いやはや、今朝はトンダ地獄を見た。例の如く、

窓の外の 高さ2百メートルの岩山と曇り空を見上げつつ、

啄木「砂山」のメロディに岩山と当てて、自然を神格化したがる大和魂で、

神さんとシンガーソングライターしていたら、

本来聖霊の光に満ちてもいるはずのこの場(幻像界)が我々には

どんな風に見えているか、というテーマになっていった。

 

確かに自然は偉大で美しく(意味なく大荒れする以外には)

生命には偉大な叡智が詰まっている(人間の変な振る舞い以外には)、

重要なのは、産めよ殖せよの巧みな誘惑システム、のように見えますが、

 

しかしながら、満足・幸せ・最高と感じる人は極々少数、彼らすらすぐに

気づく、決して満たされない、不運・不条理・不平等に満ちているから!と。

そんな不満も絶えない。だってこれが現実だから、と。

そもそもこれらに耐えた後、恐怖して死ぬのみだから、と。

こう見えるこの世。

細かいことはあげつらわないでおいても、ここが絶望の牢獄、

まさに地獄であるってことが、明らかな結論だ。

何かに気を紛らわせてもセックスが楽しくても一時の慰め。

 

こんな世界に生きてますが、そう見えますが、さて、

ここで、あたしゃちょっと参りそうになりました、あまりの酷さに。

囚われ人としての現実がリアルで血の気が失せました。

こんな目に遭わされるほどひどい罪を犯すことは不可能だ、罰がひどすぎる。

 

実証的科学が発達未満の時代の人間は、この桎梏に苛まれながら

短い一生を過ごしたのだろう:

ラッキー! 

我々には、科学がある。

科学がこの自然(人間の体も含め)の驚嘆すべき仕組みとシステムを

確かなものとして、解明してきたから、あたしは

しっかりした靴を履いて歩いていける。

 

自然に秘された叡智の偉大さ、為されることの不可知にして強固なシステムを

知れば、

それらがこの生の形態をかろうじてあり得ない繊細さで保っている

ことに驚嘆の念が湧く。それは

「誰だ、そこに何者がいる?!」こんな風にも見える。

 

我々は牢獄と思った窓から、外を仰ぎ見る、これを追求せずにはおかないと。

幻像人類なりに、ふさわしい意思と希望と馬鹿力がある、

絶望が酷いからこそ脱出への念願も強いし まさに必死の行為なのだ。

 

ここからは、もう妄想を逞しくして自分を力づける方法を探すしかない

科学の紡いできた「物理、自然の仕組み」が基礎となる。

 

例えそれが、まだ残念ながらバッチリ真正であるとは言えないとしても、

どこかミクロの世界に不思議がありすぎるとはしても!

 

限られた物の理の知識と情報を元に、

あたしだって形而上学に参戦することにしたのだわ。

神秘主義とかスピとか言わせない。超心理学と称することはどうだろう、今はわからない。従来の記号論をも超えてしまう。

真正の世界の仕組み、在りて在るもの、全にして一なるもの、

全てを動かしている機構と論理とシステムを、

いわゆる科学的思考のみに限定しない、未承認の智慧、

意識ではなく存在の奥から湧き出てくる思念を当てにして。

 

 

さて大風呂敷を広げてみたが、

ここからは、最近のシンクロ集、かな。かなりラッシュ。

 

*2月5日の寝しなに、実相界(=幻像人類にとっては死後の極楽=幻像体でない真正物質体=本質実在の意識体)(クォークと反クォークの消滅生成と同時に光産出の際に 物質のみが少量居残った部分)に、光が照射、反射する様を思い描いたら、

 

そう言えば、ダイヤモンドだったら当たる光が全て反射し

それらが混ざると透明に見える(なる)わけだ、と思われ、

そうするとやはり実相体はダイヤだと確信できた。ダイヤから成る星もある

今までは かな(何しろ中性子爆発でやっとできた完璧の石なので)と

仮定していた、あたしとしては。金が好きなので、ダイヤも好きだけどね。

そこへ、

2月6日、ぼんやりSNSを見ていたら、狭い場所で光を反射させ続けるというシミュレーションあり、3000本のレーザーを照射し観察していると、最後にはカラフルな紋様が限りなく生じていた。

光は見えるのだな、しかしダイヤの姿は透明だ、実相体を我々は見ても見えない、

ただ妄想の中で菩薩の姿にして拝みやすくしているけどね。こんな感じかな。

しっかり区別しておかないと。つい混同するから。

 

*2月5日、古新聞紙が必要になって、部屋の隅を探すと新聞の下にプリンタで印刷した紙が数枚あった。古い物らしい、最近は覚えがないから、こんな自分の備忘録を印刷なんて。

捨てるかメモ用紙にと取り出した。9月28日だって、一体何年の?

