🌳 say , forign person 


🗽 do you know the DATSUN 🇺🇸💗


🇯🇵 to Sames to the NISSAN 🎌

   you know ? right ?







ダイヤペット G-45

 コードNo.08-0971

 ダットサン1号車

 ・ (2ndモデル)・②





☘️ヨネザワ ダイヤペット G-45

ダイヤペット* 発売10周年記念 * 

  コードNo.08ー0971

 -1932-『ダットサン1号車』

   (2ndモデル) ☘️

 

  🌰🎄🌳🎄🌰


 まだ株式会社アガツマにブランドを譲渡する前のまえ、米澤玩具株式会社(ヨネザワ)の時代に、

1965年(昭和40年)の
 ダイヤペット新発売から
  10周年を迎えた時の記念品の

 ダットサン1号車のミニカー。

 1976年(昭和51年)3月発売、

  当時の定価は1200円。





これ↑は、同じくダイヤペット
 G-45 *発売10周年記念*のダットサン1号車ですが、ペイント塗り仕様ではなく、ブロンズメッキのバリエーションです




写真↑は、1968年(昭和43年)1月発売の初期のダイヤペット No.139 ダットサン1号車・1stモデル。
*発売10周年記念*の2ndモデルは、この1stモデルを復刻再生産したものらしいです




1968年(昭和43年)1月発売の

 初期のダイヤペットNo.139

1stモデル(もともとのモデルは大盛屋ミクロペットのダットサン1号車だけど)を復刻再生産したものですが見比べると、細部の造形に違いがあります




写真↑は、1962年(昭和37年)6月に発売された、大元の大盛屋ミクロペット チェリカフェニックス PHE 4 ダットサン1号車のミニカー。
初期のダイヤペット No. 139 ダットサン1号車のミニカーは、これがモデルになりました





☘️ヨネザワ ダイヤペット G-45
ダイヤペット *発売10周年記念*
 コードNo.08-0971
ー1932ー『ダットサン1号車』
  (2ndモデル)  ☘️



 この10周年記念2ndモデルにはブロンズメッキ仕上げと、実物のダットサン1号車に近いアイボリーベージュと黒のツートーンカラーと、戦前のご皇室の御料車にも縁(ゆかり)がある溜め色マルーンと黒のツートーンカラーのペイント仕上げが2色あって、2ndモデルだけで都合3種ありました。




☘️ヨネザワ ダイヤペット G-45
ダイヤペット *発売10周年記念*
  コードNo.08-0971
ー1932 ー『ダットサン1号車』
  (2ndモデル)  ☘️
これ↑もバリエーションのひとつ。
第二次世界大戦前のご皇室の御料車
グロッサーメルセデス770Kに所縁(ゆかり)がある、🌰溜め色マルーンと黒いフェンダーのツートーンカラー




戦争前の御料車は、黒塗りではなかったんですね~。写真はネットからの借り物ですが、ご皇室の御料車グロッサーメルセデス770Kのお写真。
フェンダーは黒色ではなく、黒に見える濃い紺色なようです
昭和の天皇陛下裕仁様は、このお車で戦後に日本各地をご行幸なさって、慰問されたという記録が残されています





☘️ヨネザワ ダイヤペット G-45
ダイヤペット *発売10周年記念*
  コードNo.08-0971
ー1932ー『ダットサン1号車』
  (2ndモデル)  ☘️




 ダイヤペットのダットサン1号車の2ndモデル・ミニカーは、どれか1つを持っていれば好さそうなもんですが、なんとな~く全種を揃えてみました~




☘️ヨネザワ ダイヤペット G- 45
ダイヤペット *発売10周年記念*
  コードNo.08-0971
ー1932ー『ダットサン1号車』
  (2ndモデル)  ☘️
この3種が、ダイヤペット2ndモデルのダットサン1号車の全バリエーションです。写真向かって一番奥がブロンズメッキ。手前の2台がペイントの塗装仕上げが2色。2ndモデルは、計3種のバリエーションがありました。




