20240315 金曜日になってしまった。

やっと、ここ十日間の体験の外観を 掴み構造を発見した。

 

せめてここまでの思考の成果を記述しておこう、そうしないと、、(藻屑と消える)

 

あたしの意図的な仕事の一つは、物理学(但しいつも注釈するように、幻像界での物理学(もちろん真理も入っているが捉えきれない部分がある)のことだけど)を根底に、

 

生命と死と意識と思考と感情ととらわれと運命と悪意と善意と殺傷と助け合いの自由でもあり不自由不条理でもあり幸不幸の支配もあり無知と向上心と欲と後悔と罪悪感と憧れと愛と寂しさと不足不満と恨みと憎悪と知性と教育と洗脳と、、の現象

(こんなに書き並べるつもりではなかった、毛頭、切りがない)

つまり人間の意識と感覚と考察と願いと不満と不安考察、

つまりこの意識界考察(人類の旧来の学問分野の成果の上に、神学的形而上学的哲学的空想的妄想的部分の、プラス心理学的な解明追求も含めた)

つかみどころのない意識界、超私的気まま的研究に

自分としては勤しんでいるつもりなのである。

 

季節の桜桃の白い花盛りになったせいか、

基本的には気分は強くなり、高揚し、やる気が湧いてきて、

たとえば顕著なのが、太極拳棒術を完璧化しようと時間と金銭を費やし始め、

ついでに家事にも力を入れ、同時に引越し準備も数歩進めることもできてきた。

 

一度座ると立ち上がるのもなかなか、かと言って長くは立っていられない

老人ではあるが、喜んで頑張っている状態なのだ。

 

同時に相かわらず、(人のよくやる散歩、庭仕事、手仕事、趣味、おしゃべり、おしゃれ、ショッピング、テレビ、音楽鑑賞、旅行はしないが)

誰もいない家の中で、密かに、というか、時には声を張り上げて

自分で自分に笑いをとっている。

 

*最近最も笑ったのは、

昨秋の一時帰国の時、末っ子のKGに時々、こう言われた瞬間を思い出した時だ。

あたしが2、3言話すと、遮られた。

「どうしたん、いきなりドイツ語で」

あたしはまずはその日本語の意味がわからなくて、なんと返そうかと、考える。「xxxxx」言いかけていた続きを話そうとする、

なんだか不自由だ、いちいち日本語から変換している、

あ、ドイツ語を話している!とやっと気づくのだが、

そこまでいくばくか時が流れている。

それは数時間KGと話さなかった後の状況だったろう。

夫のJBに対する習慣化した関係感が支配してしまったのだ。

 

そこまでの自分のボケッとした顔を想像すると、笑わずにはいられなかった。

3回くらいやってしまったと思う。

今となっては、面白可笑しくてしばらく楽しい時間となった。

 

*少し青空になりそうだったので月曜日(0311)、スーパーに出かけた。ナーエ川の支流に沿って歩きながら懐かしい唱歌「春の小川」や「富士山」を小声で歌った。

歌詞が素敵だ。

帰って、やっと荷物を片付けた後、いつの間にか眠ってしまった。

目覚めて、部屋を出ると、玄関のドアがかなり開いたままであった。

ありゃーしっかり閉めていなかったんだ!

 

しかし、こんなにたくさん開いている、、外には発泡スチロールと銀紙が

無茶苦茶散らかっている、誰だ、こんなところに、、、

あ、セルマだ。この散らかし方は人間ではない。と階段を駆け上がる。

人間ではない足跡が、あちこち残っていた。二階がキッチンだ。

そこにも姿はなく、特に変わったところはない、と思ったが、

やはり、あった。まさに不燃物をすてる袋に差してあった2つのものがない、

肉の匂いを嗅いで外に運び出し、食べようとしたのだろう。

やられた~~

 

翌日、外に出ようとドアを開けると、もうそこに、セルマの長い鼻面が

差し込まれていた。あたしは本気半分で、セルマに文句を言った。

それでもそうして話しかける機会となったのが面白かった、

が、セルマがぼさっとしているはずだ、

あたしは日本語だった、彼女にわかるはずもない。

 

*その前の土曜日(0309)には冬のズボンと靴を、いつもの古着屋で買った。

お墓参りのついでに、お墓友達のエレンが彼女の白いピカピカの

ベンツで乗せて行ってくれた。

靴は2足、ズボン3本も買っちゃった、とかなりたっぷりした気分だった。

しかし、家に帰ると、2本しかない、狐につままれたような気分になった。

結局現実の通りだったのだが。思い込みの由来は不明である。

あたしはまさに独り言で、自分に語った。

「どうしてこうなるのよ、一体、アホとちゃう」


*0312、夜に眺めていたYouTubeで、量子物理学の式の説明を

かなり詳しく見ることができた。萎縮した老脳の常として、

一向に記憶に定着しない記号がどうしたわけか、語り手の影響か、

かなり近しくなったような気がした。特別な喜びの笑い顔になった。

やっぱりこれだ、これが少しでもわかるのが面白い。 

 

 