2月6日に読んでみると、ハイハイ、昔のじゃないねー、最新の内容だ、

10月8日だって? おー忘れもしない、「実相体で生きる」と言葉にできた日だ、ということは去年の末、旅行前。

でもなぜ印刷した? こんな風にここだけ取りだして印刷するのは不可能なはずだよ??

これは、2月3日の「助っ人としての祈りで生きる」覚悟と合い通ずるものだ。

わけわからないけど、よかった。

 

*2月4日、ここ数日、綺麗好きだった母の真似でもしようと、こまめに水仕事、水洗いなど、また棒術練習もしたら、乾燥のため指にいわゆる

サカむけができて結構折々に痛い。

確かバンドエイド残しておいたはずと思うが無し。

夜になり、茶碗洗って机に向かおうとすると、

椅子の足が一枚のバンドエイドを踏んでいた。どこから出てきたやら。

だいぶ古くさい。中身はあるので、どもども、お心遣いいただきまして、と

人差し指に巻きつけた。

我がスマホでは、まだホームボタンを人差し指で押すのだが、もちろん面倒なことになってしまった。諦めてMacで指紋を使う、ここでは中指をつかうからだ。

押したところ、いてっとなった。あらま! サカむけしたのは中指だったのね、

と人さし指から外して新たに巻きつける。全く、在り得ないわ

 

*2月3日、突然気づいた、誰からも便りがない! 

突然孤独におそわれ友人たちを失ったと感じて愕然としてした。これも地獄。

しかし、瞬時に、目が覚めた。

みんなを助けるのは今のあたしだ。各々が難関にぶつかっている。

昨日決めた、苦意識の軽減を菩薩たちに喚起する役割を自ら立ち上げたのだ。

奇跡の要請である。

 

「我は空無・非在の者なれど 光満ちたる場であれば 光ばら撒く燦然たる

ダイアモンド界に対す、文殊菩薩、そこに居ならびおわせば呼びかけむ

苦の意識を除きたまえ、その指一本にて」

 

もう一度、夕6時のこと。かく決意湧く 

「みんなを助けようとせずにどうする、今こそ。信念と意思もて!」

 

*2月4日、上記と似たような瞬時の変化。

あれこれの理由から末っ子のKGとコンタクト、

変わらずで暮らしているらしく感じたが、

必ずしもいいことではない。

つまり孫の学校システム不適応症が固定しているということである。

KGはだいぶ絶望している。あたしの世界も薄暗くなった。

寝しなに、ますます暗くなって絶望が移ってきた。

彼の絶望に共感しそうになり、辛い一瞬に遭遇した。地獄!

 

しかし即、力強い足蹴りで水面に浮かび上がった。

すべては良し、という原則に則った良きことどもがさーっと

脳裏に流れた。彼にかける言葉がわかったのだ。

突然絶望から希望、笑顔になった。すごい変化だ。

本日から始まった使命また。あんまりわからないけど。

「学校システム改変プラスChatGPT的知識変革。全く新しい世界への使命的任務」

 

夜になり、改めて神さんの摂理の配慮の周到さに気づく:

孫と誕生日が同じで、学校苦手なヤン、教師だった高橋夫人、その息子。

とは言え、

神さんと菩薩方に、関与してもらう時、あたしの摂理との関係態度が重要だ。

 

生まれた以上は死ぬまで、できるだけ満足して楽しく生きる決意をしよう、

などと無闇な元気がどこからか。

2月6日、元気のついでに「天才異才教室」を作る!などというところまで一人盛り上がりしましたよ、

そしたら、本当にあるんですね、東大の先生とか、ベネッセとか、NPO「異端は先端」 横浜あはでは など

 

しかしまあ死ぬまで忙しそうです、苦し紛れのジタバタですが、悪しからず。