2024年5月22日水曜日

スーツケースは住いに置きっぱなしにして

まだ明るい坂道を(温泉小路)

周りの樹々を仰ぎながらフラフラ登ってきて(夕べの小鳥が鳴きかわす)

あたしが因縁を感じているそのホテルに入る。(戦後は孤児院だった)

 

扉に至るまで 10段ほどの階段と併設されたスロープがある。

このスロープを 6年前、亡夫の乗る車椅子を押してくだろうとした時、

危ない、と言いながら ホテルの持ち主が補助してくれた。

そのことが妙に懐かしく何度も頭に浮かぶ。

 

その人の低い声音の頼り甲斐のある響きもさることながら

1人ではなく、

不仲なりに 夫とは近しい2人であることの 

安心感 当たり前感がその背景にあったかなぁ 

そう今更のようにわかる。ただのネット上の偶然で見つけたホテル、

 

そこからさらに偶然に見つけた住いとは

歩いて3分の距離だったが

そこにちょうど6年住んで、最後の2晩を過ごすために

また同じホテルに舞い戻ったのであった。

 

窓からは 見慣れた山が少し違った角度でカーテン越しに見える、

また懐かしかった。

身一つなので 自由な感じはして、ウロウロして

ひょっとカーテンを開けて、びっくり仰天。

 

山稜の上に 少し赤みを帯びた黄色い反射板が 出現していた。

日光をばっちりと受けて 反射光を地球に、

あたしの視覚に投げかけていた。満月のたびに出会いたいと思いながら

住いの上の狭い空はいつも狭すぎた。

神さんの最後のサービスかと嬉しい。

 

ベッドからもずっと見えるようにと望んだ。すると大昔

恋をしていた頃、阿蘇のユーゲントハウスの窓からこんなふうに月を眺めて

想いを届けたかった20歳の自分も浮かんだ。まぁ懐かしいことの1つだ。

 

海外移住した日から こうしてついにまた帰国まで(72歳〜78歳)

こぎつけた自分の働きが 半ば信じられない、あるいは褒めてやりたい

この頭でここまで成し遂げて 

後はチェックインがうまくできれば楽勝、

後はぼんやりして うっとりと空を飛んで行くのだーーー

 

とすっかりリラックスしてしまい、あろうことか

シャワー室から水を溢れさせてしまった錐子さん、

 

さて翌日の夜は、(5月23日)

唯一の仕事(片付けを除いて)であるオンラインチェックインをスマホで試みた。

 

ルフトハンザで予約したが、使うのはANAの便である。

やはり悪い予感が当たった、JALもそうだったが、

錐子オババの旅券名で引っかかった。

 

ドイツで提出することが多いので

日本名の後ろに括弧付きで婚家の苗字を繋げた

そうするようにドイツの日本領事館で指示されたからである。

 

しかし空恐ろしい脅し文句がANAには続いた。

「旅券名と一致しないと入国拒否される可能性があります」

この恐怖にはゾッとする性癖のある錐子オババである。

つまり、

ANA側の書き方ではカッコを許さない。(このジレンマはルフトハンザにはない)

 

導かれるままにヘルプに電話してみたら、7時半から22時までの応対です、と来た。そのどちらにも属していなかった。

日本にもドイツにも属していないあたしみたい、と心の中の呟き。

おまけに楽しみにしていた二日目の満月は、どこにもなかった。

雲に覆われてしまったのか。予想していなかった。

 

 

5月24日金曜日 出立日。

昼過ぎにフランクフルトへ、ヤンにお世話してもらいながら出かけるまで、

少しの合間を縫って、

まだ中途半端、不完全な空っぽさを眺めつつ(住いに戻り)

最後の記事を錐子オババが書いている。(ドイツ発の)

 

全ての出会う人に、木々に別れを告げ、

天国できっと会いましょうと宣告する。

それでも飛び立つ時には涙するかな、と思う。

 

ヘルビーの意見では、如何に成功している彼の仕事でも

100%楽しいわけではなく苦労は絶えない、

ただこれを乗り越えれば快楽報酬が得られると知っているだけだ。

幸不幸は脳神経の配線の都合なのか、

いずれにしろそうなると苦労も楽し、という時間となるらしい。(そこまではまだまだだなー どれだけ年取ったら??)

 

少なくとも、錐子さん、

全ての生物草木地球空気に対し「愛しい」を抱くことはできる。

それは素敵な満たされる瞬間だ。

 

ここで天国を見出した、天使たちに愛された、

JBと和解し、彼は約束通りに

ヘルビーと猫たちを合図として送ってくれた、

 

「魂?」は永遠であり 全ての「存在の」間には

距離も時間もない。

そうでなければこの意識にも意味がない。

 

何が起こっても大丈夫、女丈夫なのです、世界よ、ホントはね。