2024年 令和6年 5月28日火曜日 帰国4日目

 

面白いことにドッキリばかりを体験させてもらう。

それに思い出の熊本城のメダルが 今になって鍵束から落ちてしまった

こんな象徴も与えられる。

疲れ果て、夜早くから横たわっていると浮かんだ

植物と同様人間も自然であること

ただ意識が拡大したのみなので、意識が作り上げた結果も合わせ

結局は自然の中に入る。それ以外にはないので。

 

と言う間に

6月1日土曜日

相も変わらぬ記憶の海の荒波に乗り出していく

6年ぶりに聴く 電気釜が白米を炊く呟き、中古、

蓋を開けた時、どんな気持ちになるだろうと思う。

 

先週の土曜日8時に羽田に降り立った。また土曜日、

たまたま、新しい月が始まった。

茶碗ひとつ持たない托鉢僧か、自分、と驚いてみる。

その代わりをするのはコーヒーの缶、松屋のテイクアウト容器である

小さな包丁とまな板、深いフライパン、薄口醤油は購入した、

急坂の下にあるドラッグストアで。ポイントカードも誂えた。

 

3ヶ月後に船便で他の荷物がやっと届く。

ビッグカメラで、とりあえず冷蔵庫と洗濯機、中国製だけど洒落ている。

一段半ベッドは20日先に届けられる。

テーブル代わりにダンボールとスーツケースを重ねる。

片や、ゴミ分別に追われながら。

 

おおむね老人で満員の小さな乗合バスで、区役所へおおむね日参。

たくさん女性が働いている。その様子は、

見惚れるほどに清楚で真面目、丁寧である。

 

すでに日本の天使たちに続々と出会った。

それを期待していたわけでは全くなかったけれど。その記録。

 

日独の時間差7時間が消え失せて、24日夜離陸したのに

着陸は25日土曜日夕刻であった。

すぐにデニー・ゆうくん父子が明らかにあたしの守護天使として登場。

 

翌日の区役所参り第一日、

顔写真と住所と電話番号なしでは立ち行かぬ社会なのに、

それらが三すくみみたいに、絡み合っている。何と表現したらいいのかわからない。

免許証がない。

保険証がない。

マイナカードがない。

パスポートでは住所が不定。

しかしまず、デニーの電話番号で許してもらえたので、

そこから住民票獲得が成った。

いや、世にたんとある不如意を書き連ねるつもりはありません、

そこも天使に出会う場所であること、

天使と認定する喜びを抱く者であることのためですよ、

そうでしょ錐子さん?(自分に確認)

 

翌日も区役所へ、国民健康保険課で

麗しい若い女性、ひたすら優しい、あたしの年金を計算してくれる、

仮保険証出してくれる。大好き。

ついでに3F区民広場を見ると、野菜果物の出店がある。苺がある。

腰の曲がったお爺さんが、値段を安くしながら売ってくれる。

それだけで十分天使さんです、優しさが伝わります。

 

午後デニーとエーユーという電話会社?へ行くと、

またもや有能な若い女性がにこやかに対応してくれた。

新しい携帯電話番号ゲット! 名前は天使エリカさんだ。命名する。

 

その翌日5月29日、

届け物がどっとくる。家電、椅子、国民健康保険証、特に後ろの二人の若者

揃いも揃ってハンサムでにっこりしてくれるので、天使認定。

 

この日は住居の不具合が見つかるも管理人、管理会社、大家さんと

連絡も取れず困っていたのだけれど、あたしによくある如く、

ドッキリとニッコリの組み合わせを意識することで、

何となく活動気分にもなっていた。

久しぶりにみそひともじ

「聖五月いらかの海にうぐいすの鳴けばドイツの森ぞ思はる」

 

その翌日30日、ついに管理人加藤さん出現。あたしの肩口くらいのおじさん、

丁寧にあれこれ教えてくれて天使に認定。

 

