2023年12月16日 土曜日 

曇りだったのらしい、でもふと目を挙げて窓を見る、ドイツの青空 

また戻ってきたらしい、12月になって初雪も起こったらしい。

 

日本のいくつかの地方を眺めることができたが、まるでこの世のものとも思えなかった。

山や野はもちろん命に満ちて、海はたっぷりと鏡のようで、昼間は汗ばむ、

人工物すら汚れなく、

工場地帯、建物、道路、車にしても、自然との美と調和における対比を

敢然と受け止めるかのようだ。

 

人々は趣味の良い服や小物とセットされており、

細やかな日常と食生活が想像される。テレビからは十分に

ネガティヴな情報が流されているけれど。

 

人間の能力の進化は予想もつかず、逆に確かに AIの発展が

この世を変えてしまうことだろうが、庶民がどう対応できるものでも無いので

覚悟を決めるしか無いのだろう、

来るべき自然災害も逃げようがないものとして。

 

風来坊の錐子オババの目に、

自然と文明の大きなうねりに対して

静謐につましく対峙する姿として 島国の人々は映った。

 

如何に否定しようとしても抗えない富士山の

麗姿を幾度も見ることができた。

石ころであれ、岩であれ、木であれ、魚、動物、建物であれ、

そこここに、全ての物質に八百萬の神を感じるお国柄である、

死後の世界までも巻き込んで、無神論には成りきれない、

ここは薄い霊性に満ちている、とも言える。

 

新幹線の窓から見下ろせる、精一杯頑張って手にした一戸建ての屋根屋根の

隙間の僅かさは、つい笑ってしまうほどだ。

ドイツでのなだらかな丘陵に悠々と広がる庭には、大きな樹すら聳えている。

 

ところで笑ってる場合ではなかったのだ。

たったの16平方メートルのライオンズマンション、

そんなものが日本には可能なのだ。ベランダは三角形。

水回り以外の室内は畳3枚とちょっと、というところ。

畳半分の物入れすらない。

 

が、錐子オババには理想の物件。北東の眺望があり坂道のてっぺんではない。

家賃も理想的。

しかし大家は中国人だと。孤独死の場合の妙な成約つき。

死に方をうまく制御するとして受け入れた。これが現実だ、

この後うまく施設に収容されれば、錐子オババの母親のように旅立てる、

跡を濁さずという可能性はある。

 

さらに、熊本でカプセルホテルの予約に成功し、

着いてみると壁の下半分のベッドの他に 同じ広さの床があり、

机と椅子と金庫もあった。

極小マンションに住む練習となった。

ワンフロアが女性専用で隔離されており、毎日掃除され、

大きな浴場にはお湯が溢れている。コロナ以前には朝食も出したようだ。

裏側のベッドのある上半分の壁に頭をぶつける以外、

問題は何もなく面白い。もちろん安い。

 

中学から大学まで、その後子育てもした山紫水明の地、

思い出しもしなかったのにやはり思い出に溢れていた。

体調が悪く、また住まいも決めたので、横浜から熊本への

今やあまり理由のない旅を迷っていた時、テレビが突然

高橋稲荷という中継を流した、選りによってなぜか

熊本の城山墓苑の隣の稲荷の。

 

呼ばれたのだ、と思うことにした。

そして小旅行に出かけてみると、錐子オババの不調は消えていた。

 

稲荷の赤い鳥居をいくつも抜けて、裏山へ向かった。

獣道のように跡のある笹藪に入り込んだ。

かなりの急勾配を四つん這いになって登って行く、猪でも出そうだ、

ここで死んだらまさに野垂れ死だな、と思いつつ

ヒイヒイ言いながら登るのをやめない。ついに、小道に出た。

 

そこがもう墓苑である。何度か来たので知っている。

長男が、最初の夫がそこに在る。彼らに詫びる、

二人とも気高い人でしたとその気配を拝する。

 

ドイツを立つ前に、錐子オババはJBを訪れて、冗談のように尋ねたものだ。

「一緒に日本に行く? 行かないよね、末っ子の手伝いをしてくるからちゃんと見守ってて」

それから思い出して付け加えたものだ。

 

