〜前回までのあらすじ〜

 

ウズベク語コンテストで優勝したり、新居に住み始めたり、学生証を手に入れたりと、やっと平穏な留学生活が始まった。

 

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今回のブログのテーマは以下の通りである。

 

1.友達と一緒に勉強からの逃避行もといヒヴァ旅行をした話

2.その途中で食中毒を起こして、しかも放置していたおかげで1週間ほど苦しむ羽目になった話

3.そこからやっと復活したと思ったら、現地ブランドのクレジットカードを作らないといけない羽目になった話

 

相も変わらず内容が多すぎて胃もたれを……おっと、実際胃がぶっ壊れた身としては縁起でもない。

 

 

①ヒヴァ旅行の話

 

11月3日から11月5日にかけて、我々日本人留学生はウズベキスタン西部にあるヒヴァという町、そしてカラカルパクスタン共和国(後述参照)に行ってきた。ヒヴァは世界史Bでおなじみ(?)ヒヴァ・ハン国の都であり、1990年には世界遺産に登録された。

 

留学中に小旅行することはよくある話である(と信じたい)。今回はその様子についてリポートする。しかし、「このレストランが美味しい!」「この建物がすごい!」というような内容はほとんど無い(というより、後述の通り書けなかったのだが)。

 

(事前準備)

 

ウズベキスタンで航空券を購入するとき、大きく2つのやり方がある。

 

1つ目はインターネット予約。

 

 

 

 

ウズベキスタン航空には立派な航空券サイトがある。たとえ日本にいたとしてもVisaカードで支払いができるという、観光客にとってありがたい代物である。

 

しかし私は、いざ決済というところでカードの認証が届かず、失敗。携帯キャリアによっては、ウズベキスタンにSMSが届かない、ということがある。やんぬるかな。

 

そんな私のような人々のために、2つ目のやり方もおすすめする。それはウズベキスタン航空直営のチケットオフィスである。

 

 

 

(なお、タシュケント駅近くにあった航空券売り場は11月中旬で閉鎖されたので注意が必要である)

 

インターネット予約にはある割引(5パーセント程度)が無いことを除けば、この方法もかなり有効である。

 

行きたい場所と便名を伝える。英語がある程度通じるといっても、何か誤解が生じると困るので、情報を一通り紙に書いて窓口の方に渡した。それじゃ留学している意味が無いじゃん。

 

そんなこんなで無事航空券を購入。ちなみに航空券(というか、予約確定書?)はA4用紙で渡される。

 

11/3(金)

 

出発3時間前にタシュケント国際空港第3ターミナルへ。

 

 

しかしここで2つ注意が必要である。

 

1つ目はアクセスである。タシュケント空港は国際線用の第1、第2ターミナル(おそらくそれぞれ出発ターミナルと到着ターミナル)、そして国内線用の第3ターミナルに分かれている。しかし、第3ターミナルは第1、第2ターミナルと滑走路を挟んで向かい側にある。

 

 

 

私もタクシーの運転手に「国内線で間違いないんだな?」と訊かれ、「Ha, mahalliy(ハー、マハッリー:「はい、国内線です」)」と答えた。それにしてもこれはかなり観光客泣かせである。羽田空港のように、ターミナル間連絡シャトルバスがあれば良いのに。

 

2つ目は、空港内部の設備があまりにも質素である、ということである。

 

 

空港探検をしようと3時間前に来てかなり後悔した。正直日本の田舎の空港レベルである。カフェが1軒。以上だ(ちなみに隣国カザフスタンのアルマトゥ空港にはレストランやらカフェやら薬局やらがあった。まぁ国際線も乗り入れているターミナルではあるから比較はお門違いかもしれないが、ウズベキスタンにはもっと頑張ってほしい)。

 

その後友人と合流してチェックイン。ターミナルから飛行機まではシャトルバスで向かい、タラップから乗る。垂直尾翼が間近に見え、何だか要人になった気分だ。

 

 

タシュケント国際空港からホラズムの玄関口ことウルゲンチ国際空港までのフライトは約1時間15分。機内でゆっくりする暇もなく、14時半頃に着陸した。

 

 

しかし、ここで大問題が。

 

「……インターネットが繋がらない!!」

 

