜び、
感動し、涙し、悲しんでいる時、
それ以外のすべてを忘れています。
記憶してきた経験、体験してきた
ことがずっと蓄積されて、今、
その瞬間でも忘れられずに居たら
凄く辛いと思います。
複雑で混乱するでしょう。
でも、人間には記憶できる学習
して覚えていられる脳に、
神は発展させて下さった。
だから、印象的なことは
忘れ去ることなく覚えていられる
忘れ去って、教訓や経験による
学習を失っては、
人間の尊厳は維持できない
良いことを伸ばすことも、
悪いことを正すことも
出来なくなってしまう
◆震災で日常の有り難みを感じた
あの経験、被災者の方々を
忘れ去っていませんか?◆
問題は、蓄積した記憶の一部が
逐次細かいことから忘れていき
歳を重ねて最近のこと…、
例えば一昨日の夕御飯とか、
思い立ち腰を上げて取りに行った
モノを、取りに行った部屋へ
着いた瞬間…、
あれ、ナニシニキタ?
となっていく。
さらに老化して、話し中に
何度も何度も繰り返し同じ話しを
し始めたり、痴呆症になる
脳の萎縮、アルツハイマーなど
病で記憶の機能を失うこともある
これらは、日常生活に支障をきたす
レベルに達して、徘徊や妄想で
互いに共存できなかったり、
家族親族や公共のマンパワーが
なかったら、不幸なことになって
しまうが、公共の支援や善意で
継続できるのなら、出来る限り
家族として共にあるべきだと
思います。世代間交流が家族や
近親者でなくなる弊害が、今、
高齢化での社会問題だと思う。
お年寄りを敬えないココロ無い
若者を増やしてはいけないのです
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昔話が出来たり、今話した内容を
繰り返し繰り返しするくらいの
レベルなら、ココロが健康なら
逆に幸せかもしれないのです。
近親者はそう捉えて、なじらないで
その症状さえ理解していれば
コミュニケーションできるだけ
良いではないか?
今回、母親が入院して、微細な
脳梗塞があり、現状維持しながら
5年10年先は痴呆になる可能性も
理解して欲しいと言われたときは、
正直受け入れるのに時間が掛かった
でも、昨日面会して、思いました
昔のことを忘れ去ることがない
レベルで、短期記憶がないくらいなら
逆にその瞬間のお話お話にココロから
楽しみを持って接することができるし
第一、本人が沢山背負った雑念を
忘れる機会が増え、うつ病には
良かったかも知れません。
うつの頃は何を話しても上の空でした
悲観的観念が常に頭にあって過ごして
いたので、聞いているフリをしていて
よほどそれがキツかっただろう
昨日会って短期記憶は退化したもの
として、ココロから受け入れて
認めてあげれば、お互いに幸せだ
と感じた
忘れ去っていない昔の知恵を、
母親が退院したら教えてもらおう
と思います。
それで脳は活性化され、記憶障害や
不安定な歩行の進行も抑えられる
意欲があれば、この穏やかで
同じ話を繰り返す天然なキャラと
受け止め、悲観的にならず、
または、悲観的にさせないため
もう一度聞き返されているものと
受け止めて、違った視点で応じれば
自分の思考の活性化にも良いと
考えれば、良いではないか?
それに、私たちだってよく
頭の中で顔が思い浮かんでいるのに
名前が出ない人とか増えてきたよ
って、お互いに年取ったねって
笑いに変えたらいい
それに、二人の息子と祖母の世話を
してきたことや、昔からの智恵を
相続させてもらうべく、会話を
増やせば良いと思う
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母は月曜日には一時退院して
家に戻れることになった。
よくリハビリ、頑張ったね。
諦めなくて良かったね。
短期記憶は確かになくなった
でも、病に伏しそうなってご縁があり
素晴らしい医療に出会えたことで
日常生活にもどれるメドがたった。
母親が3才にして出征し、
旧ビルマで散った祖父様の英霊に、
お願いされて、私も頑張れたと思う
これからは、日本を正すための
一助になれる行動もやっていきたい
一日も早く、
偏見と差別のない
愛と勇気と希望と、
関心と感心と理解と、
認め合い、助け合いを
尊重する人類普遍の
世の中を実現したい❦