一昨日 9月11日日曜日に バイエルン州シャイエルン修道院(カトリック・ベネディクト派)から コロナ陽性者を少数出しながらも、ソプラノのブッセ夫人率いる混声合唱団カプリツィオの一行50人ほどは、無事にバートクロイツナハ市に帰り着いた。

 

帰途のバスの周囲360度は、青空に 雨雲と 夕焼け雲と 煌々たる日輪の競演、雲の山に(自然の山はないので)くっきりした光の束が

どっとばかり差し込むさまは、世界中に公平に配られる光景ではあるけれど、

その全方位 遮られることなく空の下にいる感じは、

おまけに100キロ以上のスピードで疾走するのに、行けども行けども

色の散乱に取り巻かれている不思議さもあり、まさにえも言えないほどである。


ちょっと落ち穂拾いしましょうかね。。。

1。

0904 日曜日

そうだな、我々はもう愛憎を超えていた、全てを含めてよく笑った。

笑に昇華していた。愛の絆あればこその赦しだった

怒っていた事柄やそんな自分を思い出せない

幻像人間にパーフェクトなし、いつも凸凹してバランス取るのが精一杯。

それでも諦めないよね。

 

ふと気づく、頭に浮かぶJBの顔にはいつも微笑がある。覚えているあの顔だ、

ちょっと恥ずかしげな心配げな、思いやりが浮かんだような。

そんなことは稀だっただろうけど。流石だね、

その顔だけが記憶に残っているなんて。

これに関して、記憶にあること、

最近だったが、高い位置のランプを取り替えようとあたしが椅子に立った、

倒れそうなほど怖くなるのでJBに下半身を支えてくれと頼んだ。

終わって降りようとするが脚を曲げることができない、つまり降りられない。

仕方なく支えを少し強くしてもらって思い切って、言わば落ちたのであった。

それも優しさとして、助けてもらったこととして残っている、へ〜〜〜

あたし、ちょっと変じゃない?

 

2。

愕然とする、JBの3つの悪徳はもう消えた??? あたしの中にかけらもないよ、

その記憶が、思い出せない。

幻だから存在しない、わけ??? トゲが。。。。

 

数日後の見解:死なれると不思議なほどにこれまでの嫌なところが消えた、

忘れた、思い出せない! しかしこの事は自分がそうしたと言うよりも

自然の摂理であるとわかる、そうだとわかる。

 

 

3。

0905月曜日 

喪の仕事は何も始めていなかった、どうしたら??とのみ思っていた。

準備の準備、みたいなことはした。

友人たちにぼつぼつ連絡すると、「まるで手順が決まっていたみたいに、逝ってしまった、死の苦しみを味合わずに、何よりだった」という下りで、嗚咽に巻き込まれそうになって困った。しかし、ちょうど死後七日目の月曜日、

 

空を見上げているとふと感じた。JBが手を離した、笑い顔が浮かんだ、軽い気持ちでスッと遠ざかった、じゃあ行くからね、みたいに。

もう愛憎交々の夫婦ではなかった、明らかに変化した、

同胞として、友人として、振り返って明るかった。

それはあたしにも軽い嬉しい感じだった。寂しいとか悲しいとかは全くない。

よかったねーよくがんばったねー とあたしは呼び掛けたのだった。

彼の嬉しさが嬉しくて、ちょっと踊り出しそうだった。

その代わりにワハハとこう笑した。

これは大きなプレゼントだったですよ、神さん。

 

4。

声聞試み

 

御身隠り身は ありとあらゆる可能性と叡智、パワーと愛と

無限の聖霊エネルギーの動きでありましょう、

それが凝縮した時、その無限性の様式数式情報が凝縮した時、

そこに物質の形を取るのでしょう、その有り様は 

ちょうど蛙の卵塊のようであり、小さな卵に光が当たると反射して 

壮大な無限の幻像世界が生じるのでしょう、

限りないオリジナルの情報に 限りなく近づく事は 

可能性として設定されているのでしょう。

 

なのでいろんな次元パラレルワールドの物理学的推測については不明だが

とりあえずこの幻像世界の誕生と仕組みうんぬん、

我々の意識・感情・霊の意図・冒険心etc.の・天界と幻像界カルマうんぬん 

の話の信憑性は不明だが

いずれにしろ幻像界も御身隠れ身のシステムに則った現象であり 愛の喜びという最も根源的な現象であるのでしょう。

 

さらに自由意志について、科学的には自由意志は無いように操られているらしい、

かもしれないがその意味するところは、

自由意志とその衝動は与えられるけれども

誰が・いつ・どんなふうに・あるいはやらない・と言う選択可能性が開かれているのでしょう。


 

5。

0906火曜日

早朝出発なので、JBのダミ声が声高にあたしの名前を呼んだ、明らかに!