何と私の契約ミスで、タシュケント州以外はインターネットが繋がらないという非常事態が起きてしまったのだ。このおかげで今回の旅行中にしでかしたミスは数知れない。とりわけレストランの集合時間に遅れて、他の人が食べ終わったタイミングでレストランに辿り着いたのは流石に恥ずかしかった。

 

ウルゲンチ国際空港からは友人が事前に依頼してくれたタクシーでヒヴァまで。写真は撮り忘れたが、市内を出ると畑や草地が一面に広がる。ここに来ると車のスピードも速くなる。最高時速は110km/hくらい出ていた気がする。余談だが、私が経験した車の最高速度はアルマトゥの140km/hである。いずれにせよ、(一部の)ドライバーは道路をアウトバーンか何かだと思っているらしい。

 

そのおかげ(あるいは、そのせい)で、30分くらいでホラズムの都、ヒヴァに到着。なお、ウルゲンチからヒヴァまではトロリーバスも運行されているが、その詳細は下記ブログを参照されたい。

 

 

着いたのはイチャン・カラ(Ichan Qal'a)。「内城」という意味が示す通り、城壁の中の地区を指す言葉である。ちなみに対義語はディシャン・カラ(Dishan Qal’a)である。

 

到着後、少し早めの夕食。ホウレンソウを混ぜ込んだ緑色の麵が特徴的なシヴィト・オシ(Shivit oshi)と、卵のクレープであるトゥフム・バラク(Tuxum barak)を頂く。これだけ食べても10万スム(約1200円)以下なのがまた良い。

 

 

 

その後、市内散策とお土産探し。ここぞとばかりに習ったウズベク語で値段交渉。さすがは観光客の多い都市、露店のお兄さんお姉さんは観光客の足元をよーーーく見ている。

 

この時には私がお勧めするのは、

 

①希望より少し安めの金額を提示する

②案の定店主に嫌な顔をされる

③少しずつ値段を上げていく(大体5000~10000スム刻み)

④妥協点を探る

 

という方法である。

 

普段の生活でそれをするのは憚られるが、相手は観光客相手に百戦錬磨のウズベク商人である。先方があの手この手で買わせようとするのなら、こちらもあの手この手で安くしてもらうのが筋というものだろう。遠慮はいらない。たくさん話して駆け引きをするのもまた経験だろう。

 

これ以上言うと語弊を招きかねない(といより、もう既に招いている)のでこれくらいにしておこう。

 

それにしてもウズベキスタンの夕暮れは早い。18時にはとっくに暗くなっている。丁度イルミネーションが点き始めた時間帯であった。

 

 

それにしても、(一部の建物だけであるが)イルミネーションの色が物凄く けばけばしい。これがウズベキスタンスタイルなのかな。3月にサマルカンドに行った時に、レギスタン広場のイルミネーションを見た某引率の先生が少しばかり愚痴を垂れていらっしゃっていたのを思い出したが、私も同感である。

 

そしてアルコールタイム。ヒヴァは観光地ということもあり、大体の飲食店にお酒が置いてある。ただし地ビールや地ワインの類は無いので注意が必要なのと、お酒がメニューに書かれていないこともあるので、店員に確認するのがマストである。ちなみにウズベク語では「ビールありますか」はPivo bormi?(ピーヴァ ボルム?)と言う。ワインの場合はPivoをVino(ヴィノー)にするだけで良い。

 

 

バギザギャン(Bagizagan)はサマルカンドのワインである。赤白どちらも飲みやすい。

 

余談だが、このような場所で酒を飲むと、高校の漢文に出てきた「涼州詞」を思い出す。

 

 

 

 

私が臥すのは広漠とした砂漠ではなく、オアシス地帯の快適なホテルであるが、それにしても趣深いものがある。

 

上機嫌になって宿に帰還。今回の宿は、マドラサを改装したCaravan Saraiという宿である。イチャン・カラ内ではないが、それでも立地は最高である。お値段は2泊で50万スム(約6000円)ほど。割高と言えば割高なのだろうか...?

