今日は2024年令和6年 2月21日水曜日

 

数日前、やっとヤン&ゆりかが来てくれた。

孫を迎えるおばあちゃんよろしく、ノッポのヤン、錐子オババより

数センチ背の高いゆりかとハグする。二人とも背中が痩せている。

 

懸案:

ドイツの建物の窓に 厚地のカーテンを取り付けるのはちょっと

難儀で、6年以上もできないままで、このまま終わるわけだが、

最近錐子オババに 両面テープで布を貼り付けるというアイデアが浮かんていた。

布は昔 姑からもらったものがあるし、両面テープは高橋夫人と

買うことができた。ただ、計画を実行するには数センチ

腕の長さが足りなかった。

窓の外側には金具のシャッターが付いていて、風雨や寒さを防ぐのだが、

それが壊れかかっている。せめて窓を開ける季節に、

特に夜に、灯りを求めて虫や蜘蛛が侵入してくるのをできるだけ

阻止できないものかと思ったのである。

 

計画通りに、二人は布を窓全面に垂らしてくれた。それから錐子オババは

6年間なぜか部屋の隅に立っていた木の棒を取り出した。

その片方の端で、布を掬い取り、

徐々に上まで引っ掛けて行く、窓の上部まで来るとそこに押しつけ、

やや斜めに下の端っこを そこにあった足置き台の上に置く、

それで固定されたのである。

布は中間点から両方向に、結構立派に円形を作っていた。

 

朝夕にそれを繰り返し、満足して数日過ごした。

一方徐々に、机の足元を掃除したくなってきていた。しかし今する、

という理由がなく延び延びになっているのだったが、

一昨日2月19日月曜日、

カーテン操作中に、30センチ物差しに腕が触れて、それが立っていた

筆記用具入れのカゴが 派手にひっくり返ってしまった。 

何十年ものの筆など 混ざった雑多な場所、これをどうしようとため息もので

よく眺めていたところ、

自分から墜落してくれた。これを良きことと思わずしてなんとしよう、

錐子オババはニヤニヤしながら喜んで 掃除の準備にかかったのであった。

 

ただし、その結果は、鉛筆類は机上に集まったものの、まだまだ

散らばったままである。錐子さん、率先して行動できないらしい。

自分を強いない、呑気者ではあるようだ。

しかし

率先して錐子オババが始めようとしていることはある。

特に2月から、のように見えるのだが、脳・神経・細胞・軸索・内の電磁気が

頓に行き先を見失うようになってしまった。

何しろ2011年来の睡眠不足生活である。

やれやれ苦労が減ってきた、と思う時に脳も弛緩してしまうらしい。

エピソード記憶はあるのだが、一つ一つの単語が何語であろうと消えてしまう。

探している概念はわかっている、

物であればその外見も浮かんでいる、なんとなく音も近くにある、

そしていつか思い出すし、次の機会には問題なし。

ただ苦手は残る。そこでいいアイデアが浮かび、思わずそうだ!と

小さく叫んだのであった。失語リストを作り溜めておこう!

 

まもなく使い終わる黒の大判帳面の最後にそのページを確保。

食べ物、医療、生活、エトセトラ。。 さあ制作だ。

 

「昨日苦労したのは、・・・あれ?  いつも忘れる緑の野菜、・・・・あれ?  もがけばもがくほど、・・蟻地獄、だけどこれじゃなくて・・えと?

そうそう、ブロッコリ、出てきた! んーとんーと、か、か、カウンセリング! いやこれじゃない別の言葉を昨日は使った、もう消えたか!

難しいな、忘れた言葉のリストを作る、とは・・・自己矛盾、自家撞着? なんか違う。

他には、セロリ、うまく出てきた! 白いブロッコリーはカリフラワー、珍しく出てきた! ドイツ語では・・・」

 

そう、このリスト作りは難題であることがわかった。が、錐子オババには必要だろう。

 

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(さて、あたしの備忘録と行きますか。ミニマリストとしての、引越し前提のこのおよそ十日間の生活で、さらにわかったこと:

 

うちでは空が小さくて 月星にお目にかかれないでいたところ、

ゴミ出しにでたとき 頭の上にぽっこり半月があったし、

夕べはキッチンの窓から 十三夜月がのぞいてくれていた、朧月だった。

昼間は朧太陽だったが。最も楽しみなことは まもなくの満月から、

新しい美しい帳面を使い始める予定なこと。できれば字を美しく書きたいものです。

 

驚いたことに、学校システム異端生ってざらに存在する? 

少なくともあたしの周囲ではなんだか当たり前に。

そしてアインシュタインもそうだったらしいけど、それなりに深い人物になって行くような、そんな感じです。

なので、せめて自分ができることとして、孫にとって

明るい面白いおばあちゃんでいようと決心できたのは、

自分にも希望となったようです。

本来人の幸せを願うって祈りから始まる、なら、どんな発願か? ですが

この世がどんなものに見えようと、真善美の意図と仕組みがあり、

我々だって実は極楽に生きている「神の子」であると、

そんなシステムとして信仰する、それで笑って過ごす、全て最高とみなしてねえ。

ネガティヴなことは空無です、あると思わないで!

できるかな??!! キチガイ沙汰だけど。

 

今後の首の突っ込み方として、

1客観的情報としての比較宗教学という学問もあるだろう、色々な深さでの整理が必要だ。さらに、

2神学を科学と睨みあわせるとか、神学を心理学にくり入れる企て。さらに、

たまたま読んだのだけど、メキシコ由来とかいう、

3神を許せるか、自分を許し癒すために、というアイデア、

これには多分、内なる神との議論が必要だけどね。「コンコン、あなた存在してますか?」)

 

日が沈んで、空腹となって、錐子オババはキッチンに上がって行った。

何を食べるのか、またこんにゃくらしい。しかし醤油がないという話だったのだけど?

とりあえずドイツの田舎のスーパーにこんにゃくが出現したのは、かなり異なこと。かなり固いという話ではあるが。