その翌日31日、廊下でタバコを吸っていた30代の男性、向いの住人

話しかけると意外なほど話しやすい、

これはもうけものかも、と妙な理由で天使認定。

雨模様、ゆうくんが、どこかで傘が見つからず、残っていた古い傘を持ち帰っていたのをあたしが借りて、杖代わりにまたもやバスに乗る。

M銀行とU銀行、いずれも住所電話番号変更仕事、

いずれにもいい眼と笑顔の女性行員がいてくれた、

それは訓練され習得された振る舞いというより、人への優しさとレスペクトが

体現体得されていると感じられるもので、もちろんあたしの天使たちなのだ。

ただ、ゆうくんの傘、どこかに置き忘れてしまったあたし。

 

そして6月1日、ついに大家さんがこちらの連絡を受けて、訪ねてきた。

中国名だったのであたしはやや不安を抱いていたのだけれど、

40代の女性、丸顔であたしと同じく笑うと鼻に皺がよる、

何となく親しくなりたいと感じたので、天使認定。

その後エリカさんより電話があり、

ちょうど困っていたデジタル問題を相談することができた。

 

さらなるドッキリは消えない、どうしてか不明だけれど。

その1、すぐに提出すべき入居届が見つからない、

手元には個人情報云々の紙のみがあった。泡食ってデニーに電話すると、

その写メを送ってと。すると「その裏をと見て」と返ってきた。

何と、その裏がそれであった。信じられない!

 

その2、壁の角に毛虫、トイレに羽蟻、布団にハエトリ蜘蛛、カーテンの後ろに大蜘蛛、流しの前に赤いゴキ、これらが毎日発見される。すでに死んでいたり殺生したり逃すのに成功したり。少ないのでまだ助かる。

 

その3、夜、こむら返りが起こったがすぐに消えた、そんな夢を見た、と思ったが朝、筋肉痛が残っているので起こったのは事実だとわかる。事実は「痛みがあるのに寝入ってしまった」のだろうか? 珍事続きである。

 

その3、デニーが言う。「僕らは計画的に食事を準備しているので、

あなたは何も手を出さないでいい、家事も二人で協力していて、問題ない状態、

なので例外的に僕が夜外出するときだけ、息子と居てくれない? 

もちろん一緒に食事や買い物は一般的に大丈夫だよ。」

前半を聞いて、ドッキリした。

しかしそこまで半年の間に進化したか、と思い直し、

さらにそれはあたしにとっても理想的な条件だと思う、老体的にも。

むしろあたしがすでにお世話されている。

あたしの母が譫言のようにありがとうを繰り返していた、その気持ちがわかる。

 

その4、とは言え、環境の大変化の余波か、

2時間ずつの睡眠しか取れない日々となった時、頭痛が起こる。

これに対し、コーヒーや瞑想を用いたり、

自室の周囲のみが豊かな緑に囲まれて、鶯が毎日鳴いてくれ、

お箸もないようなミニマリスト生活も楽しんでいるのに、

突然ドッキリの考えが浮かんだ。

「この床に塗ってあるオレンジ色の塗料、これは何だ!! ひょっとしてこのせいで頭痛が起こる? 病院を探そう!」

しかしながら、翌日区役所のコミュニティー広場では

医療スタッフを配置して血管、肺機能検査キャンペーンが開かれていたのである。

そして肺機能に至っては18歳未満の状態、などとバカな結果で笑ってしまった。

中程度の総合病院が見つかった。相談に乗ってくれた医師は天使の候補である。

 

その5、携帯電話番号変更に加え、古すぎる携帯そのものを買い替えたので

一層ややこしくなったデジタル環境、これが、老婆のあたしを悩ませる。

けれど基本的には、助けも十分ある。

 

 

全てが自然(=摂理)であるのなら、その仕組みの反映であるこの意識体も

自然であろう。

その製作したいわゆる人工物も自然であろう。

ドッキリの自然的役割はまだわからない。死ですら問題でなく、

ドッキリしてもすぐに回収されるのだから、

見てる分にはちょっと面白いのかもしれない、誰が見ている?

 

日本でもこれまでと同じような課題が、自分に課されるとは(自分に課す)

予想していなかった錐子です。

数日、憧れていることがあります。カラオケで昔の唱歌を歌いたいなー

「汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れゆく

愛宕の山に暮れ残る月を旅路の友として」

ここは横浜です。

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