それはまさに平穏な日々が
いかに大切だったか。。。
思い知らされたこと。
普段よく言われている
『人は一人では生きていけない』
という言葉を、実感できたこと。
普段感じていた自分の信念、
『他者のためになることをもって
自分のためになり糧になり
その精神を次の世代へと
伝えることは、日本人の
人類の義務である』
ということが正しいと
心から思えたこと。
以上を実践しながら、
一週間を闘いながら過ごし
被災者の方には大変失礼
ながら、良い経験をした・・・
と、思えたことです。
震災と同時に母親の容態
が悪くなり、混乱した面も
ブログに書きましたが
『ココロを尽くした合理性』
を実践し、自分なりに
成果があったこと。
これは大きかった。
今まで、家屋の端で
バラバラに過ごしていたため
母親が睡眠薬を飲んで寝た後
尿意を催し転倒していた問題も、
私が母の部屋の隣に引越す
ことで、同時に節電も出来て
貢献しているし、
母の転倒もすぐに対応できる
ようになった。。。。
今までは、あまり過剰に関与
すると自分まで滅入る。。。
と、母親を遠目で見ていた部分も、
一緒に過ごす時間が増えて
節電の貢献と
母親のメンタルケアや
きっかけを多く引き出せる
ようになり、
食事の量も
気力も、
会話の時間も、
脳に働きかける時間も増え
病院施設に送り込むことなく
通常生活に復帰できる
可能性を見いだせた。。。
これにより、週末には
私の外出が多く取れる
ようになったので
帰り道には、危ない我がボロ屋
から、ステディーのマンションに
奇しくも難を逃れていた
愛犬・ルカにも再会出来ました。
まさに、
『他者のためになることが
自分のためになる』
これを実践したら、
節電も
募金も
母親の容態も
ルカとの再会も
全てが叶った。
清廉潔白な合理主義を
目指したいと常々
思って生きてきましたから
なべちゃりん的で
いいんだと
思えました。
もし、ホリエモン的に
被災より日本経済が問題
とか、
先が長い方が優先
とか、
母親に会おうともせず
『病院いれちゃえば?』
とか、
思って実践したら
きっと、自分の信念への
後悔は一生付きまとう
ことになったかもしれません。
医龍の朝田龍太郎のように
『目の前に患者がいるのに
手を差し伸べないのなら
それだけで罪だ!』
という姿勢は、
今の政府・与党・総理に
一番欠けている部分で
あると思います。
皆さんは、どんなこと
考えましたか?
教えて下さい。
なべちゃりん