10月22日日曜日

恐ろしい日が後11日と迫っている、と思って目覚めた。目覚めて思った。

階下からヌールの祈りがきみ悪く聞こえてくる。祈りにとられる時間がもったいないのじゃない? などとつい思ってはイカンイカンと打ち消す。

あたしよ、何とか、元気を振り絞りこんなことを思い出してみよう。

 

10月21日土曜日

神さん父さん文殊菩薩様(千手観音から気軽に変身してもらい)、と三方へ声かけしてキッチンから朝7時の空を見ると、霧と雲が鬱蒼と!

「あれ〜 これはまた気が滅入りますね」ちょっと文句を言う。

かりそめのドイツの夏が過ぎてから、朝日が差し込まないので

あたしのかりそめのプリズムも配る光がない。

 

寝室兼書斎兼在宅ワーク室にもどり、仕方ないのでランプを点ける。

どっかと座って(確かに智子第一天使の言うように、老化的内臓下垂が生じた後は棒術ですら用心してサボっている)、オヤ何か明るい、と自動的に窓に目をやると、

 

「な、なに! 笑ってます??」

朝焼け雲が小山の稜線上に、ほっぺにつけた紅のように染まって笑っていた。

その素早い変化、「いくら何でもこれじゃマジックショーですヨォ!」

しばし、みんなで笑う。

 

時間が経ったのか知らないが、ふと見上げるともう青色しかなかった。

あたしの意識が空無化して、光がただ通過して、そこは透明しかない。

宇宙から見ると暗黒であり、つまり物質がない、と言うことになる。ただし詳述すると、ここは物質の影部分の場所なのでそれで筋道通っている(なんて今は無視して)

 

「さあ、今日も実相体として生きますから、よろしくぅ」

高望みも過ぎるかもしれない、などとは、日本人の謙譲の美徳的反省?とか、

 

いや確かに、あたしの母の教えは尾を引いている、性格的なものもあるだろうけど? 陽気活発な姉妹の中で唯一正反対であったあたしの母の

「出しゃばりな振る舞いと子供のお調子に乗ってしまうところ」への反感と

それゆえの自制は、思い返すとしっかりあたしの中にも根付いてしまっていた。

恨み言ではない、自己観察と理解と受容であり、今では自分が自然にそこから解放されるのを味わっている。

 

おやおや、笑い話のつもりだったのに、こんなところに流れ着いてしまった。

もといーー

この前日の朝のこと、目覚めると右手薬指が腫れぼったくて痛い。

痛風??とすぐに感じた。タンパク質取りすぎ? 

身に覚えある。中指もおなじ症状を呈している。

 

でもその翌日の昨日の朝、もう何でもない、すっきり感がある。

「そうか! 丸めた新聞紙を握ったこの指に力を込めて、窓ガラスにたかるハムシをたくさん殺生した、あのせいだ!」

笑い話にもならないが。

 

昨日は、最終的にはやや危険なエラーを犯した。

室温10度になったので、朝、浴室の暖房を入れた、それはやがて切って、キッチンでブランチした後、間も無く思いついたのは

「あれ、暖房切ったかな?」「あー浴室でちゃんと切ったな」

とその時のコックを回す図まで思い浮かんだ。

 

夕刻、キッチンにきて窓辺に座った、が、とても暖かい。びっくり仰天して見ると、暖房の設定が最高にしてあるではないか、

(そんな馬鹿な、確かにまた切ったよ、あたしゃ)と思いつつ慌ててそこを回し戻す。失念と勘違いと無意識、混乱、お見事でした。

温もった壁沿いヒーターの上には薬や新聞紙が置いてあった。まずいまずい!

末っ子のKGが10時間ほども在宅ワークに従事しているのと似たように、このあたしだって在宅ワーク丸1日だ。散歩買い物遊興など稀れ、それも毎日かけても済まないってどう言うことだろう。大判の雑記帳いっぱいに、進捗状況を書き込めども書き込めども(忘れるのを追いかけて)、課題がどんどん湧き出てくる。確かに仕事が遅い。

最近のテーマ、

ヴィザ延長計画と予約日変更日決定、健康保険更新書類送付と早めの確認、ゆうちょ銀行オンライン、テレフォンバンキング設定、同時に口座閉鎖手続き情報に近づく、海外送金方法について何度も確認、

11月の一時帰国ルフトハンザ便変更、それに伴い下宿人ヌールの進退どうする? SIMカード情報確認、旅行保険探し、出立の時に一人である不安への対策、所得税確定申告の有無情報確認、そのための書類探し、送金先銀行情報集め、旅行に持参しかつ日本に置いてくる物、その後ドイツの冬と春を暮らした後捨てる物、持って帰るものの分別決定、捨てる手順、最終日までの暮らし方の思惑、来年の完全引き揚げ日程の決定、電気電話など支払い終わり方情報収集、ラジオランプ電化製品もらってくれる人探し、部屋清掃と壁塗りなど賃貸後始末

まあこんなところ。

 

これらの幻像界の仕事をどんな気持ちで遂行するか、

神さんとの面白可笑しい膝栗毛として、できれば!

 

ともかく、出会うひと・こと・もの・全てが神さんの親切な贈り物だ、それは信じられる。

それでもあたしの弱虫と不安が治らないとしても、毎日少しずつじりじりと改善していくという意思あり

このようなあくまでもあきらめず、自分の意思の渇望の目的の存在を信仰し続けるところに 幻像人類の根本設定がある。

 

幻としての姿はどう見えようと、進化と向上への意思を誰でも抱いている、

それがこの短い生を活力を持って過ごす意味、

そんな物見出せないと言う状況に見えても、それがあることはわかっている、

だから無い無いと思うのだ。

つまり、幻像人類はこの短時間の命でも、頭に渦巻く思惑を鎮火させ

本来の静かな至高の自分に戻ろうとする、

そこには神さん独自の奇跡と慈愛の風が吹くし、

我々の意思に対し、実相物質界から天使が派遣されて助けてくれている、

知る知らないは別として。

なんかねー こう思えるようなリアルさが伴っている。

 

今日も、やっとと言うか、今こそ正しい摂理の時なのか、

今まで思いつかなかったのが不思議なのだが、

11月2日木曜日13時の78歳の、重いものを運べないオババとしての

あたしの日本への出立を助けてくれるべきノル氏が、

あたしの頭に今更のように現れて確信を与えたのであった。

これも合気道繋がりの天使なので、亡夫JBのはからいと言うことになろうか。

 

ドイツの地にあって、縁あって近づいた魂たちがそれぞれに、

癒しあえるテーマをあたしと同じく抱いていて、

その意味ではあたし自身も天使の一人であるのだろう、

いやそのはずだ、誰もが天使でお互いに助け合うのだから。

今日は何度も涙した、悲しいからじゃなく感動して心が震えるので。

 

明日、月曜日から実際的に忙しくなる。

次の備忘録をどこから書いているか、自分でも興味がある。

世界中を愛しているよ〜〜 それぞれにいろんな意味で。

世界は実は素晴らしさを反映している。