明日で母親を精神医療保護入院させて1週間が経ちます。容態はあのまま家で養生させていたら大変だっただろうなぁと思うことが多々あります。
まず、要望として母親本人にシルバーライフを楽しめるように持って行きたいと伝えてあるので、看護師は出来るだけで自立できるように、トイレへは歩かせ、ズボンの上げ下げ、払拭、手洗いも促す形で看護されている。
また、夜の睡眠を考え、昼間は廊下を歩行させたり、デイルームで他の患者さんとお話をさせているという。これは家にいたら考えられないことだった。
今日行ってみたら丁度その最中だった。しかし、私の顔を見るなり、多分それまで頑張っていた“愛想笑い”からしかめっ面に変わり、
『自分は何もしていないのに
酷い目に合っている』
『あんたなんかこの辛さは分らない。
ここから早く出して』
『ここから出て死んでしまいたい』
など、被害妄想が始まった…。
これが結構キツイ。
精神疾患を持った人には、否定批判は出来ない。全て聞いてあげた上、諭すように落ち着かせなければいけない。昨日もそうだった。いちいち全てにウンウンと納得し、説得せず“その気になる”ような持って行き方と言葉を尽くして、母親自身が自分で“そうか、そうだね”と思わせなければいけないのだ。
私は今回自分を悪者に仕立て上げた。本人に認知判断能力が難しいから『医療保護入院』であって、自ら手をあげて入院しているわけではない。
なので、
『そうだね。ボクがもう音を上げちゃったから、こんなとこ連れてきてゴメンね。長いこと治療に付き合ってきたけど、ボクの力が及ばなくてゴメンね。必ず治してもらってここから出すから、今は許してね』
という具合に、どんなに嫌われても罵られても全て受け入れて、それから反論せず落ち着かせながら、諄々と諭していく。
そうすると、しかめっ面が段々ボンヤリ私の顔を見て真顔になり、眉間のシワを消してくれるのだ。
今夜もそれを確認して帰った。帰りにウトウトしながら、『明日も来てくれるの。』と囁いて来た。『ああ、来るよ。良くなって一人で居ても落ち着いていられるようになるまでね。』
私は自分も睡眠障害で心療内科に通っているが、医者にはこの機会に母親のことは全て病院に任せるべきだとは言われている。しかし、思わざる方向に病状が変化しないか、やはり、前提として母親を知っている医者や看護師ではないので、私自身にどういうことを投げかけて来たり、心情を語るかが、この病の『見えない患部』のような気がして見て見ぬふりは出来ない性分から、行ける限りは見舞うことにしている。
明日は総回診の日らしいので、時間を合わせて同席したいと思う。