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ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。
あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。
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不確かさの中で事態や状況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいる能力-。
しかもこれが、対象の本質に深く迫る方法であり、相手が人間なら、相手を本当に思いやる共感に至る手立てだと、論文の著者は結論していました。
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僕のお気に入り 『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』 「はじめに-ネガティブ・ケイパビリティとの出会い」 (帚木 蓬生 著) の中の一節。
ベストを尽くしているとは言うものの常に目の前にはなかなか解決できていない仕事上の問題があり、快刀乱麻を断つような問題解決能力を持っているボスから叱咤激励されども自身の問題解決能力の至らなさに凹む日々が続いています。
それでも今までは必死に目の前の問題に取り組むことでなんとか乗り越えてきたものの、中堅社員ともなると自身の問題だけではなく部下や後輩も含めた幅広いステークスホルダーとやり取りをする中で生じる難解な問題も多く、また、一児の父親として仕事と家庭の関係性や育児の問題も絡んできていて明るい未来が思い描くことが難しく、最近はかなり意気消沈していました。
それでもこのままネガティブモードのままだと精神衛生上好ましくないということで、気分転換を図るべく久々に本屋に足を運んで何か解決の糸口を見いだせないものかと本棚を眺めていたところ、神の思し召しか、とても気になる一冊に出会うことができたのです!
それが『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』 (帚木 蓬生 著) でした。
この聞き慣れない「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」、もしくは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味するようです。
そして、この不確かさの中で事態や状況を持ちこたえ、また不思議さや疑いの中にいることができるということは、実は対象の本質に深く迫ることができるということでもあるとのことでした。
なぜならば世の中は様々な因果から成り立っているため、ネガティブ・ケイパビリティを発揮することにより目の前にある一見するとわかりやすい表層的な解決法に留まることなく、より本質的である深層的な問題に目を向けてその解決に取り組むことができるからです。
そして以下のサイトも「ネガティブ・ケイパビリティ」について詳しい解説が述べられているためとても参考になります。
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"ネガティブ・ケイパビリティ"の
特徴を表すとしたら、
※次のようなものを
挙げることができます。
□答えの出ない、
対処しようのない
事態に耐える力
□先行きが不透明な事態や
情況を甘受する力
□急いで答えをだしたり、
証明しようとしたり、
理由を求めたりしないで、
不確実さ、不思議さ、
疑いの中にいることができる力
□論理で説明ができない
“もやもや”した感じを無視せず
受け止める力
こうした特徴に価値をおいて、
受け入れるように努めることで
複雑な出来事に対して、
早合点してわかったつもりに
ならずにすみます。
また、
本質的なことに
気づけるようになり、
賢明な選択をすることが
可能になったりします。
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また、この「ネガティブ・ケイパビリティ」がなぜ必要なのか、を説明してくれているのが下記サイトです。
5 ときには、こんな考え方が窮地を脱する「力」になるかも知れません・・・ネガティブ・ケイパビリティー (negative capability ) という考え方
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●解決すること、答えを早く出すこと、それだけが能力ではない
解決しなくても、わけがわからなくても、持ちこたえて行く。消極的(ネガティブ)に見えても、実際には、この人生態度には大きなパワーが秘められています。
どうにもならないように見える問題も、持ちこたえていくうちに、落ち着くところに落ち着き、解決していく。人間には底知れぬ「知恵」が備わっていますから、持ちこたえていれば、いつか、そんな日が来ます。
「すぐには解決できなくても、なんとか持ちこたえていける。それは、実は能力の一つなんだよ。」
ということを、子供にも教えてやる必要があるのではないかと思います。
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また、どうして自分がこの本に惹かれたのか、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉に目を留めることができたのかを考えてみると、この「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念が今まで自身がエントリーを上げてきた中で、下記キーワードに相通じることがあるからなのだろうと思い至りました。
