私が実家を出たのは16歳高校1年の春である 高校生活は寮・下宿で・・実家に戻ったのは就職が決まった高校3年の秋で その日から卒業までの半年ぐらいは気楽な高校生活であった気がする。島の実家であったので単車・フェリーでの通学であった。今 思えば優雅な通学であったかもです。通学のフェリーの上からスナメリが良く泳いでたのが見えていた。嘘のような本当の話である。当然 当時は島に橋はかかっていない。


昭和の46年 1971年の4月 18歳で社会人となった田舎の子供が研修の為3ヶ月間を東京小平市で過ごすことになる。

当時も今も研修センターはそこにあり300名を越える研修生と指導員が寝食を共にする生活があった。3ヶ月を過ぎると配属先が決まり全国各地にバラバラに散ってゆく。半年後また東京で研修が・・この繰り返しで5年間続き、これが終わればやっと1人前と認めて貰える技術者になる。結構 厳しい社会人の最初であった。


そんなこんなで44年間を基本は現場で過ごし・・卒業したのであるが 現在、会社生活を振り返れば色々とあったけれど面白く過ごさせていただいた。運もありましたが感謝ですよね。


当時の入社式の写真が出てきた。330名の入社式 高度成長期の象徴でしょうか🎵 佳き時代であったといま想う。


あっ・・会社生活を卒業した現在がいちばん落ち着いているし2拠点暮しもありがたく嬉しい時間ですよ‼️