「あんたもさ、立派な仕事をし終えたよね、あんなこと誰にでもできることじゃない、先祖の恨みをあたしに晴らした、とでもいうのかな、そこまではわからないけど。そういうことにしようね、あたしもちゃんと受けて立ったから二人ともよくやった、ということで」

などと、カラカラと笑ったものだった。

 

水前寺公園方面に住んでいたことがあったので、

電車の便もいいのでふらっと寄ってみたところ、

歳をとったせいか、鯉が好きになっていたのには錐子オババ自身驚いた。

文句なしに美しい。

抹茶を飲むと得も言えず香り高い。

さらに池の中央に不意に白鷺が現れて、すっくと立っている姿が美しくて

息を呑んだ、そればかりが飛び去る形にも惚れ惚れした。

ドイツのナーエ川にくる白鳥も感動的だが、これに負けず劣らずの純白であった。

 

もみじの色香、松の一葉、菊の一花、銀杏の黄金、茶室の木の手触り、心に残る。

 

さらに旅は続き、山陰の単線列車で行く。

小学生の頃住んでいた福知山の隣の市、

そこに如是寺という、住職が高齢で不在の禅寺があった。

 

こじんまりとしながら属すべきもの全てが揃った、

落ち葉に埋もれたところに、

古そうな中位の鐘があったのをイタズラ半分に軽く撞いてみた。

 

湧き出てきた音の深さに仰天した。それのみならずそのうなりの素晴らしさ、

こんなロックバンドがないものかと、今更ながら惜しいほどの

複雑精妙な波動が、少しもおさまらない、延々と続く、

どこまで流れて行くのか、この耳に聞こえなくなってもさらに広がるのだろう。

 

ちょうどその前日、日本の鐘について読んだばかりで

憧れていたところだった錐子オババは「こんなものうちにも欲しい」と呟いた。

ドイツでも特に日曜の朝、町中にカランコロンと響く

教会の鐘の音は印象的なものだ。

こんなところに住みたいね、と友と語った。

すべすべの沙羅双樹の幹にも別れを告げながら。

 

2時間遅れで、LH717便が離陸した時、

保安検査までついてきてくれた末っ子のKGが、

ギリギリの精神状態なのに時折、喋ってくれたり手伝ってくれたり、

車に乗せてくれたり、

助っ人のはずだったのに実際は錐子オババにできないことが多くて、

手のかかる子供が増えたようなものだと双方で分かったのに、

 

時々深い声を聞かせてくれたのを我知らず、錐子オババは思い返した、

その時思いがけなく嗚咽が洩れた。

目の下を流れる自然と人工の調和した美しい故国を眺めながら、

しばらく涙を流した。明らかにそれは別れの悲しみの涙。

 

衰退中と言われる日本だけれど むしろ文明の華のように思えた。

羽田空港から、千葉のコンピナートが整然と清潔に見え、

霞ヶ浦らしい川の多いところでは全てが黄金色に反射し、

しばらくすると北海道の形がみえ、それからは海のみ、

北極の上を飛ぶらしかった、

 

高度1万メートルになると機体が冷たかった。

ピンクとオレンジの虹が次第に夕焼け色に移っていくと、

まるで地球ならざるところを飛んでいるかのようだ。

そして偶然に窓のシャッターを開けるとあの、

オリオン座がまた直に宇宙に輝いていた。

そんな時、ふと全一的システムに集中したらしい、

形とは色である、色によってこそ形が見える、

しかし色は七色であったり自在なる波長なのでつまり、光なので

この自在なる本来は見えないものの7色に分離された部分のみが、

我々の視覚に捉えられ、電子信号として脳神経に運ばれ、我々に意識される。

 

それが形である。見える形は即ち空無である。

光のみが実在であることになって、色即是空の別解釈になってしまったけれども。「色」を物質つまり見える形であるがそれは空無である

とするのが文章上の正しい解釈ではあろうけれど。

 

もちろん錐子おばばの新解釈でも「色は見えるものを作る」ということで、

その作るの仕組みを説明し、

空無の理由を示しているのかもしれないけれども。

 

 

2023年は最初から不安と鬱に満たされた年だった、それが今年の述懐だ。

そう思った時ふと理由なく明るさが差してきた。

「実相体として暮らす」とは誰も恨みに思わないこと、

誇らしく生きるという希望が沸いた。心が晴れ晴れとした。

楽しく豊かに生きようと一飛び、飛び上がった。

 