外箱のパッケージは、ダイヤペットのダットサン1号車・2ndモデルすべてが共通なデザインで、同じ品番、同じもの




☘️ヨネザワ ダイヤペット G-45
ダイヤペット *発売10周年記念*
  コードNo.08-0971
ー1932ー『ダットサン1号車』
  (2ndモデル)  ☘️
裏板のフェンダー・シャシー。
ダイヤペット1stモデルと違って、エンジン/トランスミッション、プロペラシャフト、後ろアクスルの彫刻があります



写真がちょっと見づらいですが、裏板シャシーのリアリーフスプリングと後ろアクスルは別体パーツで、車体本体にカシメか、小さなビスで留めてあります。ここんトコは、ブロンズメッキ仕様が接着で、作りが違っています




















 ダットサン1号車は長年、

1932年式だと思われて来ましたが、最近の日産自動車では ↑1933年式という解釈なようです
 

 下記に書き記して措き(おき)ます 



 ココからは浅墓(あさはか)ながら

  本物の話です


日産自動車の公式ホームページにも記載がありますので、ご興味がおありなお方々だけ読んでみてください

      



今は昔の東京都・銀座にあった頃の「日産自動車株式会社銀座本社ビル本館」。神奈川県横浜市へ移転した現在は、元の日産本社ビルをそのままに、"銀座6丁目スクエア"というオフィスビルとして活用されているそうです




 日産自動車株式会社の歴史は三菱A型乗用車と同じく長く、初代社長の鮎川義介氏(あいかわよしすけ氏)に自動車の運転を教えた🇺🇸アメリカのオローク家の人々や、初期の技師ウィリアムRゴーハム氏(ゴルハムさん : William R Gorham)、橋本増治郎氏(橋本ますじろう氏)、久保田権四郎氏、久保田篤次郎氏など多くの人々が関わって来ました。
クルマも極初期のリラー號や、ライラック號、先々代ダットサンのダット號など、古くは大正時代まで遡る(さかのぼる)そうです。

        



初期のゴルハム式自動車。
 写真向かって右側がゴルハム氏



日産コンツェルンの日産自動車、
初代社長の鮎川義介氏
 (あいかわよしすけ氏)



ダットサンの礎(いしずえ)となった、ダット號を産み出した快進社を設立した橋本増治郎氏
 (橋本ますじろう氏)




 2系統か3系統に分かれている日産自動車の長い々ストーリーには、東京市の株式会社快進社と、大阪市の実用自動車製造株式会社、ダット自動車製造株式会社、東京市・丸ノ内に本社があった戸畑鋳物株式会社という会社が登場します。

       



たぶん快進社の工場でしょうね
 初期のダット號と工員のお方々




 大阪の実用自動車製造株式会社は、久保田鉄工所の資金援助を受けて、後に大阪市西区の埋立て地に自動車の生産工場を建設したそうです。
 生産能力は月産50台。
実際には月産30台止まりだったと云います

これでも当時は、スんゴイ事だったのだろうと思います。ってか、思うことにします

まだトヨタ自動車のトヨダ號は誕生しておらず、トヨタのトの字といえば、豊田式自動織機の時代です

 




1918年~1920年に少数が作られたというダット41型自動車。
すべて橋本増治郎氏の設計だそう



 後々、大阪市の実用自動車製造株式会社は、東京市の株式会社快進社を吸収合併し、新会社はダット自動車製造株式会社となって、自動車生産の本拠を大阪市へ移したと云います

おそらくこの時でしょうか
1931年(昭和6年)、ダットの二世である息子という意味で車名を「ダットソン(DATSON)」と名乗って、カタログまで出来ていた短い期間があったようです

1932年(昭和7年)4月15日、もと簗瀬自動車株式会社(株式会社ヤナセ)に居た吉崎良造氏が(後年いすゞ自動車株式会社となる東京瓦斯電気工業株式会社(ガス電気工業)にも居たらしい)、東京市・銀座の服部時計店(銀座四丁目交差点の角に現在もある時計台ビル)の横、現在は天賞堂(てんしょう堂)がある辺りに「ダットサン自動車商会」という販売店の第1号ショールームをオープンしたそうです。


