「断章 令和6年7月5日金曜日に、日本の夏に襲われた」
耐え難い熱気の中を、歩いて、というかふらついて移動していたら、
比較的看板のない区画に、和食か何かの看板が見えた。
途端に思ったこと「あ、日本語の看板、珍しい!」だって。
当たり前でしょ、ここは横浜、ドイツじゃない。
ドイツの感覚になっていた。
目覚めて目を開くとき、どちらの室内を予想しているか、
ドイツのあの家を部屋を当然予定していることが多いような気がする。
同様に、メールを書きながら
地球の裏側にいる日本の友人宛、という感覚があるのに気づき、
違う、同じ時間帯に生きているんだ、と訂正すること多々ある。
「断章 土から緑色が現れる」
暑さと湿気の中、葉を食いしばるように歩いて、
夕顔と観葉植物とさつま芋にプラス、オリズルランとクチナシの鉢を追加した。
もっと買いたい植物はあるがまず、土がない。
原生林も草のなだりもあるが、そこへ至る方法がない。
きちきちに密集した都会だ。
緑色の生命の現れはこちらの生命力も上げてくれる。
恐竜時代が終わってのちの被子植物の進化の賜物であり、
ヒトの種々の欲のなせる改造の結果として。
「断章 神さん、ダーマさんと改名して見ますよ」
昨日の夜のこと、どうやらテレビの扱いがわかってきて、
宇宙と量子シリーズ「ダークマター」の録画ができたので、
クーラーの除湿を切って、ベッドに寝転がった。
6年間こんなシリーズも観る機会が少なくなっていた、特に最後の数年は。
驚かされた。顔を知っている学者が老けてもいないので、新しいヴィデオでもないらしいのに、
ダークマターについての情報が詳しくなっている。
元初の極微の存在がお互いにぶつかると対消滅してエネルギーを残す、
というのは聞いていたが、それがダークマターだったとは。
しかも重力があるので物質粒子(一切をすり抜けて行くけれども)から成ると見なされる、このうちの一部が次第に凝集し始めると
さあ銀河を作るように! と、
宇宙にフィラメント構造を予め準備したのもダークマター!
あたしに言わせればこれぞ神さんであり、その法則システムである。
勿論ヒトの観察行為は万全ではない、
この世は、何しろ影の世界なので光がややおぼろであるから。
我田引水してしまったけれど、むしろ数歩譲って、
「神さん」をやめてこれから「ダーマさん」と呼んでもいいくらいではないか?
脱線ついでに、さらに考察。
ダーマさんは上述の如く 観ること不可、
また実在であるオリジナル物質界も、全く見えないのは当然だ、
何故ならそれらは光そのものなので、眩しすぎてチラとも観ることができない。
↑これはあたしのアイデア
(注:現在、般若心経にも物理学にもこの世が非実在であることは前提かつ結論である、ようだが、肝心の源たる「情報の場所」はブラックホールの事象の平面?云々という 推測的表現でしかないようだけれども)
それに対し、この世について般若心経ではこう説かれているらしい。
とある現代語訳:
「苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。 この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。汚れることもありゃ背負い込む事だってある。 だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?何のアテにもなりやしない。 揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。『無』ってやつダァな。」
それができりゃ、苦労はしないわよ、って言う声が聞こえる。確かに。
「断章 三猿ならぬ四猿」
実は7月14日の朝、面白い考えが浮かんだのよ。
「あたしゃまるで日光東照宮の3匹の猿じゃない、いえそれどころか四猿だわさ」
何故ならば、目がドライアイでかすみ、おまけに緑内障まで発覚、耳は聞こえない、舌が思うように動かない、さらに次々と忘れるので考えることもできないじゃない。見えざる聞かざる言わざる、思わざるでござる。
笑っちゃった。錐子バアさん、面白いこと思いつくねって。
この状態こそ、意識が生成されない、意識が何も製作できない、空無である。
すると体も消える。世界も消える。
強制的にこうならされるらしい。便利な仕組み、老化。
「断章 それにしても、完全無意味な幻だなんてヒドいよね」
まあ仰せの通り、我々ヒトその他は 存在しなくて結構、
完全無欠 至高至福のダーマさん界隈で十分なので、当たり前よねー、
でも、思いついた、というか教えてくれてありがとう、ダーマさん!
そうなのよね、
一つ完璧じゃないところがある。ダーマさんができないことが。
それを我々やってみせてる?
そちらには絶対無い、ある必要がないからだけど、素晴らしいこと。
各自の立脚点において、それぞれが
決して諦めず、努力、協働、もしくは殺戮、
手段を選ばず真理の秘密を知ろうとする(必ずしも意識してやってるわけじゃないけど)。時間をかけた生命の進化もそうとも言える。どうしてもダーマさんを知りたい。
そこが我々のこの世の意味であり、それがダーマさんの大好きな空無生命体
の個性的特色である。
これは完璧のオリジナル実在体には必要ない、見事に真理を体現してわかっているので。
ダーマさんはそんな我々をこの上もなく愛してくれる、可愛くてたまらない。
地球上に矛盾、不条理あろうけれど、このことをしっかり押さえておくこと大事じゃない? いずれにしろ地球存在の意味が、これなら可能な気がする。
我々、影だけど不要じゃなく、ストーカーダーマさんの愛しい影絵たち。
このこと、これまでひとかけらも考え付かなかった。まだまだ何か隠れているのかも。
「断章 余生の面白さを」
他に面白いことと言えば、この不如意な生活での工夫や冒険がある。
最近工作した:ベッドの足元に背もたれを取り付けた、
ガラス細工の手鎖がバラバラになったのを、
針もないのに針通しで工夫して再生させた、
普通のカレンダーを長〜いカレンダーに変身させた、
クタクタのバッグにダンボールの仕切りを取り付けた、
流石に無謀だったけど図書館でPythonというプログラミングの本を借りた、
市営地下鉄で港の近くまで行った。カラオケにも行くかも。
とは言え、母が「目が乏しい」と表現していたっけ、世界がぼんやり見える、忘れた言葉があちこちに白紙として散らばっている。ものを正く飲み込めず、胃酸も上がるようになり、体重は減少している。自律神経を整えるくらいしか手立てはないのだろう。
「断章 逆に面白くないことは」
明らかにデジタル社会があたしに要請することの
便利を求めての、理解不能、不気味なほどの不便さ。
理屈と合理性なくしてはあり得ないこのシステムに、あたしの能力が足りないのは仕方ないとしても、乗り遅れた存在にももう少し親切な作りになってくれないか。パスワードとかが必須の鍵なのに、それがいつも、と言っていいくらい当てはまらないのはどういうわけか、あたしの間も無く79歳の思考パターンと体力では並走すること不可能なのだろうか。ぐちぐち。
しかしだからこそ、一つでもクリアできると、数日間いい気分だ、最もそれも稀になりすぎ。ぐちぐち。
でも、それでも、その他は明るい、大丈夫。面白いことが多い。不機嫌な人を見ても笑える。素敵なものに出会うと泣く。その感動が脳にはストレスなので涙で発散する、というわけらしいよ、錐子さん!