唯一の知識階級であった士族による革命。
それが 『明治維新』 でした。
私はそんなに詳しいわけではありませんが、
この国が 『明治維新』 を起こして近代化
できた歴史を持っているということに、
日本人としての誇りを感じています。
幕府側の人間であれ、
倒幕派の人間であれ、
人間としての格調が高かった
ように感じています。
それはなぜか?
と考えてみましたが、
多分答えとして相応しいのは、
人間として生きる上で考えている
ことや、行動していることが、
今よりももっと
『単純明快』 であった
のではないか?と感じています。
この世に生をうけ、
何かを成し得るための時間も
今より限られていたという自覚や、
それに対してどう振舞い、
不覚であっても否を認めた時の
覚悟のようなものを
常にココロのどこかに帯ながら
生きていた。
それがその時代の人間であった
ように思います。
生きているということは、
最近思うこととして、
例えば尿意を催すことと何ら
変わりない、
単なる 『現象』 にすぎない
ような気がしています。
生きるために必要な物質として、
生活必需品はもちろん、
自分自身の身体もそうであり、
お金もまた必要ではあるけれど、
ただ持っていても仕方がない
と思うんですね。
問題は、どう活かすか?
身体ならば、どう生かすか?
何にどう使い、
それによってどうなったか?
これの連続であって、
自分が今あるのも
そう生きてきた先人たちのお影であり
そして今この瞬間が次の世代のため
にもあり、未来をどう考え、
どうしたくて、そのために何を揃え、
どうしていくか。
それが活かすということで、
生きるということなんだ
と考えています。
冒頭に話を戻すと、
幕末維新は外観内憂の時代でした。
欧米列強がアジアを喰いものにして
植民地化し、その恐るべき先進文明に
脅威を持った幕末人は、それぞれの
立場と背景で限られた物質や文明の
中で必死にもがいていたからこそ、
どうにかして 『明治維新』
を起こし近代化した。
『明治維新』 にはたどり着きはしたが、
それでもまだ脅威には変わらない。
士族によって士族が負担した
自虐的な革命によってもなお、
脅威に肩を並べられるわけもない。
しかも、同士討ちのカタチで
士族の反乱という内乱まで抑え、
誕生した 『国家』 には、
金も技術も人材も不十分だった。
にも関わらず外患の脅威を払拭し、
さらに同じアジアを脅威から解放
しようと振舞った昔の日本人は、
今よりも限られた時間と情報速度
の中で、ついに 『明治維新』
からたった40年で
世界の一等国にまでなれた。
農業と僅かな商工業で生業として
いたアジアの片隅の民族が、
なりふり構わず先進諸国のマネと
自らの文化を織り交ぜながら
創意工夫してである。
これを同じ日本人として
誇らずにいられようか?
それを思うと、
今の、この恵まれた環境の中で、
これが同じ日本人の末裔
なのだろうかと、
自分も含めて情けなくなってくる
想いがある。
みな一様に自分の立場や趣向に酔って、
『自分の不明による罪の中にいることを
忘れている運命』 で生きていて、
この国とはどういう精神文化に
根ざしていて、どう振る舞ってきた
ことで今があってということ、
それを知らないでいる。
しかも、今どういう状況で、
これからどうあるべきで、
というビジョンのようなものを
皆で共有できていない。
これだけ情報速度が早いのに、
それは多種多様容認という
価値観もあってしかりだと
いうことは分かっていても、
私はもう少し
『国家』 とは、『国民』 とは、
どうあるべきかという議論が熱心に、
例えばファミレスでもスタバでも
あって良いように思うのですが。
震災はとても哀しく犠牲者ならびに
被災者様には、本当に
お悔やみ申し上げます。
しかし、この未曾有の出来事を
もう少し活かすべき生き方を
考える人間が増えてほしいと
願って止みません。
自分が日本人なんだと、
胸を張れるような世の中にする
にはどうしたらいいのか、
そういう生き方を考える風潮を
求めていきたいと考えています。