 現在のNISSAN銀座CROSSING

 (昔のニッサン銀座ギャラリー)は、

 この頃から縁があるんですね~

       

とはいえ、大昔はクルマといえば、皇族や貴族、極一部の裕福な家庭しか持てず、一般にはまだまだ普及していない時代です


      


東京都「銀座四丁目」交差点の角にある日産CROSSING銀座。
 元の日産銀座ギャラリー





1932年型ハドソンEightスペシャル セダンの🇺🇸アメリカ現地の広告



ディズニーの映画「カーズ」に登場する"ドッグ・ハドソン"のカーズトミカ



 🇺🇸アメリカのハドソン(Hudson)が1932年型を発表した時、当時のディーラー・日本自動車株式会社が車名をハドスンに改めていることに気がついたそうです。日本自動車株式会社は「ソンは損に通じる」からだ、と説明したので、

東京・銀座のダットサン自動車商会の販売店オープン直前の1932年(昭和7年)3月に大慌てで会議を開いてダットソンでは、ソンは" 損 "に通ずるから縁起が悪いということで考えた末、Oの上を切って伸ばせばUになる、太陽のSUNを思いついて『ダットサン(DATSUN)』となったそうです。

ダットサンのルーツは、ここから本格的に始まります・・・

      



 話が少し前後しますが、"20年ほど前の"1914年(大正3年)、東京市麻布広尾(東京市あざぶひろお)にあった橋本増治郎氏の株式会社快進社は、水冷2気筒エンジン10hp車(試作車といえば試作車なのでしょうけど、当時は物が貴重なので、売れれば売ろうという気構え)を完成、東京上野公園で開催された大正博覧会へ出展したそうです


このとき初めて用いられたのが、
DAT(ダット號 : 漢字では脱兎(だっと : 🐰ウサギがぴょんぴょん飛び跳ねて逃げ廻る様のこと))という車名だそうです。



 東京都・上野の「上野恩賜公園」



車名のダット號は、東京市の株式会社快進社は創業者で橋本増治郎氏の高い志(こころざし)に賛同して、援助を惜しまなかった3名の理解ある出資者、男爵(だんしゃく : 貴族階級で華族)D : 田健治郎氏、A : 青山禄郎氏、T : 竹内明太郎氏のイニシャルをあしらって、DAT(ダット)と命名したそうです



ダイヤペット・ダットサン1号車・2ndモデル ミニカーのパッケージに記された能書き


        


  昔は自動車を造るのに、日本では満足な鉄がなく、技術的にせいぜい戸畑鋳物株式会社が製造する可鍛鋳鉄(かたんちゅうてつ)ぐらいしか使えなかったそうです


 



 一方で、鮎川義介氏が1910年(明治43年)に九州の福岡県戸畑に設立した戸畑鋳物株式会社は、1928年(昭和3年)頃から自動車部品の製造を始め、日本の自動車メーカーはもちろん、神奈川県横浜の日本フオード自動車や大阪の日本GMの工場へも鋳物部品を供給していたそうです


 🗺️現在、マツダ株式会社R&Dセンター横浜がある処でしょうか?


 1986年(昭和61年)頃までは、 神奈川県横浜市にも日本フォードの工場が廃墟で残っていたもんです

 


 神奈川県横浜市の
 「マツダR & Dセンター横浜」。
ここが元の日本フォード横浜工場があった場所ではないかと思います




 クルマの将来性に着目し、業界への進出に野望を懸けていた鮎川義介氏は、1931年(昭和6年)6月に戸畑鋳物株式会社の定款(ていかん)を変更して、営業の目的に自動車製造を加え、1931年(昭和6年)8月には大阪市のダット自動車製造株式会社の大半の株式を買収して経営権を握り、「戸畑鋳物株式会社自動車部大阪工場」となって、ダットサンの生産と、日本フオードと日本GMの部品を生産して、販売したそうです