 

さて、コトンと着陸した。2時間の遅れを取り戻していた。13日午後7時ごろ。

それからしかし、スーツケースがもらえるまで2時間、

警察のチェックを通り、延々と歩く、

 

前日、そう言えばオンラインチェックインを試そうとしたところ、

「ドイツ入国には3ヶ月の期間を空ける必要がある」と出てきて

肝を冷やしたものだ。

 

結局錐子オババのエラーが原因だったのだが、諦めずしつこく試した結果だった。

ああ良かった、ドイツ国内に着いて、と健康保険のあることが安堵された。

 

しかし、問題は夜9時、どの列車に乗るべきかわからない、

時刻表には行き先として大都市のみが書かれてある。

幸いにも親切なサービス係が一人いて、天使のように教えてくれた、

その時の嬉しさは忘れられない。

 

正しい列車に乗ったものの、あれこれ心配事も起こりストレス満載、

立ちっぱなしだし、最後に最寄駅で降りようとしてもドアが開かない、

ジタバタしていると、どうもまだ列車が停車していないらしかった。

呆れた老婆である。

 

とりあえず帰り着いた。鍵がなかなか開かない。

中は饐えたような臭いがこもっている。

しかし、どうでもいい この際。

 

時間はちょうど真夜中になっていた。

植物たちに水をやり、寝るのにちょうどいい、

機内では一睡もしなかったし、睡眠液あり、よく効く。

 

しかし食べ物が何もなかった。魚の缶詰あり、少し食べる。それで睡眠薬。

一眠りして夢の中かどうか、唾をやたらと吐きたくなる。

どうも胃がおかしいようだ。

もう少し食べ物をとグリンピースの缶を発見、10粒ほど食べる。

 

アカン、もどすなこりゃ。

本格的にえづき出す、たいして出てはこないが全てだ。

すると痛みがきた、初めての本格的な胃痛だ 4時ごろ

 

眠ってやり過ごそうとベッドに入るが、脚も攣り出した。

痛みはますますひどくなり、呻き出した。どうする術もない、止みそうにない

 

救急車と思い浮かび、旅行のままのバッグと手荷物を念の為、

玄関まで運んでおく

そばの椅子に腰掛けるが、ひどい痛みになっている

 

これは心臓にも悪い、と電話する。すぐ来てくれると。

その待つ間が苦しい、チャイム鳴ったら立って行って応答せねばならない

自宅の玄関の鍵は開けっぱなしにした

うめきながら、必要なものがあるか確認する

JBがそうして待ったように、

錐子おばばも床に転がって救急車を待った

 

外はまだ暗かった、それから点滴を2本してもらい痛みは失せた 

午前11時だった

タクシーを呼んでくれた。その前に食べ物を手に入れなければ、と必死に頼む

 

幸い食堂が営業していたのでサンドイッチを三個手に入れた。

それで生き延びた。

車椅子を押して世話してくれた天使の看護師がいた。

本当に親切だった、仕事とはいえ。その姿は忘れられない。

 

日本から先に帰国していた高橋夫人がちょうど暇があるからと、

買い物をしてくれ、おまけに余っていた野菜果物と

なんと出来立てのスープまで

持ってきてくれた。本当に彼女、天使だ。

 

JBの旧友から電話、死にそうな猫の点滴に月15万円かかりつつ、

錐子オババの次の問題に気を配ってくれる。

ラファエラは明日、食事に招待してくれる、

お墓友達はコロナにかかっていたが回復中。

ビルギットはクリスマス集会に連れて行ってくれる。

 

日本の旧友たち、一人は病気で会えなかったけれど、

同級生三人で阿蘇山にドライブさせてもらい、郷土料理にありつけたし、

 

泊めてもらった友の広い居間には暖かい実に心地良いベッドが

用意されていたし、猫もいた。

 

もちろん次男夫婦とも中華料理におしゃべりとうまく過ごせた。

まだ碌に連絡もできていない、

まだパジャマ生活スーツケース生活中、それでも一人暮らしなので気にしない。

 

そうです、錐子オババはもう極楽に住んでます。

何が起こっても最高最善なんです。

その信頼が信仰なのでしょう。