 

 

 

狭いながらも部屋の中は断熱性に優れており、個室シャワーも付いているという贅沢。テレビは全世界の衛星放送に対応しており、なんとNHKの国際放送もあった(悲しいかな、チャンネル番号は忘れてしまった)。久しく使っていない英語の放送を聴きながら、この日は眠りについた。

 

11/4(土)

 

この日は6時起き。外はまだ暗い。

 

 

この時間に外に出ると、ライトアップが消され、寝静まったヒヴァの町を楽しむことができる。ただただ早朝の礼拝のアザーン(礼拝の呼びかけ)が聞こえるのみである。

 

こちらの方がむしろ、都市のありのままの姿であるような気さえしてくる。何も取り繕わない、それが美しい。

 

7時前後、東の空はだんだん明るくなってくる。

 

 

こんな素晴らしい景色は、地球上にもそう無い。

 

この日は日本人ガイドの方の引率で、ウズベキスタン西部のカラカルパクスタン共和国にあるカラ(城壁)巡りへ。

 

 

ちなみにカラ巡りはヒヴァを訪れた観光客に人気らしく、イチャンカラの中にもガイドの看板があった。

 

午前9時過ぎ、我々はイチャン・カラからカラカルパクスタン共和国へと向かった(どうでも良い注:なんとガイドの運転手の車はウズベキスタンでは激レアなトヨタ車であり、しかもカーナビなどの言語は日本語であった。一体どこで買ったんだ...?)。

 

***

 

ここでカラカルパクスタン共和国について少々説明をする。

 

ウズベキスタンには、国の中に自治共和国を有している。それこそが共和国西部に位置するカラカルパクスタン共和国である。この国は独自の国旗及び国章、独自の憲法、独自の国歌を有しており、ウズベキスタン共和国憲法第1条には、ウズベキスタン共和国とカラカルパクスタン共和国の関係性が定められている。

 

カラカルパクスタン共和国は、「カラカルパク人の国」という意味であり、その名の通りカラカルパク人が居住している。カラカルパク人の文化や言語は、ウズベク人よりもむしろカザフ人と類似しているという(注(かなり真面目な注):中央アジアの各民族の呼称は、ソヴィエト連邦期に創出されたものであることに留意する必要がある)。

 

***

 

車は1時間半ほど走った後、大河アム川を渡り、カラカルパクスタン共和国領内に入った。

 

 

ここからまた約1時間半。我々はアヤズ・カラに降り立った。

 

 

駐車場からカラまでは徒歩で移動。砂漠に足を取られて進むのが大変。

 

 

こちらが近景。城壁の中は真っ平になっていて、サッカーコート1面分以上はあるのではないかという広さである。

 

なんでも紀元前4世紀頃に作られた遺跡だそうで、材質は日干しレンガと泥のようである。雨のほとんど降らない砂漠地帯では、このような材質でも何千年も持ちこたえるのだろう。日本だったら確実にあり得ない話である。

 

昼食は駐車場付近のユルタ(遊牧民の住居)で肉料理。肉と野菜を蒸したものが振る舞われた。

 

 

これが何とも美味い。味付けは塩、トマトとシンプルであり、素材の味が存分に生きている。15万スム(約1800円)。

 

紙幅の都合上、トゥプラク・カラ(Tuproq qal'a)クズル・カラ(Qizil Qal’a)については詳細なレポは控える。ただ、トプラク・カラは入場料が5000スム(約60円)かかり、クズル・カラについては そんじょそこらに陶器片が落ちているという、考古学者垂涎の場所であったということを特記しておく。

 

 

 

 

1枚目がトプラク・カラ、2枚目がクズル・カラの写真である。

 

その後ヒヴァに帰還。流石に疲れがどっと出て、帰りの車内で睡魔に見事に打ち負かされた。

 

夕暮れ、城壁に登って写真撮影(入場料は一般2万スム(約240円)。我々留学生は1万スムで登らせてもらえた)。

 

 

ヒヴァに来て良かった、と心から思える景色だった。

 

その後夕食とビール1Lを腹に収め、宿に帰還。

 

11/5(日)

 

目が覚めて、自分がホテルに着いた途端シャワーも浴びずに寝たことに気が付いた。そして夕食を食べ過ぎたこともあってか、少し腹が痛い。

 

しかしその後、1週間も続く食中毒に苦しめられることになるとは、この時思いもよらなかった。

 

 

②食中毒の話

 

私は日本にいた時もしょっちゅう下痢を起こしていた。しかし今回は痛む場所が違う。小腸や大腸ではなく、胃がキリキリと痛むのだ。

 