すぐにヤーと返事した。リアル、日常! 何だこりゃ。。。

 

6。

さて、幻像的現実。

全員、お年寄りである。団員とその家族、友人も加わって7万円で6泊、片道6時間超の旅である。もっとも、あたしは何故か半額でいいと言われて、ホイホイと封筒に入れて渡したら、

「キリコ、あのね〜4万5千円入ってたわよ」

両方とも名字が長くて、よそ行き体で話すと面倒、主にあたしが、なので親称で話すようになったのである。

とりあえず恥をかくあたし。「エイ、じゃあ寄付にするわ」

そうは行きません、と結局すごすごと返却してもらう。これがどんなに助かることになるか、まさに神のみぞ知る。


 

7。

さあ、7時15分、出発である。

同じ敷地に住んでいるので、便利なことこの上もない、車で集合場所まで運ばれる、

車からあたしが小型のスーツケース1個で降り立つと、旧ブッセ夫人こと ビルギットが

「あらあ、日本風ミニマリズムね」とみんなに向かって叫んだ。みんな振り向くので、こんな時はお辞儀して和風対応で済ましておく。数人は顔見知りがいて、一同、仲良くする気満々である。音楽好きに決まっているという受け入れ条件。

 

8。

途中の街を観光しながら、という趣旨である。ブリギットのパートナーが歴史文化の専門知識を披露し、立板に水、という観光案内もちゃんと手配してある。

 

ローマ時代とキリスト教、中世、戦争、産業革命、言うことは尽きないわけである。

 

到着した・巨大な、時代ごとに建て増しされていった修道院(12世紀)には、

ホテルともなる部屋が100くらいあるのだろう。

ビール、チーズなど生産し、天使が食事の支度しているのかと思うくらい、姿を見せない調理人たちがいる。ウクライナ人も多いようだ。

 

バイエルンの、あるいはミュンヘンの当時の美味しいパンが出た。

それを食べながら泣き出した自分にびっくり、

その心は:これをどんなにかJBも食べたかったことだろう。

誰も気づかないのはわかっていたので、しばし静かに涙を流した。

あたし結構泣き虫なんだ。

夕食にはアルコールと生演奏がついて、しまいには半分以上が踊り出し、

大騒動となった。これは面白かった。

 

9。

0907水曜日 どうしてもミュンヘンに行かなくちゃ

しかし、交通機関が不明のままであった。

この日は午後、ビールのホップ生産場見学だったが、

あたしは昼食後すぐにタクシーを呼んだ。

最寄駅が鉄道か郊外電車かすらわからない。仕方ない。

そしたら1万4千円もした。ビルギットの戻してくれたお札が役に立ったわけだ。

 

ママ友とは会えたが、銀行では案の定ややこしそうだった。

息子の署名が必要だと。

悄げて交通機関で帰ろうとすると、切符を買うのに苦労し、

乗り場を探して走り回りひどい目に合った。

ママ友はいつものように「困ったときの聖子さん」だった。

 

11。

帰りつき、広い建物の廊下のややこしいのを突破して、

合唱練習の場にたどり着いた、歌声だけが頼りだった。

その部屋も内部は教会だった、こっそり端の椅子に座ってキョロキョロしていると、目の前に楽譜が置いてあった。

すると向こうでビルギットが腕を振っている。

仲間に入れということかと思って、こちらは両腕を振ったのだが、

ふとわかった。そこに座るなという指示だったのだ、

割とすぐに理解できてよかった。

移動して見ているとその端の椅子には4人の吹奏楽器担当者が来て座った。

 

気を取り直して、練習を見学、修道院付きの合唱隊との合同で、

彼らの指揮者はモジャモジャの髪をしてお人形のように可愛い男性であった。

ビルギットも手足の美しいめだつ人だが、

音楽家の精進と技能才能には感嘆せざるを得ない。

ラテン語の歌、言葉を操るのも大変らしかった。

何しろ老人ばかりなのだ。ではなく、相手方には若い女性も半数いた。

みんなで集中して技を向上させようとがんばっているのを見ているうちに、

涙が零れた。

キリストの愛の慰めに触れることなく、病に倒れ全てを失ったJBが、

いかにも可哀想に思えた。

 

