担任の先生への年賀状に書いていた「3学期は休みますせん」
しっかり実行して卒業式を迎えました。
前日まで強風、寒波、嵐みたいな日々だったけど、当日は快晴。
入学式から卒業式まで、行事全て天気にめぐまれて、雨ふったり、延期したり一度もない6年間だった気がする。
実家の父母がきてくれ、たんたん、ずーちゃん、あかちゃん3人を見てくれたので、プップだけに集中できて本当助かったー。
いつも通りの7:50、私と旦那とプップ3人で出発。6年前の入学式。手をつなぎながら同じ道を歩いたときは曲がるところとか確認しながら道に迷わないように練習したっけ。
校門で写真撮ろうと誘うけど嫌がるからなんとか頼みこんで真顔の写真撮れた。
式はとってもピシッとしてて、卒業の言葉も歌「一歩」も感動。母は涙腺崩壊。
泣いてるこもいっぱい。なんなら校長式辞で校長泣いてるしー、、、
最初っから最後まで学校行きたくない、と戦ってきた6年間だった。
勉強も苦手なほうじゃない。お友達も保育園からの仲良し数名だけどいないわけじゃない。トラブルを起こすわけでも巻き込まれるわけでもない。学校行きたくないのを心配して色々聞いたり先生とも話したけど、何が嫌ってわけじゃない。暑いとか寒いとか眠いとかとにかくめんどくさくて行きたくなかった6年間。
理由があるわけじゃないから、お休みしたらそのままズルズル行けなくなってしまいそうで怖かった。「もう今日は学校行かない!ほっといて!」と癇癪を起こして部屋に閉じこもるとなんとか行かせようと母も必死だった。
無理やりいかせようとして、プップが癇癪おこして2階からランドセル投げたこともあったっけ。
あかちゃんがうまれてからすっごく落ち着いたプップ。卒業式前日でも行きたくないといいながらも、何回かは卒業したくないなー。ずーっと◯◯先生のクラスがいいなー。と呟くこともあった3学期。
母の育休とかぶって学童に行かなかった一年生の4月。
保育園のお友達がみんな併設の学童に行くのを見て、なんでプップちゃんは学童行けないの?と悲しそうだった。
クラスは全員知らない子。新しいお友達を作れなくて、放課後も仲良しのこはみんな学童で、先生に相談したら私立の学童だから空いたらいれてくれることに。5月からうれしそうに通ったっけ。
私立学童1ヶ月約4万円は私が家にいるから払わなくてもいい出費と思うと痛かったけど、4月の1ヶ月早帰りで11時ころに帰ってくる娘と次女ちゃんと3人で公園にいくと、学童でみんなが遊んでるのが見えて、悲しそうなプップをみてるのがつらかったから、学童行けてほっとした。
二年生になって、お友達ができたり、先生も若いかわいい先生で学校楽しいって言葉が初めて聞けて嬉しかったなー。
でもそんな二年生もコロナで強制終了。
先生に書いた手紙に、もっと二年三組で勉強したかったですって書いてあって涙がでた。
3月から5月末まで休講。
お家学校しようと日課表つくった。勉強だけじゃもたないから、家で体育と称してYouTubeでダンスしたり、家庭科と称してパン作ったり、ピザ作ったり、子ども3人見ながらの引きこもり生活は本当に辛かったけど、プップ最後の24時間育児だったな。
6月からは分散登校。
地区ごとに日にちわけて登校だったけどお友達と別れてしまったからこれもつまらない、つまらないと言っていた。
もともと読書が好きだったけど、コロナ禍で休み時間は自席で読書するようになってから卒業式までそんな風に過ごしたみたい。
授業参観も遠足も運動会も何にもなくなって、もともと学校のこと聞いても、つまらなかったしか言わないから学校のことなんにもわからなくなった。
五年生になってやっと少しずついろんなことが回復して、担任の先生とお話することができた。5、6年生の担任の先生は本当に力があって、めんどくさいプップのこともよくかまってくれた。
反抗期もすごかった5、6年生。この先生のおかげで通うことができたと思う。
呼名のあいだ、いろんな思い出が頭の中ぐるぐる。
プップはしっかり返事して証書もらえました。
写真とりたくないと言ってたけど、お友達や先生ともとれて良かった。
プップ、6年間本当に頑張ったね!
中学校やりたいことを見つけて楽しめますように!