この日の予定はヒヴァ市内観光だった。初めこそ頑張って王宮跡などに行ったが、ついていけるはずがなく、泣く泣くホテルをデイユースして休む羽目になった。さようなら、20万スム(約2400円)......。寝て起きてお手洗い、寝て起きてお手洗いの始末。まさに腸内が地獄絵図である。

 

何で当たったのかは全く見当もつかない。恐らく生焼けの肉か、スメタナ(酸味の効いたサワークリーム)か、はたまたビールか......。

 

それでも夕方には小康状態になり、その日の夜には無事飛行機でタシュケントまで帰還した。

 

11/6(月)

 

腹痛は収まっていたが、友人の忠告に従って授業をお休みすることに。

 

連絡を入れたその30分後、突如胃を激しい痛みが襲った。これが授業中来られたらたまったものではない。忠告にちゃんと従っておいて良かった。

 

11/7(火)

 

この日は小康状態になったので授業に参加。ウズベク語の授業では小遠足でかの有名なチョルス―・バザールへ。先生があれやこれやウズベク語やロシア語で説明してくださるが、本調子ではないせいかいまいちよく分からない。最終的には先生が指輪の修理に出かける始末。それは小遠足外の時間でやってくれよ......。

 

11/8(水)

 

この日も何とか腹痛は無いものの、今度は吐き気が到来。授業終了5分前のところで先生に「家に帰りなさい...」と言われる始末。

 

何とか最悪の事態は免れたが、帰る足で薬局に駆け込み、吐き気止めの薬を買いに行った。

 

ウズベク語とロシア語のキメラで病状を伝えると、薬剤師の方が薬を処方してくださった。

 

 

薬はなんとゲル状。これを食前から食後にかけてティースプーン1杯分飲むと良いのだとか。お値段は2日分で約70000スム(約840円)程度。

 

11/9(木)

 

今日も1日家で休養した。食事はスープとバナナ。1個1000スム(約12円)くらいのブイヨンを入れたおかげで、我ながら美味しく仕上がった。

 

休養していると暇を持て余す。この時初めて、自分には暇など無い方が良いんだな、とも思えてきてしまった。暇があると生活にメリハリが生まれない。

 

 

11/10(金)

 

今日は以前から予定していたザーミン旅行、もといザーミン療養へ。 

 

とりあえず途中の町ジッザフ(Jizzax)まで行く。タシュケントからは地下鉄アルマザール(Olmazor)駅のバス乗り場(Avtobokzal:アフトバグザール)から正午にバスが出ている。お値段は3万スム(約360円)と破格の安さ。

 

それにしてもバスが揺れるたびに腹が痛む。しかもバスの乗車率は120%。そう。巨大なバスの中で立っている乗客がいるのだ。寝ることで我慢する。

 

3時間後にバスはジッザフに到着。この街をレポするより先に、乗り合いタクシーでザーミン市(Zomin shahri)へ。お値段15万スムほど(約1800円)。これまたアウトバーンかと思うほどかなり飛ばしたが、1時間半ほどかかった。

 

しかし、泊まるはずのホテルが見つからない。市内にいたお兄さん方に(グダグダのロシア語とウズベク語のキメラで)尋ねたところ、思っていた場所からさらに南に60kmの山の中にあるという。タクシーを乗り継ぎ、1時間ほどかけて山道をマ〇カーよろしく進んでいく。なお、この一帯は自然保護区になっており、外国人の入山にはパスポートとお金が必要である。私は15万スム(約1800円)ほど払ったが、これは人によってまちまちらしい。当局の公式情報が待たれるところである。

 

私が泊まったのは、2023年にオープンしたというウィンザム・ガーデン・ザーミン(Windham Garden Zomin)である。恐らくUAE系のホテルグループであり、お値段はなんと1泊1万円以上!限界大学生の私にとってはちと重荷が過ぎるが、療養できるなら、と腹を括って払った。

 

 

客室も新しくて綺麗である。

 

 

かくも素晴らしい環境の中、大学の課題に取り組む。しかしここでまた腹痛が襲いかかり、それどころではなくなった。 

 

仕方ない、と課題を放棄し、10時には眠りについた。

 

11/11(土)

 

ここで、ここまで放っておいたツケが回ってきた。血混じりの下痢が出たのだ。

 