【慎重さ/穏健さ】
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「静かなリーダー」 とは、下記のような人々を指します。
・忍耐強くて慎重で、一歩一歩行動する人
・犠牲を出さずに、 自分の組織、 周りの人々、 自分自身にとって正しいと思われることを、目立たずに実践している人
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具体的には、静かなリーダーは下記のような行動を取ることがあります。
・理想ではなく、達成できそうなことに専念する
・現実的に自分の知識や理解を直視する
・強烈な動機で、必ず困難を切り抜ける
・時間を稼ぎ、直面する問題を掘り下げて考える
・自分の影響力を賢く活用する
・探りながら少しづつ行動し、徐々に行動範囲を広げる
・必要に応じて、規則を拡大解釈する方法を見出す
では、静かなリーダーにはどのような特徴があるのでしょうか。
著者は次の三つの特徴を挙げています。
1. 自制
2. 謙遜
3. 粘り強さ
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【待つことの重要性】
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結局はどのような関係性であれ日々の積み重ねで関係性を深めていくことが重要だということなのでしょう。
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【未来への希望】
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そう、私たちは例え望まないような出来事が目の前に立ちはだかったとしても、それをネガティブに捉えるのではなくて全力で取り組むことできちんと区切りをつけることが求められますし、どのような出来事であれそれが自分の未来を形作るひとつひとつの大切な軌跡であることを念頭に真剣な気持ちでそれらに取り組むことが求められるのでしょう。
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【レジリエンス】
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そして最近思うことは、レジリエンスの基本的な概念は、どれだけ新しい視点を取り入れられるか、つまり、選択肢の多さに通じるものがあるのではないかと思っています。
なぜならば、何か問題が目の前に生じた際に、解決策が一つしかなければそれに捉われて視野が狭くなってしまいがちですが、様々な角度の視点から取り入れられる選択肢を多く持てば持つほど心に余裕ができ、落ち着いた態度で目の前の問題に対処できるようになるからです。
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【影響力】
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それでは、人は他人と分かり合う関係を築くことはできないのでしょうか?
個人的には、それは 「他人を変える」 という関わり方ではなく、「影響を与える」 という関わり方をしたときに初めて成しうるものだと思っています。
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【システムズ・アプローチ】
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特に 「家族療法とサイバネティクス」 「第一次変化と第二次変化」 という項目はとても重要で参考になる内容となっております。
そう、上記のようなサイトを参考に先人たちの知恵を学んで目の前の問題解決に臨むこと、加えて、それら問題が生み出される背景にある組織/システムがどのように構成されているのかを理解するように努めることはとても必要だと、個人的には強く思っているところです。
なぜならば、そもそも私たちの人生そのものが 「問題解決」 の連続であり、私たちの目の前にある問題というのは常に私たちが知識をつけたり経験を得ることで成長する絶好の機会でもあることを考えると、問題に対して主体的に関わることが心の平安に繋がる大切なことでもあるからです。
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確かに「ネガティブ・ケイパビリティ」を知ったからといって自身の目の前の問題がそのまま解決するわけではありませんが、今まで自分が感じてきたことや大事にしてきたことがこの「ネガティブ・ケイパビリティ」の概念と親和性が高いことを考えると、これから改めて自分を振り返ることで自分の足元を固めることができ、未来への明るい兆しが見えてくるようで心が明るくなるのを実感することができます。
個人的には、このタイミングでまた新たな運命の一冊になりそうなとても素晴らしい書籍に出会うことができたのをとても嬉しく思っています。
これから何度も読み返すことできちんと読み解いて、この素晴らしい考え方を自分の血肉として日々の行動に落とし込めるよう精進していきたいと思っています。
ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。
あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。
この言葉に出会ったときの衝撃は、今日でも鮮明に覚えています。
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精神科医になって五年が過ぎ、六年目にはいった頃でした。
この時期は、精神科医として多少の自信をつける半面、自分の未熟さにまだ道遠しと思う、相反する気持ちに揺れ動く頃です。
要するに、精神科医の仕事そのものと、その根底にある精神医学の限界に気づき始めた時期だったのです。
例えば研修医の頃、うまく治ってくれたと思った患者さんが、何年か大学外の病院をローテーションして大学に戻ってみると、また再入院していたりします。
しかも前よりも重症になっているのです。
かと思うと、大学の外に出る前に入院していた患者さんが、そのまま入院生活を続けていたりするのです。
いったい精神科医は医師としてどれほどのことができるのだろう。
いやそもそも医学の大きな分野のひとつである精神医学そのものに、どれほどの力があるのだろう。
そんな不安感にさいなまれ、自信をなくしかけるのが臨床五、六年目の精神科医と言っていいかもしれません。
そんな折、眼に飛び込んできたのが、「共感に向けて。不思議さの活用」という表題を持つ論文でした。
何だこれは、と思いました。
<共感>(empathy)は分かります。
精神科医になりたての頃から、これは嫌というほど教えられ、実際に患者さんと接する中での重要性も痛感させられます。
簡単に言えば、「相手を思いやる心」です。
とはいえ、これが漠然としていて、かつ奥が深く、体得するにも一筋縄ではいかないのです。
その「共感」と「不思議さ」を結び付けた論文ですから、驚きつつ立ったまま頁をめくり、本文を読み始めました。
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医学論文にはまず冒頭に要約があります。
それはこうなっていました。
-人はどのようにして、他の人の内なる体験に接近し始められるだろうか。共感を持った探索をするには、探求者が結論を棚上げする創造的な能力を持っていなければならない。現象学や精神分析学の創始者たちは、問題を締めくくらない手順、つまり新しい可能性に対して心を開き続けるやり方を、容易にする方法を発展させた。加えて、フッサールの現象学的還元と、フロイトの自由連想という基本公式は、芸術的な観察の本質を明示したキーツの記述と、際立った類似性を有している。体験の核心に迫ろうとするキーツの探求は、想像を通じて共感に至る道を照らしてくれる。
フッサールとフロイトなら、共感について考える際、当然引用されるかもしれない。
しかし詩人のキーツがどうしてここに出てくるのか。
不思議に思って読み進めていく先に、「ネガティブ・ケイパビリティ」の記述があったのです。
今では有名になった兄弟宛ての手紙の中で、キーツはシェイクスピアが「ネガティブ・ケイパビリティ」を有していたと書いている。「それは事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」である。
能力と言えば、通常は何かを成し遂げる能力を意味しています。
しかしここでは、何かを処理して問題解決をする能力ではなく、そういうことをしない能力が推賞されているのです。
しかもその能力を、かのシェイクスピアが持っていたというのですから、聞き捨てなりません。
さらに読んでいくと、キーツが詩人について語った部分も引用されていました。
詩人はあらゆる存在の中で、最も非詩的である。というのも詩人はアイデンティティを持たないからだ。詩人は常にアイデンティティを求めながらも至らず、代わりに何か他の物体を満たす。神の衝動の産物である太陽や月、海、男と女などは詩的であり、変えられない属性を持っている。ところが、詩人は何も持たない。アイデンティティがない。確かに、神のあらゆる創造物の中で最も詩的でない。自己というものがないのだ。
ここに至って、キーツの真意がようやく読み取れた気がしました。
アイデンティティを持たない詩人は、それを必死に模索する中で、物事の本質に到達するのです。
その宙吊り状態を支える力こそがネガティブ・ケイパビリティのようなのです。
キーツはネガティブ・ケイパビリティの権化として、シェイクスピアを引き合いに出しています。
しかし本当は、詩人こそネガティブ・ケイパビリティを身につけるべきだと説いているのです。
不確かさの中で事態や状況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいる能力-。
しかもこれが、対象の本質に深く迫る方法であり、相手が人間なら、相手を本当に思いやる共感に至る手立てだと、論文の著者は結論していました。
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医学論文はそれまでも多数読んでいましたし、その後も現在まで数えきれないほど読んでいます。
しかし、この論文ほど心揺さぶられた論考は、古稀に至った今日までありません。
このとき衝撃をもって学んだネガティブ・ケイパビリティという言葉が、その後もずっと私を支え続けています。
難局に直面するたび、この能力が頭をかすめました。
この言葉を思い起こすたびに、逃げ出さずにその場に居続けられたのです。
その意味では、私を救ってくれた命の恩人のような言葉です。
<問題>を性急に措定せず、生半可な意味づけや知識でもって、未解決の問題にせっかちに帳尻を合わせず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえるのがネガティブ・ケイパビリティだとしても、実践するのは容易ではありません。