12。

0908木曜日 フライジングの町

ここで、このバイエルンの旅のもう一つの意味が明らかとなった。

改築中のある教会に入って、説明を受けた。

すると驚いたことにそこでは聖ゲオルクを祀ってあるという。

この騎士は竜を退治したという話になっていて、JBの名前はそれに由来している。

こここそJBの霊的な出自であるのだろう、少なくとも彼自身もよく話していた。

残念ながら、難聴の上、補聴器を無くした身としては

そこの解説者の説明全部は理解できなかったが、

多いに興味をそそられたのであった。合点がいった。

 

13。

むしろ失敗談、しかし救われた

夕食はフライジングのレストランが予約されていた。

初日のバス内で紙が回って来て、料理を選ぶようにというのだが、

どんな規模のお皿が想像つかないので(こんなとき世間知らずが困る)適当に4箇所印をつけた。

グループには引退した医者が二人参加していて、

そのときたまたま彼らと同じテーブルになった。

ほとんどが普通の未亡人という構成なのでそのテーブルはハイソサイアティであった。あたしもがんばってちょっと気取って日本について質問を受け付けていたら、

ビルギットが後ろから小声で

「キリコ、4つも注文してたでしょ、とてもじゃないけど食べ切れないから2つに減らしたわよ、グーラシュとサラダね」

 

あたし、呆然としている。隣の医者の妻が笑っている。

助かった〜 よくぞ気にかけてくれた。

後でビルギットには、恥をかくところだった、ありがとう、と声をかけた。

 

14。

0909金曜日朝4時半 

十三夜?の月がいてくれた、僧院の僧坊のひとつきりの窓から外を覗く、

この部屋の天上は斜めである。今の住まいではほとんど月は見えない、外にでたら見える。

 

次々にきて・月を隠しては去る黒雲が・速いので・まるで月が疾走しているように・錯覚して面白い。

しかし次には大きな黒雲が待っていたので諦めるも、よかった、感激した。

 

2018年にドイツに移住準備に来たとき、ホテルでJBがレンタカーに傷をつけた街での、明日の演奏会のため合同の合唱練習があり、歌わないあたしらはウロウロした、プファッフェンホーフェンという変な名前の街。

 

15。

0910土曜日 土砂降り あるいは晴れ

テーマ 神との協働

神と人類との関係は、主ー被創造物、与えるー与えられるなどだけの上下関係では全くない。

幻像人間は不確定性のために確かにひどく不安定で離れているが、

それでもその進化し、覚醒し真理を知ろうという絶えざる意図により 

神との協働と言う本質を体現しているのである。

プファッフェンホーフェンの教会で合唱と心が あたかも天上に広がりゆくような雰囲気を醸し出した時、このような思いになった。新しい。

音楽で、歌詞、その作者、作曲家自身がどう考えていたとしても

その行動の意味は明らかとなった。いつも不思議に思っていたが。

 

絵画、スポーツ、工業技術に至るまで、全ての人類の向上欲は、神との協働への意志の現れ、人類の苦しみを示唆し減じることへの・神への・差し伸べる手であり、こちらへ、ここへとあたしも神の力を呼び寄せます。

 

 

0911日曜日 帰宅の日 雨 十字架のお祭りのミサ

始めてのミサ体験なのだ。まさに善男善女という感じで人々がびっしり参列。

合唱団は2階のパイプオルガンのあるところから、まさに天使のように歌った。

あたしがつい、人の波に並んでいたら

次第にお坊さんが立っているところに向かって行く、人々を観察、口が動いている、まさかホスティエ、JBが経験ありという、

キリストの体を意味するせんべいみたいなもの。

口を開けていると入れてくれるとか。

大変、みんなはでも口を差出してはいないよ、どうするの? 

両手を組んでそこで受け取っている、そしてすぐに口に入れる。

後で聞いたところではその際にアーメンというらしい。

 

このしきたりの変化したのは主に、衛生上の理由だとか、

ビルギットのパートナーが説明していた。

 

「何か困ったりしたら、すぐにうちにいらっしゃいね」と

彼女は別れ際に何度も言った。「蝋燭を灯すといいわよ」

 

そっかー あたしって世間からずれてるからなー 異国だからなおさらよねー

昨夜、土砂降りのビール祭りで鳥の丸焼きの残りを 少しパンに入れて、持って帰って来てるからそれでも食べるか。

「ただいま、JB」部屋に入ったがもちろん居なかった。