ども、なべちゃりんっす。
また、ちょっと題名からして
真面目モード?
本日、港区某お寺にて
『お十夜』放生会
に参加しました。
本当は、赤いおロウソクをたて
おもち。果物、などお供えします。
キリスト教でいう 『収穫祭』 でして
日ごろ、我々が食事、生体実験など
人間がこの世で生きるために
間接的殺生をする動植物に
対するご供養です。。。
先祖代々・有縁無縁の霊への供養も含め
全ての生命を尊厳し、慈しむ法要
でした。
1年で言えば、今は秋・・・・
人生で言えば、
秋はそろそろ年越し= 締めくくる時期
に入ったよ。。。ということ。
人はいつ死ぬかは分かりません。
が、残された時間を大切に・・・・
これまでの、ご縁・ご恩に感謝し、
仏教では 『お努め』 をします。
My ブームの『輪廻転生』 論?
通じるものがありました!
殺生してもまた、その生体は人間に
生かされていて、駆け上った霊に
対しては 『お努め』 をすることで
弔っているわけですね。。。。
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ちなみに、この会合で質問コーナー
があり、とても参考になる良い質問が
ありましたので、お裾分け。
例えば、
旅先など宗教・宗派の違う
寺社仏閣・教会等で
どのように手を合わせ
お願いすべきか?
◆その答えは◆
心中で自分の属する宗教
の念仏を唱える
でした。
『祈る』 とは、『意を述べる』 ことであり
例えば、外国人の方にいくら身振り手振り
しても、意は通じません。
ちゃんと、その方のお国の言葉でないとね。
しかし 『念仏』 = 心の支え
であり、仏教ではこれを修めることで
諸派に通ずる 『祈り』 となる。
『南無阿弥陀仏』 だろうが、
『南無妙法蓮華経』 だろうが、
関係ない。
すべて神様が取り次いでくれる。。。
そう考えるのだそうです。
元をたどれば、
全て 『仏教』 『キリスト教』 『イスラム教』
なわけです。
私が無宗教だと考えているのは
『どうせ、人間がこの世を生き抜くために
宗教は、悪く言えば都合よく修正して
教・宗派が分かれてしまっただけで、
人間なんてすべて同じ!
上下も内外区別もない!』と、
本気で思っているからかな???
しかし
『郷に入っては郷に従え』 で、、、
まさか教会に行って
『南無阿弥陀仏』 とは
言えません!
よって、
旅先などの寺社・仏閣・教会では
心中で、その人その人の
修めたお教えを唱える
ことが一番良いそうです。
そのためには、みなさん、、
忙しくとも、年一度で良いです。
せめてご先祖様への
お墓参り
くらいにはお出かけした方が
良いでしょう・・・・
ではまた (^O^)/
次回は 『さようなら』 の意味
これ、書きたいと思います。
なべちゃりん