*次は笑い上戸ならぬ、泣く話だけど。

「アンチカオス」という和訳中の本で、たまたま自裁したボルツマンの

最期の話になった(時間の方向性を含んだ未解決課題に絶望した数人の学者も

後に続いた)。ちょうど高橋夫人の、

脳外科医だった夫が、また脳出血を起こしたという知らせがあった。

JBとほとんど同日にこの世を去った、あたしの学友の夫クリスも、

同じく外科医でアルツハイマーを発症した。

よく笑いよく泣く者となったあたし、しばらく人の子の悲しみに浸っていた。

するとしばらく浮かぶ様子もなかった五七語が湧いてきた。

「いくたりか夢断たれたるおのこらの形浮かびぬ 我が子人の子」

 

*なおも3月11日のこと。

千葉県で直に経験させられたあの日、多くの人が理不尽に亡くなった。

世界中に対し、その平安を希求しようと思った。

すると

「自然界は実験場だ、いかにして極楽を生きることが可能か、いかにしてすでに与えてある真理を見つけるか、その行為を目的とした実験場。

パーフェクトな社会、パーフェクトな人間へ至るのだ」と考えが浮かんだ。

新規な考えではないが、自分の中から顔を出したのは初めての考えだった。

しかしどうも難しそうではある。成果が偏っていて悪影響となっているし、

この考えは好きではない、酷すぎる。

 

3月12日

改めて、全生命の幸せを願うという熱望があたしの中に湧いた。

しかしこれは他の生命を食べ、

存在し続ける欲に駆られる、という生命存在の基本条件との全矛盾である。

その熱望はあり得ない。論理的に無理。

 

そうであるのなら、生命として存在したくない、私の熱望は

この様式での全生命存在をむしろ否定する。無論我々の罪でも落ち度でもない。

 

改めて、

この存在様式が酷すぎてあり得ない、受容不可能だ。ということは、

実は存在してない。(そこまで言う?)

一つの証明は:知能を発展させそれを使って、どうしても殺人、地球生命破滅を

させる方向への進化あり、つまりこれが

与えられた方向性である、

自滅(=存在してない)の目的に向かっているシニカル

 

このようなものであるとして、生命の生滅の軌跡が考えさせるもの 

一方で自然生滅システムの方式があまりにパーフェクトなこともあって:

 

「素粒子の理由なき生滅行動、と同じである可能性もあるのかな?」

ということは

根本性(ミクロ)が大規模(マクロ)においても現れている。

ただ、大規模システムでは

最近の知見実験によると情報のみが存在している、とかだけど

どんな内容の情報??? この混乱の原因となる「情報システム』か?

それ以前に、素粒子の根源・性質としての生滅性と、情報との関連が全くもって想像し難い。ここが次の、より深い問題・・・

 

 

*時間を自由に遡っているあたし、3月7日のこと、

ここでもふっと湧いてきた言質がある。

つまりそれまで微塵も考えなかった内容が。

 

いわゆる旧約聖書の物語において、創造主が造ったのは人類ではなく実は、

意識である(脳神経細胞網がとりわけ高密集した状態)。

楽園であろうが、混沌であろうが。見方次第である。

 

もう一発、

死すべきものとしての生命体、と見えるが、実はこの方式で

生命の永続性を表している、原型は久遠の生命体である。

子孫を残し死んで行くと見えるが、そのやり方は命の永遠の存続でもある。

 

*こんな風に脳を騙して、自己満足的に考え生きることも悪くはないかなあ~ 

ここ、今が楽園だと簡単に感じている。

 

ピグマリオン効果、あるいはローゼンタール効果、

そんな人間心理があるらしい。

褒められると人間心理はBloomer花咲く人を作る。

喜んで学び練習し、むしろ天才になってゆく。こう考える人もいれば、

ちょっと想像もつかないがサタニズムなんてものもあるようだ、

しかもひょっとすると大規模に(そんな主張がある!)

やめてほしい。

 

*ところで、少しやる気になって

帰国準備や棒術稽古などしようとするあたしの指に

絶えず傷が生じている。

包丁を研いだばかりに2回、同じ場所を切り付けてしまい、

それが治ると違う指が、いつの間にか腫れて青痣になっている、不思議だ。

仕事ができないことはないけれど、、、

それ以外に2、3の不如意も起こってきて、これもはてなマークの仲間である。

はてなを神さんに見せよう、一緒にやりましょうね!

こちら頭が働きませんよってに。

 

 

*とまで書いて翌日 0315金曜日

不如意の一であった懸案:あたしのメールに対し、ヘルビーより電話あり、

紆余曲折あって延期になっていたバイエルン訪問が

ついに最も良い方法で解決した。やっほー!

 

不如意の二であった懸案(これはあたしの詰めの甘さが遠因で出来したもの):

あたしの電話&メール訴えに対し、クレーマー夫人より電話あり、

さらにその数分前、トイレで妙案をいただき、ただでさえ感激していた

(だって、簡単に思いつきそうなものだったのに一人で凝り固まって詰んでいたらしく!)

あたしだったので、この流れのスムーズさに、

またもや「春の小川はサラサラ行くよ」と捧げたのであった。

即予約をもらった。ヤッホ、ヤッホー!

 

全てがうまくいきそうな確信と喜びが湧いてきた。

あたしの心臓よ、大丈夫か!? 喜びに耐えられる?