本来ならジッザフでもう1泊するつもりだったのだが、ここまで来たらいよいよ非常事態である。仕方なくジッザフのホテルをキャンセルして、タクシーで5時間かけてタシュケントまでトンボ返り。タクシー代60万スム(約6800円)。「ウズベキスタンのスイス」とまで謳われているザーミンを僅か1泊で去らなければならないのは、とても悲しいことである。

 

 

私が駆け込んだのはタシュケント・インターナショナル・クリニック。本来、土曜日と日曜日は閉まっているが、救急外来ということで開けて下さった。

 

 

 

ここはいわゆる外国人専用の病院で、英語がちゃんと(これ大事!)通じる。とはいえ私は医療用語は全然分からないので、機械翻訳を使って医師と会話した。医療用語もちゃんと勉強したいなー。

 

採血×2と3時間の点滴。医師からは「細菌性の食中毒」と診断された。経口補水液と抗生物質を処方され、「ちゃんと水分補給しなさい」だの「消化に良いものを食べなさい」だの言われ、約3時間半で解放。

 

お値段は約230ドル(1ドル=150円とした場合、34500円)。円安許すまじ。というより本来は食中毒許すまじなのだが。

 

 

③デビットカードの話

 

病み上がりの私を待ち受けていたのは、例のウズベク語コンテストの賞金を受け取るための現地ブランドのデビットカードの開設の催促だった。

 

「カードはどうなった?」

「まだ無いです。今日銀行に行きます」

「とってもおっっっっっそいぞ」

 

ごめんって。

 

ちなみに、日本のJCBのような、ウズベキスタンの現地ブランドのクレジットカードは2種類ある。

 

・ウズカード(Uzcard)

・フモ(Humo)

 

どちらもウズベキスタンでは広く使われている。私はとりあえずUzcardを作ることに。

 

私はKapitalbankでウズカードを申請。アプリの申請フォームにPINFL(第3回記事参照)やら個人情報やらを一通り打ち込んで申請が完了。あとは銀行に行ってカードを改めて選んで、後日受け取る。

 

はずだった。

 

なんと、「外国人はUzcard作るより先にこの国でVisaカードを作れ」と言われたのだ(後述の通り、もちろんそんなルールは無い)。粘ったが、無理なものは無理、という顔をされた。Блин(ブリン:ロシア語で「畜生め」)!

 

これには私も非があるのは確かである。アプリの申請フォームには、そもそもUzcardの欄が無い。Visaを申請しにやって来た人間が「Uzcardをくれ」と言うのは、確かにおかしい話ではある。

 

仕方なく先生に電話したら、「今日中に作れ。じゃないと大問題だぞ」と言われた。先生も先生で脅しにかかってくるのがウズベキスタンである。こういう時は大体シカトしておいても何とかなるが、今回ばかりはお金が絡んでいるのでそういうわけにもいかない。半泣きでタシュケントのど真ん中にあるKapitalbankの本社のような場所へ。

 

 

 

 

一通り情報を入力したら即日発行してくれた。

 

 

そしてその翌日には、待望の賞金が振り込まれた。その額1000万スム(約14万円)。やったね。

 

 

***

 

いやー、しんどかった。

 

ブログを書いている今(11月末)はだいぶ落ち着いてきたが、あのような苦しみは二度と体験したくない。とはいえ、ウズベキスタンにいる限りはいつ2回目があるか分かったものではないが。

 

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備忘録も兼ねてお役立ちウズベク語の単語を羅列することにする。カタカナ音写はかなりガバガバだが、お許し願いたい。

 

Aviakassa(アヴィアカッサ):航空券

Mahalliy reislar(マハッリー レイスラル):国内線

Bu qancha?(ブ カンチャ):これいくら?

Chegirma(チェギルマ)/Skidka(スキートカ):割引

Oziq-ovqatdan zaharlanish(アジク-アフカットダン ザハルラニシュ):食中毒

Bu og'riydi(ブ オグリーディ):ここが痛い

 

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それでは今回の写真。

 

 

 

イチャンカラの西にあるアタ・ダルヴァザ(Ota darvoza)を入り、キャルタ・ミナールを左に曲がってすぐのところにある本屋の扉。ひらがなで「ほんや」と書かれていた。

 

日本人観光客が増えてきているのか、それとも単にひらがなが面白いのか。

 

ではまた。

 

 

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