昨年
強風でロープウェーが休止になり
行かれなかった
鋸山・日本寺へ!



雲行き怪しい中
行ってきました!





ロープウェーから
直ぐ山頂になりました!

あれがー!!
かの有名な
地獄覗きの崖っぷちなのだなー!!!



早よ行きターイ!!



で、
行ってみました!
見てみました!




地獄覗き!!!



うーーーん…



高所が
ジェットコースターが
大好きな私にとって
あんまり興奮が沸き起こらないのは
何故でしょうか…悲しい
(TVでは大袈裟に
はしゃいでいたから超期待した…)




私にとっては地獄ではなかったのですが
本来の目的地に向かいます!




近道は選ばず
敢えて
険しい道のりであろう道を選び
進んでいきました。




途中に
ところどころ

本当にところどころ
お地蔵さんが

それはそれは
何体も

何十体も

いえ、
数百体も


鎮座されておりました。



その中には
お首から上がない
お地蔵さんも
何十体も。



私たち人間の災難を
被ってくれたんだと
慈悲深いお地蔵さんを
感じておりました。








不動滝にも打たれてきました。



そして
足を止めながら歩くこと約一時間弱。
念願の大仏さまに。

御本尊は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)

左手に薬壺を持っているのが特徴です。

すごいな…
昔の人は
彫っちゃうんだから
尊いな…。


HPより

日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、

光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって

神亀2年(725年)6月8日に開山されました。

開山当初法相宗に属し、天台宗、真言宗を経て

徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、

今日に至っております。

日本寺は開山当時、七堂十二院百坊を完備する国内有数の

規模を誇り、

良弁、空海、慈覚といった名僧が留錫(りゅうしゃく)したと

記録されています。

良弁僧正は木彫りの大黒尊天を彫られ、

弘法大師(空海)は100日間護摩を焚かれ

石像の大黒尊天を彫られました。

仁王門の金剛力士像は慈覚大師の作と伝えられています。





日本寺の御本尊は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)です。

東方浄瑠璃世界の教主で、瑠璃光を以て衆生の病苦を救い、

病苦を救う医薬の仏様です。

左手に薬壺を持っているのが特徴です。





薬師瑠璃光如来は戦傷を癒すと言われており、

日本寺を訪れた武将の記録も残されております。

源頼朝は石橋山の戦いに敗れた後、

房州に逃れ再起を図った折に日本寺で武運を祈願し、

自ら蘇鉄を手植えし、現在も大蘇鉄として境内に残っております。

頼朝は鎌倉幕府を開くとすぐに荒廃していた日本寺の全山修工に

力を尽くし、養和元年(1181年) 薬師本殿を再建しました。

頼朝により全山修工された日本寺は、

その後、鎌倉幕府後期から南北朝時代にかけての続く戦火により

再び荒廃しますが、足利尊氏により再び復興されます。

尊氏は国家泰平と万民安寧を祈願し、

奥の院無漏窟に参籠した事が通天窟前の

石碑「房州鋸山日本寺碑」に記録されています。







からの
青いトンボ
『青いトンボは幸運のシンボル』
と言われています。
寺務所前で飛んだり止まったりを
繰り返していました照れ



寺務所で梅干しを発見!

日本寺で取れた梅で作った

5、6年ものの梅干し

梅干し大好きな私!
1パック自宅に持ち帰りましたラブ





さらにはトカゲ!


トカゲは
3ヵ所で遭遇!
『トカゲは幸運の兆し』
とも言われています。







そして最後ダメ押しは
アオスジアハゲハ蝶々です。
『幸運のメッセージ』
とも言われています。








HPより

鋸山には多くの文人が訪れ多くの詩歌が残されています。

境内には長谷川馬光や小林一茶などの句碑も建立されています。

近代文学では夏目漱石が「木屑録」に日本寺を訪れた際の様子を

記しています

漱石と交流のあった正岡子規は後日、

漱石とは逆ルートで鋸山を訪れ、

この旅を「かくれみの」で著しています。 










沢山のメッセージをいただき
私にとって
幸運の日本寺巡りとなりました✨



鋸山・日本寺
に感謝して







 

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