       


愛知県名古屋市長久手(ながくて)の
トヨタ博物館が所蔵する1932年式ダットサン11型フェートン。
年式的には、このトヨタが持っているダットサン11型が一番旧いということになります



日産自動車が保存しているダットサン1號車こと、ダットサン12型フェートンは、丁度この時代のクルマではないかと思います




※①1933年(昭和8年)3月には国策により、後に いすゞ自動車株式会社となる石川島製作所株式会社自動車部と、もともとのダット自動車製造株式会社が合併し、自動車工業株式会社が発足したそうです




※②ここも後に いすゞ自動車株式会社となる東京瓦斯電気工業株式会社(ガスデン : ガス電気工業)と、自動車工業株式会社とが合併を前提として、1933年(昭和8年)12月、両社出資による協同国産自動車株式会社を設立して、もとの自動車工業株式会社と東京瓦斯電気工業株式会社の両社の製品の生産・販売を統制することになったそうです



※①と※②の部分は、「21世紀への道 日産自動車50年史」という社史にも載っています。

ただ、自動車工業株式会社と協同国産自動車株式会社は、後に いすゞ自動車株式会社となる前身でが、そのような明言は避けられています




 1933年(昭和8年)12月に、大阪市のダット自動車製造株式会社大阪工場は、鮎川義介氏の戸畑鋳物株式会社へ売却されました


いすゞは、ダットという"会社は"吸収してしまうけれども、製品であるダットサンは不用とみなしたらしいです 





 一方、戸畑鋳物株式会社の鮎川義介氏の懇望により、小型車ダットサンの製造権は技術者ともども新会社(要するに戸畑鋳物株式会社=自動車製造株式会社=日産)へ無償交付されたとのことです 




この期に及んで、

  また新しい展開なのです




 1933年(昭和8年)12月26日、
日本産業と戸畑鋳物株式会社の出資により、資本金1000万円の「自動車製造株式会社」が新設されました


 社長は鮎川義介氏。

自動車製造株式会社の本社は
 現在、
「日産自動車株式会社横浜工場エンジン ミュージアム」がある

  神奈川県横浜市神奈川区守屋町  地先埋立地第2地区

  (現在の横浜市神奈川区宝町2) に置かれました。


 あすこが正に日産自動車創業の地なのですょ 




現在の「日産自動車横浜工場エンジンミュージアム」。
ここが、昔の自動車製造株式会社の本社が置かれたところで、建物も昔のまんま残されています



現在の日産自動車横浜工場エントランスに展示されているクルマは、たぶんダットサン15型かな




  自動車製造株式会社は
1933年(昭和8年)12月31日付けで
戸畑鋳物株式会社自動車部と、
戸畑鋳物株式会社自動車部大阪工場の営業権、ならびに資産すべてを譲り受け、従業員もそのまま受け継いだそうです。

小型車ダットサンに関する
生産と営業権も、自動車製造株式会社へ帰属することになったと云います。


 


  1934年(昭和9年)5月30日、
自動車製造株式会社の第1回定時株主総会で社名を

『日産自動車株式会社』と改め、

ここに日産が誕生したわけです。

ちなみに、社名が日産になっても
 ダットサンはダットサンでした









 ニッサン70大型乗用車


日産初の「ニッサン」名を冠したクルマは、1937年(昭和12年)の


 『ニッサン70大型乗用車』です。 


 ですから、日産自動車が現在、神奈川県の座間事業所で
保存・保管しているニッサン70型が「ニッサン1号車」ということになるわけですが、
   

  

  そうは呼ばないトコが笑

 






・日産自動車が保存している

「ダットサン1号車」について



  国産小型車ダットサンは
 

1931年(昭和6年)8月8日に、生産1号車を完成してるらしいので、本当は違うとか

 

歴史的に便宜上、ダットサン1号車と呼んでいるだけで、


  正式な名称は、 

『ダットサン12型フェートン』のようです。

 


