http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110329/lcl11032913240000-n1.htm
11日、未希さんは2階で放送していた。
「6メートルの津波が来ます。
避難してください」。
冷静で聞き取りやすい呼び掛け
が何度も繰り返された。
海岸にいた両親にもその声は届いた。
庁舎に残った職員約30人のうち、
助かったのは10人。
高台の高校に避難した人からも
波にさらわれる職員の姿が見えた。
未希さんは勤続4年目の昨年4月、
危機管理課に配属された。
介護の仕事に就くことを考えていたが、
両親の希望を聞き入れ、町職員を選んだ。
昨年7月に婚姻届を出し、
今年9月の披露宴に向け楽しそう
に準備していた。
景勝地・松島のホテルを早々と予約。
昨年12月、初めて衣装合わせをしてみた。
「3月にはウエディングドレスの新作が
出るの。お母さん一緒に見に行こうね」。
そう約束していた。
母親の美恵子さんは
「放送が途中で切れた」と
知人に聞かされた。
最後のほうは声が震えていたという。
「放送するのに精いっぱいで、
逃げられなかったんだろうね。
実際は怖かったと思う。
母親の私が守ってあげられなくて。
申し訳なくて」
避難所へ逃げた女性(64)は
「あの放送でたくさんの人が助かった。
町民のために最後まで責任を全う
してくれたのだから」と思いやった。
「『ご苦労さま。ありがとう』という言葉を
かけてあげたい」と清喜さんは涙ぐんだ.
彼女は役所仲間が「早く逃げろ」と
呼びかけても、自分は逃げないと言って
最後まで放送を続けたそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この方の英霊『大和撫子』の精神を
受け継がねば、ただご冥福を
お祈りするだけでは済まされない!!!!!
その意味で、今の政治を根本的に
たたきつぶす必要があると、
泣きながら想いをめぐらせています。
遠藤未希さんの御冥福を、
心よりお祈り致します。