本日、2022年10月21日金曜日

いつものことなれど、いつもよりひどい自分の勘違いとエラーに

今更ながら気づいて錐子オババ はついに叫んだ。

「だめだーあたし、もうだめだー」

 

どうしたらこの錯綜状態を全体像として自分に分からせることができるか、

それすらも心許ない。

しかし何事も試みてみないとね、と高らかに独り言。

まず、単純なエラーから行こうと。

1。

「未亡人」と言う語彙に違和感を抱いてはいた錐子オババ だが、

友人たちから同意の言葉をもらってもほんの今さっきまで、何がどうなのか

わかっていなかったとわかった。

夫を亡くした人、と理解していた、それだけでも十分にあからさますぎておかしかったのだが、

よく見てみると、未だ亡くなってない人、と書いてある!

それすら理解していなかった、この漢字の連なりの意味するところを理解すること不可能なあまり、未を夫 と見間違え、勘違いして70年を過ごしてきた錐子オババ であった、そう言うべきだろうか。

「ハー、信じらんない、ひどすぎる」

 

 

2。

重要な役所、司法センター内の遺産裁判所では、亡夫の遺書の内容を錐子オババ が代表で確認、サインする。その間に横浜に住む息子へはこのことがコピーで単に通知される(10月5日 日本着)。

10月18日

ここで、勘違いの原因があった。すべての目的は遺産証明書を発行してもらうことにあるのだが、それは財務局の仕事である(と今わかった)。と思ったのだが、これがまた勘違いであった!!! まだ遺産裁判所の仕事であった、よく見ると。(なんたることだ!!!)

 

相続人である息子と二人で遺産証明書発行申請しなければならないので、

その書類(10月6日作成)が10月18日に日本に届く、期限は2週間である。

 

することは単に錐子オババ が確認サインした遺書のさらなる息子の確認サインなのだが、

そこで封書の住所に間違いを発見、よくぞ届いたものだと思ったが、

そのことを(これが重大なことだと勘違いして!また、2週間内という意味も誤解して!)即刻告げなければと思って、

二人でメールを合作、その日のうちにドイツへ送付。

 

翌日一番で錐子オババ が遺産裁判所の担当オズワルド女史(何気にアメリカ姓、この地域は昔アメリカ軍駐留地であった)へ電話すると、

「それは奇跡的でしたね」と気軽に訂正してくれる。

(ここで錐子オババ の安堵のため息、しかし実は単なるミスを重大なものと勘違いしていた、ため息は不必要だったと今わかった!!!)

ともかく申請はできた。意味は勘違いしていたが結果はオーケーだった。

 

 

同日ごろ(10月4日)作成の「担税能力証明書申請」書類4枚が、クーゼル財務局から錐子オババ に送付されてきたのは10月8日である。

H銀行(ここで二人とも亡夫&亡父により口座への全権を棄却されているので)が切に求めている書類である。日本には遺産がない、日本で相続税を払うことはないことの調査を許可する。

 

何故か4枚も同じもの、内容は簡単な書き込みだが、日本に送り、送り返されそれをクーゼルに送付、と言うことになる。

「何故に4枚もあるのですか」と錐子オババ は財務局の若い役人に何度も問うた。「そりゃ間違ったりすることもあるかと」

そんなことか、しかし、間違うといけないということだろう、と拡大解釈して要らぬ苦労をまたしてしまう。

 

10月20日

案の定、自分の分を書いてみると、生年を1945と書く代わりに2022年と書いているではないか(このことをのちに若い役人に話すと、彼はプッと吹き出してしまった)。

そして息子もやはりこの母の息子なので、何かエラーをしたらしい。

どうしたらいい?と電話してきたのが昨日の事件発生であった。

 

2枚とも使ってしまった。何か方法はないか、修正していいのか、どう修正したらいいのか、日本なら二本線を引いて印を押す。

その時すでに午後で、電話は受け取ってもらえない。試しにかけたがもちろんそのことを通告するのみである。

 

誰かに尋ねたい、ドイツでは修正をどうやるのか。役人に尋ねなければ意味ないが、どこもすぐにはつながらない。

そうすると運よく司法センターの受付がつかまった。

 

しかし、期待したようには問屋が卸してくれなくて、

「そんな遺産関係の質問にはお答えできません、云々」

「ただの一般的な質問ですよ」

「件名を教えて」「これこれ・・」

「ほらやっぱり何もお答えできません」

 

その間に、息子が思いついた。スキャンしてパソコン上で当該部分を白抜きして文字を消す。プリントアウト、また書き込む。

できた、と聞いて安堵のため息。これは実情に合っているようだった。

 