年式は、1932年で間違いないと思います。 




最近、日産が掲示している
1933年式というのは、何かの手違いではないかと・・ 


 エンジン付きシャシーは、
 
 戸畑鋳物株式会社大阪工場製

  製造番号 12 4 27

 
車体は東京の
  簗瀬自動車(ヤナセ)が架装したもの

 
 

 新車価格は1350円だったとか

 




 計器盤のメーターは作るより、輸入した方が安かった時代だったので、すべてアメリカ製とか。
針が止まっていて、スケールが回転する式のスピードメーターは、時計で有名なウォルサム製らしいです(ウォルサムがスイスへ移るのは戦後だそう)。

 



 真ん中がアクセルペダル
  

 ブレーキペダルが一番右
   

  クラッチペダルは一番左

        



 1953年頃(昭和28年)、
当時の日産自動車株式会社造形部に居た鈴木千介(鈴木せんすけ)という人が、東京都文京区本郷(東京大学がある辺り)に1932年型ダットサンが現存しているとの情報を、日産自動車の宣伝課へ持ち込んだらしいです。



発見された当初は

  ボロボロだったそう 



 当時、日産自動車の宣伝課長だったミスターKこと片山豊さんが、そのクルマの現物を見て来て「何とか保存したい」と考えて、社内的には半ば独断で購入し、太田祐一氏の処にレストアを依頼したそうです。
日産が、このクルマを宣伝に持ち込んだのは、1960年代に入ってからだとか。
日産自動車がレストアしてから、長らく違うデザインのホイールキャップが装着されてましたが、近年になってオリジナルな物へと交換されて、純正な姿を取り戻して保存されているようです。


NISSANのミスターKこと、
片山豊さん。(かたやまゆたか氏)
初代の米国日産社長で、日産フェアレディ Zの産みの親。2015年(平成27年に、御年105歳でご逝去なさいました)



ホイールのハブキャップが、オリジナルな純正品と違うデザインの物が装着されていた頃のダットサン1号車の写真



 ダットサン1号車こと、このダットサン12型フェートンの最初のオーナーは勝村銀十郎氏、二代目オーナーは古谷寅雄氏。後に鉄道保安工業の所有んなって、さらに四代目オーナーの中山弘氏の父君の手を経て、日産自動車が入手した時のオーナーは中山弘氏(もとの国鉄勤務)だったらしいです。 







「当節はライカ・手風琴・ダットサン」というのは、

1932年(昭和7年)頃の 国産小型車ダットサンの販売促進キャッチフレーズだそうで、当時は、これがModernだったわけですょ



昔のライカ(Leica)の📸カメラ



  お手琴を弾く女性 💗



       

  昭和の「ダットサン」❣️






 ダットサンは、しばらく大阪のダット自動車製造株式会社と、戸畑鋳物株式会社大阪工場ん時代が続いたようですが、昔は鋳物メーカーが一緒とかで、大阪のダイハツとか関係ないのでしょうか?






ダイハツの初代シャルマン。
1976年式(昭和51年)の
  1200Hi-Custom 



DAIHATSUご関係者のお方々は、

  如何ですか~🚬🫡💨






都堕ち(みやこおち)と言うなかれ。 


現在の日産自動車株式会社が、東京都・銀座6丁目から、神奈川県横浜市へ移転した理由のひとつは、

 💗ハート形グリルでお馴染みな

 ダットサン14型の


「・横浜 DATSUN 子安・」の


ネームプレートに由来するもので、1965年(昭和40年)に合併吸収した
旧プリンス自動車の件は、今後の課題として残されています



 





神奈川県横浜市高島に移転した
現在の「日産自動車株式会社グローバル本社ビル」
1階部分が日産グローバル本社ギャラリーんなってます




参考文献資料 : 

・21世紀への道 日産自動車50年史 

  日産自動車株式会社 

・写真でみる昭和のダットサン

  二玄社 別冊CG 

・ダットサンの50年 

  二玄社 別冊CG