なぜならヒトの脳には、後述するように、「分かろう」とする生物としての方向性が備わっているからです。
さまざまな社会的状況や自然現象、病気や苦悩に、私たちがいろいろな意味づけをして「理解」し、「分かった」つもりになろうとするのも、そうした脳の傾向が下地になっています。
目の前に、わけの分からないもの、不可思議なもの、嫌なものが放置されていると、脳は落ち着かず、及び腰になります。
そうした困惑状態を回避しようとして、脳は当面している事象に、とりあえず意味づけをし、何とか「分かろう」とします。
世の中でノウハウもの、ハウツーものが歓迎されるのは、そのためです。
「分かる」ための窮極の形がマニュアル化です。
マニュアルがあれば、その場に展開する事象は「分かった」ものとして片づけられ、対処法も定まります。
ヒトの脳が悩まなくてもすむように、マニュアルは考案されていると言えます。
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ところがあとで詳しく述べるように、ここには大きな落とし穴があります。
「分かった」つもりの理解が、ごく低い次元にとどまってしまい、より高い次元まで発展しないのです。
まして理解が誤まっていれば、悲劇はさらに深刻になります。
私たちは「能力」と言えば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。
学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としているのもこの能力です。
問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。
ネガティブ・ケイパビリティは、その裏返しの能力です。
論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。
キーツはシェイクスピアにこの能力が備わっていたと言いました。
確かにそうでしょう。
ネガティブ・ケイパビリティがあったからこそ、オセロで嫉妬の、マクベスで野心の、リア王で忘恩の、そしてハムレットで自己疑惑の、それぞれの深い情念の炎を描き出せたのです。
私たちが、いつも念頭に置いて、必死で求めているのは、言うなればポジティブ・ケイパビリティ(positive capability)です。
しかしこの能力では、えてして表層の「問題」のみをとらえて、深層にある本当の問題は浮上せず、取り逃してしまいます。
いえ、その問題の解決法や処理法がないような状況に立ち至ると、逃げ出すしかありません。
それどころか、そうした状況には、はじめから近づかないでしょう。
なるほど私たちにとって、わけの分からないことや、手の下しようのない状況は、不快です。
早々に解答を捻り出すか、幕をおろしたくなります。
しかし私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちています。
むしろそのほうが、分かりやすかったり処理しやすい事象よりも多いのではないでしょうか。
だからこそ、ネガティブ・ケイパビリティが重要になってくるのです。
私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての創作行為も、随分楽になりました。
いわば、ふんばる力がついたのです。
それほどこの能力は底力を持っています。
本書では、これまで正面切って論じられてこなかったこの秘められた力を、さまざまな角度から論じてます。
第一章では、キーツが短い人生で、どうやってネガティブ・ケイパビリティを発見したのか、そのもの悲しい人生を辿ります。
第二章では、詩人が発見したその概念が、いかにして精神科医のビオンによって再発見されたのか、その謎にせまりながら彼の起伏に富んだ人生にも触れます。
第三章は、ネガティブ・ケイパビリティの火を吹き消してしまいがちな、私たちの脳の傾向を概説します。
第四章は、ネガティブ・ケイパビリティがあまりにも軽んじられている医療の現場をかい間見、第五章ではネガティブ・ケイパビリティが必須とされる精神科での身の上相談について述べます。
第六章は、脳の「希望する力」をうまく利用し、ネガティブ・ケイパビリティを発揮している伝統治療師の行為を検証します。
第七章は、ネガティブ・ケイパビリティなしでは成立しない創造行為の奥深さを説明し、次の第八章で、ネガティブ・ケイパビリティを十二分に発揮した作家の例として、シェイクスピアと紫式部を取りあげます。
そして第九章は、ネガティブ・ケイパビリティが失われ、殺伐としてしまった教育について論じます。
最後の第十章は、人がそして人類が生きのびていくために、最も肝要な「寛容」でしめくくります。
戦争を回避して平和を維持していくのは寛容であり、その土台を成しているのがネガティブ・ケイパビリティだからです。
読者がネガティブ・ケイパビリティを少しでも自覚し、苦難の人生での生きる力として活用してもらえれば、著者としては存外の喜びです。
ネガティブ・ケイパビリティの概念を知っているのと知らないのでは、人生の生きやすさが天と地ほどにも違ってきます。
なぜなら、世の中にはポジティブ・ケイパビリティに対する信仰ばかりがはびこっているからです。
この本を読む前とあとでは、あなた自身がきっと変わっているのを実感するはずです。
~『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』 「はじめに-ネガティブ・ケイパビリティとの出会い」 P3-12~