前回のタイトル、黒を白にひっくり返そう、というのが目に入って

それはないかな、と感じた。

急に話が変わるけれど、録音しておいた音楽を聴いていたら、思いがけず自分の声が聞こえた。と言っても自分の声なんて普通それほど意識していないので、あ、誰?と一瞬思って、そのあと、懐かしい人の声を聴いた様な和んだ気分がした。

自分の声を聞きたいと思って、そこでセルフィ録画を始めた。

おひさ〜とか自分に挨拶? それにしても目とカメラとの高さを合わすのに苦労する。なんだか変。

それでも思いつくままに普通の声音で、考えたりキョロキョロしたり、ちょうど心に残っていたことを誰にともなく語り、数分後、ではこの辺でと挨拶して、最後にかなり笑ってしまった。

最近は、滑舌が悪いなー

 

 

瞑想の楽しみにその手の音楽をかけたりすると、

ここ数日妙に効果的な、苦労せずに思考が鎮まり、薄まりそのまま

広い草原の様な意識になっていることが起こった。

突然、あの音声的意味が、、、、

 

黒を認識し、白と分別して、どうこうしようとしないでいいよ。

その意味とかわかろうとしなくてもいい、

自分というこの唯一の感覚思考すら手放して、預けてしまって、

な〜んにもない空無の状態にいたらどう。それがありのままの君らでしょ、

でも同時にそこは聖霊のたゆたう場でもあるでしょ、

ほらね、もう聖霊しかない。

 

あとは、真正物質・実相体があるから、

君らの残った意識で 大きな肩につかまったり、

あるいはどっちでもいいけど、

両手で包む込めるほどの金剛の魂として抱いてもいいよね。

 

そうですね、神さん、とあたしはニッコリした。しみじみと一人ではなかった。

 

意識のことはまださっぱり不明なままだが、おそらく、

実相体により乱反射した光の残照、残光から生じるのだろう。

 

昨今のAIの凄まじい発達、

人類の発した大量の意識の産物を餌にして、

この文明を概観し辻褄を合わせ、大局的に理解させてくれる能力を、

人類が付与した、未曾有の機械システム。

もう汗水たらすことはしなくてもいいかもしれない。(なんだかなあ)

 

AIか、人類か、どちらが奴隷になるのかな。

いや、そんな態度ではダメだ、協力を学ばねばダメだ。

 

協力はある程度人類もやってはきた。

その道が宇宙の仕組み解明への尽きせぬ情熱のゆえであることを大切に考えたい。

他のどんな欲を満たすよりも、そこにしか真の満足はないようだ。

 

で、そんな高い能力を使って

仏教関係のこれまでの成果について対話するAIシステムができつつあるらしい。

表面的な議論ではなく、記号論をベースに

この意識の有り様を様々な観点との関連において、

徹底的に探ってくれたら面白いことになるだろう。

 

同じ概念を神と崇めつつも反目しあう3つの巨大宗教が、

忌憚なく利己主義なく語り合えば齟齬がどこにあったのかを理解できるだろう。

 

それでも、基礎知識が人類の思考と経験なので、結局ろくなものは出てこないかもしれないけれども。

 

一方、現実の幻像生活では:

 

理由が理由を遡って、(こんな言い方聞いたこと無いよね)

現在の無理が生じている、というのはよくある図式。

昨夜は2時間半眠ったのち、ガバと起きて、3時半だったが、

書類の山を一枚ずつ崩し始めた。

 

喪の仕事、遺産処理、旅計画、と絶えず取っ組み合った結果の、

整理整頓不可能状態の中、絶望を感じながらため息をつきながら、

土くれを探ってほじる様に、見ていくうちに、

目下の問題物質が現れた。

何度もそこは見ているのに、認識力と記憶力が働かないとある物も無い。

 

突破口である。

ここ、ここに至り、老化急病になり(何とかなりそう)、

永住許可は結局要求が厳しそうな感じで(ここに居てくれるなというのなら帰りますよ、約束を破るのね、と嘯きつつ)、

健康保険継続の提出書類紛失が判明し、

小さな終の住処を求めつつ、ついにはそうだ、

カプセルホテル暮らしをしよう、と素敵なアイデアにも当たり、

あたしのアンチナタリズム(生まれなかったら良かった感)を育む流れの中、

これから意識をめぐり神さんとの協働作業が続く、

その道の端のちょっとした突破口をもらったのだ。

 

神さ〜ん、乾杯、とでもしたいところであった。

 

もちろんそのあとの計算が大変、ありとあらゆるミスを犯す。

ミスがわかってまたミスになる。

退屈しない!

 

一時帰国は、順番として 危ない事態になっている。

あたしのせいじゃ無いです〜〜 起こること起こったことそのままで大丈夫なんでしょ、そう思考を回すには神さんとの親しい関係がなあ〜〜

 

そう言えば、いや、脈絡もないのだけれど、

あまりにおかしなアイデアが来た。

美しい青空と山を見上げて、

「もしも地球の命が神そのものであり、永遠に生きるとすれば、

新しい命を作ると言う魂と肉の喜びを味わうことがない。至福とかあるとしても。

喜びを味わうチャンスとしての生殖、次世代創作、つまり死すべき命としての運命、

とか???」

 

もう一つのヒット性アイデア

あたしに苦労と苦難が 鬱にまでなる程重なる形而上学的理由というかその結果:

不安のあまり、周りの人に訴えてしまう、

人は同情しあたしを助けようとする、

それが彼らの魂にとってのヒーリングの奇跡である、なんて!!!

 

ここでも独り笑い、全く退屈しない、退屈してみたい。

 

そうそう、昨夜は退屈できないことが起こった。

エックスで、嵐の実況放送みたいな画面が流れてきた。

少し前から晴れが一転、外は豪雨なのは聞こえていた。

そのドイツのヴィデオでは、

まるで世界終末映画の場面の如き稲光が空一面に、絶えず光っている。

止まらない、空全体が怒っている。

ふと窓の外をみた

そこにも同じ光が充満していた。ここの景色だったのか!

 

音は大したこと無い、あるいはあたしの耳が聞こえない。

1時間もそれは続いた。時々雷鳴、しかし光がほとんど。

慌ててあちこちの電源を切る。

これは異常だった。どうしたんです???と尋ねるが。

これまでの世界ではない

氷河が溶け、山火事が自然発生し、さらに稲光に照らされる。

ギザギザの白光はなく、カーテンの後ろからサーチライトが当たるかに

この世ならぬ、虚構の恐怖は二次元のような。

 

みな、無事に生き延びたらしい。