すると、クーゼルから電話、「何でしょう?」とメールより電話を気軽にかけてくれる。

するとしかし、錐子オババ は説明能力を失っていた。テーマも書類の出所もわからない、

ちょうど空きペットボトル係のインゲが来ていて、リンゴあげる要らないとかの最中である。

「ちょっと待ってください、読み上げますから書類を。。。」

 

「ああ、その名前はうちの職員です。それでどうしたのですか」

「書き損ねたのを修正する方法を教えてください、もし修正していいものなら」

それからプッと笑った彼は

「線を引いて消して、その上にでも1945と書いたらいいでしょう」

(なんだなんだなんだ・・・)ため息。

 

インゲを見送った後、そうだったと思って果物かごを見るとちゃんと一個減っていたので、OKとなったのであった。

 

 

3。

10月11、12、13、16、18、19日

2週間ほど医者の予約がなくて、錐子オババ には余裕の感が生じたこの時期、

結局、2日に1度は騒動が起こり、それ以外は2日ほど読書で過ごした以外

 

結局、健康保険会社KKHへ年に一度提出する税込収入証明の作成に汲汲言わされた。

 

例年、書類を組み合わせる手順は同じで、

あとはそれらの書類にある数字を正しく理解して収入一覧表に作り、

計算させて、月当たりの収入合計額を知らせる、という目的である。

 

そう言うと明快な感じがするが、

たまたま錐子オババ のドイツでの加入開始月が11月で、翌年10月までで一年、

これに対し日本では3月までと4月からで年度が変わる。

月が変わるごとに、額が変化し、

かつ税込と税抜きとの表示も各社別であり、

支払済と支払い予定のお知らせを当てにするのみなのが、

実際の収入に反映されていないのだが、他に方法がない。

 

毎年、何らかの勘違い計算をしている、今年もまた発見した。

しかしよくぞ発見したと自画自賛したのはいいが、

今年はこれをオンラインでやろうと試みたのであった。

 

少し前、デジタル界をうろうろしているときに、いつも拒否されるKKHのアカウントの前で、レスキューメールしてみようとふと思った。

 

すると錐子オババ が全く忘れていたIDで登録してあることを教えてくれたのである。

それからはパスワードも腑に落ちてうまく使えることになった。

が、

すぐに不明箇所が出てきたので、電話で尋ねることにする。

しかし、これは運がなかった。

若い男の声、ある箇所で全く話が通じなくなった。

彼も泡喰って、しかし対応的説明能力がないらしく、

 

「いやそんなこと言ってないでしょ、僕の言うこと聞いてますか。あーもー誰かドイツ語わかる人いません?!」とちょうど以前、

 

骨密度測定の予約を取ろうとして、やはり若い男がすぐに手詰まりになり、

あーもーと絶望したのとおかしいくらい同じであった。

 

「いいです、じゃあ、毎年やってたようにアナログで提出しますから」

と錐子オババ もついやや興奮して電話を切った。

 

しかし、

それでも諦めず挑戦する、但し翌日に。諦めないが慌てない。

 

申し込みはサクサク進み、受け付けましたのメールも来て、

次はいよいよ、これからがお試しなのだが、資料をアップロードして送る。

 

第一、ダウンロードとアップロードの違いが時に混乱する頭である。

じっくり熟考してアップだよね、と自分に言い聞かせる。

 

資料に赤文字で、資料名や注意箇所の印をつけ、スマホで写真を撮り、フォトに移し、次々に送っていくのだ。説明は後でメールで送る。

 

やり方はわかった、しかし、

3つ目でもう反応しなくなった。

「だからこれが嫌なのよねー デジタル世界、意味なく動かなくなる、狙いと違うことになる」

誰にともなく語りかけ、しばらく考える。

慌てない。何か不都合が起こった、そうか。もう一度やり直してみよう。

 

と、またバックする。この操作の始まりに行く。

すると、やったー うまく動いてくれて、完了。

折り返し、受け取ったとメールが来る。

音割れのひどいこの機械、よくできてるよね、何年も酷使されて。

 

 

ずっと秋の雨

木々も川も瑞々しい

落ち葉には気の毒だが

こんな空では、窓から見上げるしかない

 

かすみ か くも か

窓近くの大樹二本のみが見える

山は消えて、背後は空まで ただ一色の霞か雲か

まさに舞台上の書割のごとく

 

可視と不可視を問わず、仮想と実在を問わず

今ここに満ちている無限の動きを

駆動させる源

駆動そのもの

不可知の隠身の

しかしやがて帰る 肉体死して 分解し果て

おそらくは至福のエネルギーと

 

 

ところで、瞑想を踊りながら歌いながら笑いながらしてみたい、とわかった

どこまで行ってもまだまだ上がある。

 

ふさわしい言葉がないのだが、

ありとあるもの、の構造やシステム、法則、意味、関連を考えるのと

この幻像界での意味ある(とは実在との比較において)生き方を考えるのと

 

いずれも膨大で必須である。